第93話 ベルント事件

 新京特別行政区

 大陸総督府


 秋月総督は相も変わらず貴族からの陳情を持ち込まれていた。

 普段は家督の相続問題だの領地の境界線紛議だの奥方実家の内政干渉だの王国宰相府は何をしてるんだよ、何でこっちに持ってくるんだよ、と叫びたくなる内容ばかりだった。


「王国宰相府は何をしてんだよ!?

 何でこっちに持ってくるんだよ!!」


 今日はゴミ箱に顔を突っ込んで叫んでいる大陸の最高権力者の執務実室に秋山補佐官が、無慈悲にも新たな案件を持ってきた。


「閣下、新たな案件です」


 ゴミ箱に顔を突っ込んでいる秋月総督をスルーしながら資料を読み上げる。

 さすがに秋月も椅子に座り直して話を聞く。


「北部のガイヤール子爵家の行列に、隣接するバルトロイ子爵の家臣達が独断で魔術による火炎球を撃ち込んだようです」

「ふむ、両家は境界線紛議で揉めていたよな。

 確か去年にガイヤール子爵家の訴えを認める裁定を宰相府が下していたはずだよな?」


 ガイヤール子爵家は、もともとバルトロイ伯爵家の寄子の男爵家であった。

 皇国と日本との戦争の際に日本側に独断で参陣し、王国建国にも功有りとガイヤール男爵は子爵に陞爵。

 反対に皇国に兵を供出したバルトロイ伯爵は子爵に降格となる。

 この機会にガイヤール子爵は落ち目のバルトロイ子爵との寄り子の縁を切る。

 さらにガイヤール子爵が新たに領地とした地域は、元来のバルトロイ伯爵家領内でも豊穣の穀倉地帯であり、両家の遺恨は現在でも持ち越されている。

 そして境界線の帰属問題では、日本が植民都市の住居用材木として必要としているヒバ(桧葉)の木の産地である事が事態をややこしくした。


「血が流れたくらいでしたしね」

「宰相府はガイヤール子爵の用意した証文や住民の証言で、ガイヤール子爵の訴えを認めたのだったんだよな」


 これには工務省次官に、ガイヤール子爵の次男の釣りの達人がいたことも大きい。

 この次官はマディノ一揆事件の後処理で、総督府からも一目置かれる手際の良さを見せた人物だ。

 名門意識に凝り固まるバルトロイ子爵では勝ち目が無かったと言える。


「それだけに先祖から仕える家臣の弟が忠義を拗らせて、ガイヤール子爵の行列に火炎球を撃ち込んだようです」

「家臣ですら無いのかよ。

 バルトロイ子爵は逆に焦ったんじゃないのか?」

「バルトロイ家はバルトロイ家で伯爵だった前当主の死去に伴い、現子爵による改革が行われており、迷惑がって火消しに奔走中です」


 肝心な犯人であるベルントは逃走中であり、ガイヤール子爵家の私兵も追っている。


「で、我々に何か問題があるのかね?

 勝手にやらせとけばいいんじゃないか」


 日本としては利権が確保出来てる間は、貴族同士の争いなどどうでもよいことだった。


「逃亡先はここ新京です」


 お膝元で争われるならさすがに話は変わる。


「そいつは厄介だな。

 なんでよりに寄ってここに逃げ込んでくる」





 新京特別行政区

 貴族街

 元ホラティウス侯爵邸


 現在は廃墟になっているこの屋敷は、半年前にさる事情で自領からの資金が途絶えて住民が退去していた。

 住民だった貴族達は、竜別宮町の下屋敷に移り住んでいる。

 ベルントが潜伏先として選んだこの屋敷だが、すでに公安調査庁の監視下にあった。

 公安調査庁の新京支部は、貴族街にある幾つかの邸宅を買取り、貴族を対象にした諜報活動の拠点にしていた。

 表向きはザインスハイム伯爵家の上屋敷だが、適当にでっち上げた家名であり、当主一家は王都と領地から出てきていない設定になっている。


「思いの他、近くにいたな」


 この拠点の責任者である平沢上級調査官達が、ベルントの存在を確認した翌日には支局から実動部隊が屋敷に到着していた。

 呼び寄せたのはいいが、腕のいい魔術師相手に小隊程度の強襲部隊では不安があった。

 府中のマディノ子爵ほどでは無いにしろ、私塾を開いて門弟を多数抱えられる魔力。

 ガイヤール・バルトロイ両子爵家から逃げおおせる実力と人脈は侮れない。

 資料によるとベルントはバルトロイ子爵家の陪臣の家系だ。

 家督の無い部屋住み次男であり、家督争いを避けて皇都の魔術師に弟子入りしている。

 才能が有ったようで、塾頭を務めるまでに頭角を現している。

 また、地元で師の流派の看板を掲げた私塾を開く免状まで与えられて、門弟20人を抱えていた。

 やがて日本との戦争が始り、奨学金による義務を果たす為に宮廷魔術師団の召集に応じている。

 北部魔術師旅団に参加していたが、実家で父親が危篤となり一時的にバルトロイ子爵領に里帰りをしていて皇都大空襲の難を逃れた経緯となる。

 門弟の殆どが任せていた塾頭と共にこの空襲で死んでいるが、ガイヤール子爵の襲撃には門弟三人が同行して、追撃してきた子爵の護衛を撃退している。


「おまけに運も持っている。

 機動隊、SATの応援は許可されてますが、自衛隊の応援は必要は無いのですか?」


 平沢とともに竜別宮から転任になっていた松井調査官がぼやく。

 現在の新京駐屯地にいるのは、大陸方面隊の直属部隊ばかりだ。

 直接の戦闘部隊はまだいない。


「今の新京の陸自部隊といっても、教育隊とか、ミサイル部隊とか、音楽隊とかいった部隊ばかりだ、あてには出来ん」




 大陸北部

 ガイヤール子爵邸


 ガイヤール子爵襲撃事件は、子爵本人は傷ひとつ付かなかったが家臣に死者や負傷者が出ていた。


「お館様。

 新京にて賊の所在が判明致しました」


 家宰のキースから調査の報告書を受け取ったガイヤール子爵は暫く熟読する。


「ふむ、これは使えるかな?」

「新京のお屋敷は、新参の者が多数詰めています。

 彼等も忠誠心を示す機会と奮うのは間違い無いでしょう」


 ガイヤール子爵家は、陞爵と領土の拡大による新規の召し抱えを多数行っていた。

 優秀な者も多く、代々仕えていた家臣団とは対立する問題も起きていた。

 子爵自身は名君として慕われており、日本向けの新田の開発、治水工事、山林制度の整備、植林、検地、家臣団の郊外移住による城下町の拡大、『サークル』から技術者を招聘しての養蚕、織物、製糸業、紙漉の発展・育成などに努めた。

 民政においても子爵は新たな時代に相応しい家臣団を必要としており、新規の家臣を優遇していたのは間違いない。

 それだけに自分に反発していると思っていた譜代の家臣達が率先して、火炎球から自分の身を守る盾になったのは衝撃的だった。

 目の前の家宰のキースは、長年仕えた譜代の筆頭だ。

 犠牲になった譜代家臣の落し前をガイヤール子爵に主張する代表でもある。

 それにはガイヤール子爵も同感である。

 忠誠心の価値を再認識した子爵は、彼らの命の代償と落し前を求めたのだ。

 また、新規の家臣に忠誠心と手柄を求めたのだ。

 今回の件で、新規の家臣達が譜代の家臣達の仇を取れば融和が期待できるかもしれない。

 そして一族からも名代を出す必要があった。


「アランに指揮を任せよう。

 あやつは武芸に関しては才能があるのか、免状を取れる腕前だから心配はない。

 次期当主としての箔を付けさせるのは悪くは無いだろう」


 指揮を取らせるのは新京に留学させている嫡男のアランだ。

 剣の腕前は師匠筋の子弟に師範として教える側になる程だ。

 下級だが魔術の心得えもある。

 勿論、次期当主に何かあったら困るので、腕利きの護衛も付けてある。

 アランは武芸もさることながら、文化芸術に対する理解もあったらしく、書を良くし、画においてもそれなりの才覚を示し、個展を開けるほどである。

 問題は贅を好み、浪費癖があることだ。

 問題は後で矯正するとしても、ここで子爵家当主を襲った賊を討つ、あるいは捕らえる功績を積ませることで嫡男としての責務を促し、家臣達に忠誠の対象としての認識させる。

 血統だけで忠誠心を期待するのは、無理があるのはガイヤール子爵も理解していた。


「問題は日本のお膝元である新京で、騒動を起こして彼等と揉めないかということです。

 後は手駒が20人程度ですが」

「日本とはヒバ(桧葉)の材木や米の取引での繋がりがある。

 根回しはしておくに越した事は無いが、逃げられては元も子も無い。

 手駒は実際に使えるのは10人程度か。

 ルターシャ家からも人を出させろ。

 あの様な危険人物の排除は最優先だ」


 何しろ自分自身の命を狙っているのだ。

 ルターシャ男爵家は王都で、商工省の次官をしているガイヤール子爵の次男の婿入り先だ。

 これはガイヤール子爵家一門の総意でもあるのだ。








 大陸北部

 バルトロイ子爵邸


 北部の名門バルトロイ子爵の屋敷は元伯爵だったこともあり、小さいが城といえた。

 所領が減ったことにより、維持費も大変で手放したいと考えている現当主は意外にもまだ若い。

 先代の当主は境界線紛議で敗北した際に憤死し、嫡男は落馬による事故で死亡した。

 現当主は先々代の当主の次男の孫である。

 それだけに家中での権威は強くない。

 家臣にすら軽んじられている。

 嫁は先代当主の末娘なので、繋ぎの当主と思われている。

 それでもこういった緊急事態には、譜代の家臣は迅速に働いてくれた。


「私は大過なく次代に繋ぐ事を求められている。

 揉め事は御免被りたいのにあの馬鹿者め」


 手筈を整えた家臣やベルントの門弟はほとんどは捕らえた。

 彼等の証言からベルントが、新京に逃げ込んでいることが判明する。


「新京の屋敷に奴を捕らえさせろ。

 他家に、特にガイヤール子爵に遅れを取ることは許さん。

 ティミル、リナルディ両男爵家にも手勢を出させろ」


 共通の敵がいる時は、家臣達もサボタージュや妻に告げ口などはしない。

 この機会に譜代の家臣の勢いを削ぎたく、家中の者でベルントと関りある者は、片っ端から拘束していた。

 重臣にも謹慎を命じた。

 問題は襲撃の当事者を一人も確保出来ていないことだ。

 今回の事件を無事に解決すれば、当主の威厳を手に入れられる。

 潜伏先も判明しているので、捕らえれば良いだけだが手勢が足りない。

 分家二つにも兵を出させれば20人にはなる。

 新京屋敷専属の魔術師もいるから、なんとかなるはずだった。

 仮にも日本のお膝元での荒事だ。

 大袈裟な人数は出せなかった。




 新京特別行政区

 貴族街


 旧ホラディウス侯爵邸のある区画を囲うように総督府警察第1機動隊の常駐警備車の青い車体が道路を封鎖していく。

 常駐警備車は装甲を付した車両で拠点警備に用いられる。

 道路の封鎖も出来るように角型の車体となっている。

 周辺の貴族邸は複数の入口があるが、私服の刑事が運送屋等に扮して住民に封鎖するように通達してまわる。

 大抵の屋敷はこの通達に従うが、旧ホラディウス侯爵邸を強襲しようとしていたガイヤール・バルトロイ子爵邸は、驚愕に包まれる。

 屋敷の周囲は一般の警察官がパトカーで道を封鎖するように固める。

屋敷の物見櫓から旧ホラディウス侯爵邸を双眼鏡で観察すると、旧ホラディウス侯爵邸からは死角になる最寄りの交差点は常駐警備車が封鎖する。

 事件の当事者たる両子爵邸は、それぞれ機動隊一個中隊が張り付く。


「先にこちらに手勢を移動させといたのは正解だったな」


 ガイヤール子爵嫡男のアランは半日早く、一門のルターシャ男爵邸に移動していた。

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