第188話 逃亡者 後編
日本国
新潟県長岡市
長岡市役所 市議会議場
市長を始めとする市の政界、財界、官僚は多数の逮捕、拘束者を出したことにより、市の運営は機能不全を犯していた。
いずれは県庁が人員を出して補うが、それまでの暫定処理は現地の治安部隊責任者に委ねられた。
市会議員も多数拘束されたことにより、当面は市議会が開かれないことから、長岡市議会義場は臨時の自衛隊司令部として使われている。
「これはあれだな。
自衛隊法における治安出動や防衛出動を通り越して、戒厳令だよ」
「これで小杉三佐殿は226事件以来の戒厳令司令官ですね。
おめでとうございます」
新潟県地方協力本部長岡出張所所長の升水二等空尉からの皮肉混じりの賛辞に第29普通科連隊第二普通科大隊大隊長小杉三等陸佐は苦笑を禁じ得ない。
非常事態に際し、指定区域の国民の権利・自由を制限し,行政・司法の事務の一部または全部を指揮下におくことを防衛大臣から命令されたのだ。
これを戒厳令と言わずなんと言おう。
「だから『ゆうべつ』の堀川一佐は逃げやがったな。
寺泊港に着岸寸前に艦を回頭させて、舞鶴に遁走したらしい」
「見事な逃げっぷりで。
そちらの連隊長殿こそ、どうしたんです?
本隊を率いてやって来ると聴いてましたが」
「これ以上の戦力投入は過剰だと、駐屯地に引き籠ったよ」
刻々と増えていく市の被害の報告書に上杉三佐も逃げ出したくなった。
「病院も留置場も満員だ。
市外の関係各所に協力を仰がないと」
「死者が警官24名、民間人17名。
負傷者多数ですか」
「死者はまだ増えるぞ。
市内に放置されたヒドラの首を集めて解体する。
中から何人出てくるやら」
一本の蛇頭が死ぬ度に自ら噛み切って残された首が36本もあった。
自衛隊はこれを集めて、県警機動隊の化学防護隊が解体し、陸自の施設科が火炎放射機で処分することになっている。
尚、ヒドラが毒息を吐いたことから体液にも毒が含まれてると判断され、化学防護服がかき集められている。
そこにスーツ姿の警察官が挨拶に来た。
「新潟県警本部の藤崎警視正です。
この度、長岡警察署の署長代理を拝命しましたので、ご挨拶にお伺いしました」
「あんたか、コボルトの群れと戦ってたのって。
主犯はどうなったかい?」
「逃走に使ったヘリコプターを各県警航空隊が追い回して燃料切れを狙ってるところです。
子供も乗ってるでしょうから、強引な手を使いずらくて……」
栖吉城跡城山の鍋岡邸から飛び立ったヘリコプターには、主犯の鍋岡正三とその娘が乗っていると思われた。
宮城県警航空隊がヘリコプターが着陸したのを確認して、地元警察が乗員を拘束したが、その中には鍋岡正三がいなかった事を聞いた藤崎警視正は、机に拳を叩き付けることになった。
静岡県磐田市
福田漁港
大陸における植民都市杜都市の植民は九割方終わっていた。
浜松市を中心に合併した旧森町、旧川根本町。
隣接する湖西市まで移民が完了し、磐田市の福田漁港に移民船停泊して対象者を乗船させていた。
「危なかったな。
あと数日で移民船指定港が新潟港になるところだった。
さすがにあそこでは逃げきれんからな」
鍋岡親娘は偽造した戸籍で大陸に逃れようとしていた。
乗騎したグリフォンを低空で飛ばし、日本アルプスを越えて浜松市の別名義で購入していた家から隠し財産を持ち出していた。
グリフォン自体は小動物園のリストには載せていなかったからノーマークだった。
「どこにでもお行き」
と、葵がグリフォンに告げると翼をはためかせて、海の彼方に消えていった。
その後は半月ほどはこの家に留まり、名義人が移民対象になったとの通知を受け取り、磐田市まで移動した。
大陸ならばモンスターは無数にいるし、身を守りやすい。
なんならどこかの貴族家に保護して貰うのも手だった。
多少は変装を施し、渚の交流館と呼べる施設で名物のシラス丼やアジフライで舌鼓を打っていた。
娘の葵はろくに屋敷から出たことも無かったので、キョロキョロと交流館内を見学していた。
軍資金は分散していた現金を回収し、当面は遊んで暮らすくらいはある。
テレビに目をやると、長岡市の事件が報道されていた。
政府は鍋岡の広大な農場を小作人に無償で分譲することになったと語られている。
「現代の地租改正か」
思わず声に出して突っ込んでしまう。
報道は続き、執事の時田を始めると主要な逮捕者は西方大陸送りと決まった。
これには長岡市市長や警察署長、密輸業者や船員も含まれるが、小作人の中から仕事を共用された小動物園の飼育員や使用人は情状酌量の余地があるとして放免となる。
没収された財産は被害者への補償金の他は国庫に納められることになる。
「まあ、シャクに触るが想定内だ。
暫くは後始末に忙しくて、こちらまで手はまわらんだろう」
時間が来たので葵を捕まえて港に向かう。
大陸に着いてしまえばこちらのものだった。
「鍋岡の旦那、久しぶりだな」
不意に声を掛けられ、振り向いてしまうと身なりの汚い、貧相な中年がニヤニヤ笑っていた。
「見覚えがあるが、誰だったかな?」
「あんたんとこで小作人をやっていた橋倉だよ」
名前を聞いても全く思い出せなかった。
しかし、今一番大事なことは、鍋岡の存在が露呈したことである。
「ふむ、何か欲しいものがあるのか?
手持ちの金なら少しは……」
「アンタの首だよ」
橋倉と名乗った男の手には拳銃が握られていた。
鍋岡も懐の銃を抜こうとした瞬間、橋倉が拳銃を発砲し頭を撃ち抜かれていた。
「パ、パパ?」
騒然とする周囲と対象的に葵は呆然と立ち尽くしていた。
「お嬢ちゃん危ない、こっちだ!!」
「ち、ちょっと離して、パパが、パパが……」
周囲にいた男に抱き抱えられ、そのままワンボックスカーに放り込まれて拘束された。
そのまま目隠し、ボールギャグに手首、足首を縛れて動けなくされる。
「対象を拘束、車を出せ」
「橋倉はどうします?」
「最後の銃弾で自決することになっている。
そうでないと家族に金が送金されないからな」
「この娘はどうするんです?」
「知らん。
上が何か考えてるんだろ」
鍋岡の農場を身体を壊して家族ごと放り出された男を鉄砲玉に仕立て上げるのは簡単だった。
使用人をスパイに仕立て上げ、グリフォンで逃走するのを見逃したのは、鍋岡が逮捕されると都合の悪いお偉方の意向だった。
公安調査庁の暗部にいる彼等は時にこのような後始末を任せられる。
「被疑者死亡で一件落着。
これでおしまいなのさ」
事件としては煮え切らない最後だが、この混乱を国政に波及させる事態は避けなければならなかった。
新潟県小千谷市山中
一匹のモンスターが、自衛隊の追跡の手を逃れて山中をさ迷っていた。
雪山に生息していたイエティと名付けられたその生き物は、蒸し暑い日本の環境に憔悴し、飢えていた。
大陸と違う植生の木の実は腹を下し、ますます弱っていた。
目も霞み、死を悟った頃合いに複数の人影が目に映る。
人間達の追手か?
最後の一暴れを考えるが、猿に似ているが猿ではなく、頭の毛が背中に垂れるほど長く、背丈は人間よりも大きい。
その姿は己に良く似ていた。
なんだこんな遠くの地にも同胞はいるじゃないか
そのもの達が手を差し伸べた光景を最後に意識が途絶えていた。
『北越雪譜』という、江戸後期における越後魚沼の雪国の生活を活写した書籍がある。
雪国の風俗、暮らし、方言、産業、奇譚をまで雪国の挿絵も交えて記されており、猿のような奇妙な生き物の出現記録が二件記載されている。
異獣と呼ばれるその生物がイエティに似ているかは誰も知らない。
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