第86話 2028年 結界の綻び
大陸北部
呂栄市 アキノビーチ
フィリピン系を中心とする呂栄市郊外にある海岸、通称アキノビーチでは、呂栄軍警察隊と日本国自衛隊による合同演習が行われていた。
敵の対象が大型モンスターであり、呂栄軍警察が重火器をあまり持っていないことを前提とした演習だ。
呂栄軍警察のテクニカルやパトカーといった車両から、拳銃や小銃を発砲しながらモンスターを海岸に誘導する。
海上には沿岸警備隊の日本から供与されたパローラ級巡視船7番船『ケープ サン アグスティン』と8番船『カブラ』が待ち受けていて、JM61-RFS 20mm多銃身機銃の掃射で退治を完了する。
モンスター役は、海上自衛隊水陸機動中隊であった。
「なかなか様になって来たじゃないか。
そろそろ人数も増えてきたし、陸自に戻った暁には駐屯地でも欲しいところだな」
感慨深げに部隊の練度を演習本部から語るのは、陸自から海自に出向させられている長沼二等陸佐だった。
ようやく政府から水陸両用車の増産を受けて、原隊に戻れそうだと機嫌も良いのだ。
水陸両用車もAAV-7水陸両用強襲車の人員輸送型4両、指揮通信型1両、水陸両用車回収型両に増え、国産試作車両2両と合わせて8両になった。
隊員も225名と大所帯になってきた。
転移前の計画と比べれば一割にも満たない人員に過ぎないが、順調に部隊規模の拡大を達成している。
先の海棲亜人との戦いで『叡智の甲羅』なるものを確保する突入作戦で高評価を受けたのも大きい。
長い年月を生きてきた海亀人、数万年の歴史と技術の記録の保管庫らしい。
幾つかのものは機密扱いを受けて、在日米軍から返還された旧横須賀海軍施設内で、密かに造られた研究所で保管、研究されてるという。
転移の謎についても解明されるか期待されている。
「そういえば連中と海保の共同調査が実行中だったな。
うまくいってるのかな?」
対馬海峡
海上保安庁と新たに日本と国交を結び、傘下に入った栄螺伯国は共同で、日本本土周辺海域の海洋結界の範囲調査が行われていた。
派遣された巡視船『やしま』のブリッジで、船長の河野は双眼鏡を片手に目標海域を視界に納めていた。
共同で作業に当たっていた『食材の使者の息子』号が掲げた鋏が摘まんだ旗を確認し、微妙な感覚を覚えつつ船員に指示を出す。
「『食材の使者の息子』号の調査が完了した。
ブイの設置の準備をせよ」
ここが最後の調査対象だった。
地図にブイの設置場所を書き込み、定規で地球時代の地図と照らし合わせる。
「やはり地球の大陸陸地から26キロ地点までは海洋結界の効果範囲外となってるな」
対馬はまだ大丈夫だが、高麗主要3島や北サハリン西海岸の旧間宮海峡沿岸の一部はほぼ効果範囲となることになる。
対馬は約14キロ先までは安全圏だが、それも何年保つかは今後の調査次第となるだろう。
「あとは我々の作業になります。
『食材の使者の息子』号には浮上航行の指示を」
同乗していた大使館付き連絡官である栄螺の女騎士ミドーリ(日本名)が頷く。
「心得た」
彼女がブリッジから甲板に出て法螺貝を吹き出すと、『食材の使者の息子』号が浮上してくる。
ヤドカリ型水陸両用艦と日本では呼称される『食材の使者の息子』号は、先年日本の客船『いしかり』を襲撃した『食材の使者』号の子供であるらしい。
船体というか、身体や宿の栄螺殻も『食材の使者』号より一回り小さい。
栄螺伯国は巨大ヤドカリを艦船として利用しているが、遠洋での活動は向いていない。
『食材の使者の息子』号も大使館付きの艦だが、小さいことを生かして途中から日本の艦船に牽引して貰ったくらいだ。
この対馬沖にもその低速ぶりから、海自や海保の艦船に牽引されて来たのだ。
栄螺伯国は、先年の襲撃と百済サミット襲撃事件の顛末を知り、日本とは対立よりも国交を結ぶことが得策とし、巻貝系諸部族を統一して使節団を派遣していた。
日本で捕虜になっていた女騎士ミドーリ(日本名)が両国の橋渡しになり、その地位と所領は安堵されることになった。
『いしかり襲撃事件』で日本側に死者が出なかったことは幸運と言えたろう。
栄螺伯国は旧オランダ大使館に居を構えて、活動を初めてこの共同調査に参加した。
「そういや、あの坊主の親御さんは今はどうしてるので?」
ミドーリ(日本名)はいったい誰のことか理解できなかったが、河野船長が『食材の使者の息子』号を指さす方を見て合点がいった。
『食材の使者の息子』号の親である『食材の使者』号は、護衛艦『いそゆき』の97式短魚雷を三発も食らって宿の貝殻部と鋏を破壊されている。
本体も衝撃で幾分か傷付いていた。
それでも本国まで辿り着いたのはたいしたものだった。
「本体が入れる殻がまだ育ってないので、現在は専用の入江で療養中です」
艦船に対しての言葉とは思えないなと河野船長は考えていた。
設置されたブイは、海上保安署がある港を基準に設置されている。
1年後にもう一度を観測を行い、『海洋結界』の縮小範囲を調べることになっている。
「日本はこの世界に同化しつつあるか。
誰が言ったか知らないが」
千島道
占守島
日本の北東端にあたるこの島でも、『海洋結界』の調査は行われていた。
この島には自衛隊の第308沿岸監視隊と海上保安庁の海上保安署、警察の交番が2ヵ所が置かれている。
民間人は漁師を中心として、500名程度しかいない。
この島の北側海岸に自衛隊と海保の隊員が調査、監視にあたっていたが、上陸してきた海亀人の重甲羅海兵達と目を合わせて困った顔をする。
彼等は等間隔に散らばり、上陸してきたのだ。
その範囲は広く、『海洋結界』がこの島では機能していないことを証明してしまった。
「上陸、出来てしまいましたな」
海上保安署署長の言葉に第308沿岸監視隊隊長の的場三等陸佐は二の句を継げないでいる。
日本本土で唯一の『海洋結界』の穴が見つかったのだから当然だろう。
「防衛省並びに北部方面隊総監部に報告。
択捉の第5師団司令部もだ。
海亀人の皆さんには申し訳ないが、島内の上陸可能範囲の報告を急がせてくれ」
上陸可能な地域は、占守島の東側の沿岸全域に及んだ。
「範囲の広がりかたから、今年、去年の話じゃないな。
サミットの時に君らに見付からなくてよかったよ」
的場三佐は海亀人の重甲羅亀海兵の隊長ドーロス・スタートにそう声を掛けるが、呆れたような反応をされた。
「こんな戦略的に無意味な島を制圧したって、あんたらの怒りを買うだけじゃないか。
見付けれなくてよかったよ」
この占守島の片岡村にも700名ばかりの日本人が住んでいる。
安全が確保されていない以上、本土に島民を撤収させるかが問題となった。
夜になって、村長と村議会は避難せずの結論をだした。
今後はどこに逃げても『海洋結界』が狭まるのは明らかだ。
11年の歳月を掛けて、開拓したこの島を離れる住民は誰もいなかったのだ。
「今後は周辺海域でのモンスターとの遭遇や上陸にも備えないといけない。
壁とまでは無理かも知れないが、金網で村を囲うくらいは検討しなければならないな」
的場三佐の指摘に村長は溜め息を吐く。
「巣でも造られては堪りませんからな。
村からも監視の為に自警団から人を出しましょう」
言われて気がついたが、確かに巣でも造られたら一大事だ。
しかも『海洋結界』の恩恵が陸地に及ばなくなって数年たっていると考えられる。
本当に巣は無いのか?
不安に狩られた的場三佐は、択捉島の第5師団司令部に応援を要請し、島中の探索を始めることとなる。
日本国
府中刑務所
日本が転移して12年目の年が明けていた頃、マディノ元子爵ベッセンは立川市からも魔力と才能のある子供達を招聘し、魔術について教えていた。
立川市から招聘されたのは仏教系1人、神道系が2人、大陸魔術系が1人。
弟子の数は36人となった。
パソコンを打ちながら作製した弟子達への教科書を読み上げながら思いに耽る。
「日本人もこの世界に馴染んできたかな?」
それが喜ばしいことかベッセンにはわからない。
移民の増加のせいもあるが、日本本国の人口は1億1800万人を割り込んだ。
その反面、転移後に産まれた日本人は1170万人を越える。
日本本国を守っている海の結界が、転移してきた日本人達に影響を与えているのではとベッセンは考えている。
日本人が転移後の世代に入れ替わる頃には、自分の生徒たちが指導者層になれると確信もあった。
最低でもあと10年、いや20年は必要だった。
「そうなると大陸の日本人達が邪魔だな。
まあ、今は出来ることも無いか」
日本人達には海の結界の影響を秘密にしておきたいが、海棲亜人やエルフやドワーフが旧港区に大使館を構えて居住を始めた。
彼等も魔術に精通した者を連れて来ている筈だから、日本人にバレるのは時間の問題と言えた。
また、日本自体が魔術に関する知識を蓄積すれば、相対的に自分の価値も低下、弟子たちを増やすことも出来ない。
「今は余計な戦力の浪費だけは控えてくれるといいな」
皇国の残党や日本を面白く思っていない貴族や教団、亜人達が日本の技術を学び、力を付けてくれるのがベストだ。
ベッセン自身は戦犯の汚名を着せられ、主君、地位、爵位、領地、一族、家臣、名誉、財産、自由全てを奪われた。
だが持って産まれた魔力と知識は残っている。
今は大人しく日本に従っているが、何時かは全てを取り戻してみせる。
ベッセンの中の野望と復讐の炎は消えていない。
その為には時間が必要だった。
弟子達の教育や必要な栄養等を摂る時間以外はほぼ肉体を凍結させて寿命と若さを稼いでいる。
問題は他にもある。
弟子達の教育に人手が足りないのだ。
年長の弟子達が弟弟子達の教育を幾らか携わってくれるので、今はどうにかなるがそろそろ限界だとは感じていた。
「と、言うわけで優秀な魔術師で導士級の者をここに派遣してもらえないかな?」
相談を受けたベッセン担当の公安調査官の福沢は、眉を潜めて聞き返してくる。
「導士級じゃないとダメなのか?」
「もうすぐ二クラス分になりそうだしね。
年齢も修行期間もバラバラだから効率は良くないのは理解できるだろ?
それに私自身が自由に動けない身だから、スカウトに使える人材が欲しい。
導士級が欲しいのは、簡単に言うと魔術を使う為には肉体にある魔力の扉を開く必要があるんだ。
前に私が大月市の僧侶にやったようにね。
まあ、あの時はうっかり仏の力をこの世界に招いてしまったのは誤算だったけど」
嬉しい誤算であった。
あれでこの日本人にも魔術が使えると、よいデモンストレーションになったし、弟子の増大にも繋がった。
「その扉を開くことが出来るのが、導士というわけさ。
まあ、30年くらいの修行した魔術師じゃないと無理だけど」
ベッセンは十年くらいだった。
代々宮廷魔術師の家系で貴族だったことが大きい。
一族の理解、蓄積された血統による才能、効率的な英才教育による知識。
それらを可能とする資産と地位があったことも大きい。
通常は30年以上の修行が必要だから老齢の者が多いのが実情だ。
「魔術師達が我々に非協力的なことは知ってるだろ。
それにそれだけの実力者達なら当然」
「ああ、大半が灰になったろうね。
弟子達も含めて」
導士やそれになれる実力のある者達は、そのほとんどが皇国の支援を受けていた。
彼等は有事の際には宮廷魔術師団に召集される。
その閲兵式の最中に空襲を受けたのだ。
生き残っている者などはそれほどいないだろう。
期待できるのは、遠方や任務の為に閲兵式に参加してなかった者や独自の結社にいた者達だが、どれほどいるかは把握出来ていない。
「エルフ達では駄目なのか?
彼等なら高い魔力と長い寿命で期待できるのでは無いか?」
「種族が違うと相性が悪くて危ないんだよね。
それに彼等は産まれながらに扉を開いてるから、その方面の修行はしてなかったりする。
ん〜、そうなると各教団の司教級の人間か。
まず地元を離れたがらないな」
「総督府に一応は問い合わせてみる。
期待はしないでくれ」
やはり10年、20年は待たないとダメだなと、ベッセンは落胆する気持ちを抑えられなかった。
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