第75話 移民前編
大陸東部
神居市
「海だあ!!」
むさ苦しい海パン姿の男達が砂浜に繰り出している。
7月になり、神居市の砂浜でも海開きが行われた。
海開きは月初に就任した初代市長がテープカットに参加する盛大なものだった。
男達はこの地に駐屯する陸上自衛隊第16師団第16戦車大隊の若き隊員達だ。
この海開きに合わせて休暇を取り、水着美女との心と体の交流を謀るべく、有志による部隊をビーチに展開したところだ。
何故か市や海の家から大量の割引券等が、寄贈されたことも部隊が動員された動機にもなっている。
彼等の誤算は、水着姿の人間はむさ苦しい彼等くらいしかいなかったことだろう。
「な、何故だ?」
「俺達はこの日の為に厳しい訓練を……」
砂浜には潮干狩りに興じる家族連れしか見当たらない。
あるいは砂浜で釣糸を垂らしている釣り人か。
家族連れの妙齢の女性達もいるにはいるが、誰も海に入らずに波打ち際で遊んでる程度だ。
大陸での早婚率が高いのも一因となっている。
そもそも家族連れなどナンパとしては対象外もいいところだ。
神居市の人口は50万人に達していた。
「単純な試算として、人口の半分が女性。
平均寿命が70代として、最低でも3万人のうら若き妙齢の女性がいる筈じゃないか」
隊員の一人の屁理屈っぽい愚痴を後ろで聞いていた制服姿の海上保安官の猿渡二等海上保安士が、彼等の希望を打ち砕く言葉を口にした。
「去年は海洋モンスターや海棲亜人の襲撃が各地で続いたからね。
誰も怖がって海に入ろうとしないんだよ」
「そんな!?
あんなに頑張って、自衛隊や多国籍軍が駆逐したり、降伏させたりしたんじゃないか」
「イメージはなかなか拭えないのよ。
この海岸だって、我々や海自が定期的に掃討したのにこの有り様さ」
海岸で潮干狩りや釣りに来ている客も単純に遊びに来ているわけではない。
少しでも食卓を豊かにしようと真剣な眼差しで作業に当たっていた。
「遊びに来たのって、あんたらだけじゃないかな?
まあ、それより海で泳がないのかい?」
「それを聞かされて泳げるか!!」
「やだなあ、割引券とか大量に貰ったり、休暇の調整が妙にやりやすかったろ?
市は君達に期待しているんだよ。
誰も海で泳いでくれなかったら外聞が悪いからね」
「え?
なぜ、それを知っている」
猿渡の言葉は若き隊員達の心を抉っていた。
悲痛な叫びをあげている隊員達が、笑顔をひきつらせながら海で游ぎ始める。
海で泳ぐ隊員達の姿を見て、波打ち際に留まっていた市民達も少しずつ海水浴を楽しみ始めた。
賑わい始めた砂浜を尻目に、猿渡は冷房の効く海保パトカーに戻っていった。
海保パトカーには同僚の鵜島二等海上保安士がアイスティーを魔法瓶から紙コップに注いで渡してくれる。
「お疲れ~
どうだったあの連中は?」
「さすがは市民に愛される自衛隊。
自分達の役割を理解し、率先して海に飛び込んでくれたよ。
彼等の努力次第で、若いリビドーを発散させる対象が増えてくれることを祈ろう」
「わかった、本部には異常無しと報告しておく。
しっかし、どうしてこんなとこで海開きなんかしてるのかな?
湾内なら安全も確保されているのに。
去年までは向こうが海水浴場だったろ?」
神居市の港は周囲を陸地に囲まれた湾に沿って造られている。
大型船も寄港出来るように桟橋や岸壁が建設された。
防波堤も設置され、移民管理局や海上保安署、税関や検疫所が設けられた。
現在も埋め立てや陸地の掘り込み、浚渫などの拡張工事が行われている。
湾の入り口には堤防が造られ、監視カメラやセンサーがモンスターの侵入を監視し阻んでいる。
「開港して船舶の出入りが激しくなるからさ。
ほら、今日も来てる」
猿渡の指差す方向、水平線の向こうから巡視船に護衛された巨大な客船が神居港に向かって航行しているのが視界に入る。
神居港の開港により、神居市移民管理局が新設された。
神居市は一日に500名の移民を受け入れが可能となったことを意味する。
もちろん移民先は神居市ではなく、第8植民都市である福崎市だ。
一家総出、家財道具一式を持ち込んで来ている者がほとんどだ。
移民たちの荷物は想定より多くない。
移民対象者は第二・三次産業従事者だった者達が大半だ。
転移後はその大半が無職となった者達だ。
配給だけでは足りない食料を得る為に家財道具を第1次産業従事者に売り付けた為に引っ越し荷物が大幅に減ったのだ。
この後はそのまま列車で福崎市に運ばれていく。
今の神居市は新生児による住民増加で、定数を満たしている状態なのだ。
パトカーで港湾に戻ると、客船と巡視船が停泊していた。
客船から移民達が船体の側面に装備しているスロープから、持ち込んだ車両を降ろしている。
この港では毎日のように見られる光景となったが、隣に停泊している巡視船に猿渡は怪訝な顔をする。
「あれ?
うちの巡視船じゃないのか?」
猿渡が困惑した様に、巡視船の船体は白いが赤いラインが入っている。
ルソン沿岸警備隊の証だ。
「噂に聞く、ルソンに供与される巡視船だな。
完成してたんだな」
鵜島が端末から情報を引き出していた。
巡視船『カポネス』、『シンダカン』は、日本がルソンに供与した40m型多目的即応巡視船である。
処女航海ついでに日本からの移民船を護衛してきたのだ。
「海保の巡視船も充足したとはいえ、数が足りないからな。
同盟都市の海洋戦力が充実してきたから駆り出したのだろう」
「巡視船の供与は転移前からの約束でしたからね。
向こうにも受け入れの余裕が出来たからですが、パラオやジプチの巡視艇は埃を被ったままですよ」
転移前の対中国、対海賊を見越した海賊を念頭に置いた巡視船供与を東南アジア各国と取り決めていた。
転移後もその取り決め通りに後継組織たる同盟都市に供与された。
だがいまだに同盟都市を建設する為の人口に達しておらず、他国との連合が合意に達していないジプチやパラオの巡視艇は横浜のドックで保管されている。
「王国も欲しがってるらしいぞ」
「まあ、今無償で無ければ支払い能力があるのは王国だけでしょうが、売らないでしょうし」
巡視船売却など技術流出防止法に抵触しまくりで話にならない。
二人はそのまま移民船から降りてくる日本人達の整理に駆り出されて奔走することになる。
客船から家族と荷物を降ろした新島晴三は移民先の大陸の大地を踏みしめていた。
神戸港から新島一家を含む京都市からの9隻の移民船団は一路南方大陸アウストラリスを目指した。
神戸港からは連日のように7000人の移民を乗せた船団が出港している。
途中の和歌山沖で、海上自衛隊や海上保安庁の艦船に護衛され、大陸に向けて航行するのだが、この船団には些か毛色の違う船が護衛についていた。
ルソン沿岸警備隊の巡視船『カポネス』、『シンダカン』の2隻だった。
日本で整備を受けていた2隻は大陸への帰還路訓練を兼ねて、移民船団の護衛を引き受けたのだ。
海賊船やモンスターに襲われた事件が昨年に起きたばかりだ。
巡視船2隻は軽武装であり、移民の中には不安を覚える者もいた。
しかし、移民船内でも健康診断や書類作成、大陸言語やモンスターに付いての講習会が開かれていて、不安な気持ちは埋没していった。
途中、日本に帰還する移民船団とは航路の途上で一日に一度はすれ違う。
最初のうちはすれ違う度に手を振りに船室から外に出ていたが、三日もすれば飽きてしまう。
大陸が目視出きる距離まで来ると、各移民船は各々の寄港する港に向けて別れていく。
あいにく移民船団の移民達が移民する先の福崎市は、まだ港が建設中なのだ。
それなら最寄りの港にまとめて寄港すればよさそうだが、移民船が毎日のように寄港するので移民局の管理官や検疫官が音をあげているのだ。
港の取扱貨物量の限界に達している。
なにより日本本国に帰還する移民船は、大陸から収集した農作物や地下資源を輸送する輸送船に変わる。
それらの物資を積載する為に各市の港に移民を放り投げている現状だ。
「どうせなら福崎市で降ろして欲しかったな」
ちなみに日本の植民都市は大陸東部の沿岸に各市間10キロ感覚で建設されている。
新島一家を乗せた移民船は、移住先の福崎市から600キロ先の神居市に寄港した。
ここからは陸路になるので、愚痴のひとつも言いたくなる。
港の埠頭には、北海道開拓史の偉人クラーク博士の銅像が立っている。
北海道開拓民の子孫である元札幌市民が多数住むこの街には、相応しい銅像である。
『少年よ、大志を抱け!!』
これからは自分達も開拓民なのだと、気持ちを新たにする。
元々は父親が京都の商社の重役だったが、海外との取引先が転移により消滅して収入が途絶した。
それまでの蓄えや配給で食い繋ぎ、小学生だった晴三も家庭菜園や近所の畑へのバイトに奔走して、家計を支える毎日だった。
兄の新島晴久が陸上自衛隊に入隊して、大陸の福崎市に赴任することになり、そのツテで移民の優先権を手に入れたのだ。
幸い転移前に購入していたワゴン車が残っていたことから、他の移民達よりも大量の家財道具を持ち込むことが出来た。
大陸に上陸した初日は移民局が用意した宿泊所に泊まり、簡単な書類の申請や検疫を済ますことになっている。
風土病に対する予防接種も行われる。
主要な健康診断や書類の作成は、航海中に行われているので、上陸後のものは最終確認程度のものだった。
「本国を離れる時もあれだけやったのに」
「まあ、タダで健康診断をやって貰えてると思えばいいじゃないか」
宿泊所は団地のような造りであり、掃除は簡単に施されている。
ベッドのシーツ交換と洗濯も宿泊者によるセルフサービスだ。
夕方には大食堂で移民局から夕食が無償で提供された。
「親父見たか?
鍋の中身はカレーだぜ」
「ああ、たっぷりと野菜や肉が入っていたな。
あんな豪華なカレーは何年ぶりにみるか」
転移で輸入先が消滅したことにより、牛肉を初めとする肉は全く手に入らない。
本国内の畜産農家も生産の拡大に努めてはいたが、飼料の不足から僅かな成果しか上がっていなかった。
近年では大陸から安価な飼料を献上させることで、それなりに効果は出てきたらしいが、それでも国産肉の高騰化に歯止めが掛からない状態であった。
「大陸にくれば餓死の心配は無いって本当なんだな」
晴三は豊富な具材が入ったカレーを食べながら、京都で自警団に参加していた時のことを思い出す。
転移前はエリート商社マンだった一家が餓死していた事件だった。
遺体の放置によりグール化する事件が相次いだことから、自警団は各家の住民の安否を確かめる巡回を行っていた。
遺体で発見された一家を空き地に移送し、警察官の立ち合いのもと荼毘に伏したのは苦い思い出であった。
ちなみにカレーのお代わりは二杯までである。
三杯目からは有料だ。
食器洗いは自分達でである。
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