第70話 佐々木先生

 大陸東部

 神居市


 神居市は主に札幌市からの移民を中心に造られた町だ。


 市内にある元官僚邸宅の離れにプレハプを改造した畳張りの建物が建っている。

 建物の看板には『佐々木剣道教室』と書かれている。

 道場では無く教室なのは、教える人間が拘った結果だ。

 今は体育館並みに教室はでかくなったので、このプレハブは応接室として改装することになっている。

 この日も子供を教室に預けようとしていた母親に、このカルチャー教室の教師兼オーナーが応対にあたっている。


「この教室はあくまで基礎を学び鍛練する場所だとお考え下さい。

 その為、小学校を卒業と同時にこの教室を卒業になります。

 中高生からは学校に専門の部活があるからそちらの方が良いでしょう」


 元公安調査官佐々木洋介は、退官後に大陸に移り住み、1年と4ヶ月経過しようとしていた。

 退職金と年金代わりに広大な土地と家を割り当てて貰ったので、家庭菜園の延長で始めた野菜畑が佐々木と息子2人の一家11人の食卓を彩るのに十分な規模に拡大していた。

 家族が一丸となり、頑張った成果だと誇らしくなる。

 特にカボチャ畑の収穫は売りに出せるレベルと密かな自慢であった。

 しかし、素人が始めた家庭菜園の延長線の野菜畑だけでは土地の広さを些か持て余していた。


「土地はタダみたいなものといっても限度があるよな」


 提供された家は3家族11人が、一人一人個室を貰って尚部屋余らす純和風オール電化なお屋敷だった。

 江東区に建てていたマイホームを泣く泣く手離し、沈んでいた女房が手の平を返して元気になったのは救いだった。

 佐々木は国家公務員だったこともあり、他の都民と比べて大幅に遅れて移民することなった。

 東京からの移民は、ほとんどが新京に移り住んだが佐々木は神居市の土地が割り当てられた。

 問題は四方の隣家まで徒歩10分は掛かることだ。

 道路は整備されてるので、自転車があれば特に支障はない。

 佐々木も野菜畑の片手間に孫たちに剣道を教えていると、いつの間にか近所の子供達が集まっていた。

 5月頃には建築士や大工をしていた御近所の好意で剣道教室が造られてしまった。


「いや、俺剣道も柔道も三段止まりだよ?

 人に教えて商売にしていいのか?」


 転移後は公安調査庁に所属していたが、転移前は警視庁公安部の警官だった。

 剣道や柔術は人並み以上に経験はある。

 実際の犯罪者相手に奮ってたので実践的だとは思う。

 しかしながら指導者となると話は違ってくる。


「難しく考えなくていいのよ。

 ご近所さんからは保育園とか児童会館の代わりぐらいにしか思われてないし」


 軽く言ってくれる女房には今でも苦言を呈するべきだと考えている。

 なかなか実行は出来ないが……

 だが女房の言うことも確かで、どの家も正職の他に与えられた土地で畑を耕す兼業農家となっていた。

 中高生も学校から帰宅後は、農作業を手伝うなど微笑ましい光景がみてとれる。

 しかし、小学生以下の子供の扱いには困っている。

 ここが平和な日本本国なら塾や友達と遊びに行くという選択肢があるが、モンスターや盗賊が跋扈するこの大陸では親が、安全の為に子供の行動範囲を狭めているのだ。

 もちろん市内には警察署もあるし、神居駐屯地の第48普通科連隊のパトロールが定期的に掃討している。

 それでも市民一人一人が自衛の手段を心得るのが大事だと世間では叫ばれていた。



「で、まとめて俺に預けておけと?」

「それもあるけど、最近の習い事は武器を使った武道が流行りなの。

 モンスターだけじゃなく、盗賊とか帝国残党とかもいるんでしょ?

 子供たちにも対処出来るよう育ってほしいのよ」


 学校でも体育の授業に剣道と弓道が加わると聞かされ、佐々木が考えてたよりも神居市周辺は物騒なのかと思い知らされる。

 資格の問題があるのではと懸念するが、役所からは二つ返事だった。

 自力で収入を得られる人材はまだまだ少数であり、貴重な人材への優遇は最優先で行われたのだ。

 佐々木自身が社会的に保証された立場にあった人物だったことも関係していただろう。

 色々と葛藤はあるが、剣道教室の先生を引き受けることにした。

 最初は小学生だけのつもりだったが、フィットネス感覚や近所に適当な道場が無いと理由で入門する大人枠の生徒も増えてきた。

 中には現役の日本人冒険者も鍛練の場として利用する者もいる。

 引き受けてからわかった事だが、同じ様に考えている人間は存外に多く、新京や中島の町では様々な武道の道場や教室が誕生していた。

 それらは佐々木と同じく資金や土地に余裕がある者が運営している。

 その反対に心得はあるが、生活に余裕が無い者が職を求めて門を叩くことになる。

 それは『佐々木剣道教室』も同様で、いつの間にか野菜畑の農作業を手伝う先生兼小作人が3人、5人と増えていった。

 酒の席で語られた『石狩丸事件』で、佐々木が海賊や海棲亜人と戦っていたのを見ていたご近所さんの誇張した話が、さらに佐々木の名声に拍車を掛けた。

 ちなみに事務は長男と次男の嫁2人が担当してくれた。

 その為に7月頃には、『佐々木剣道教室』は、『『佐々木剣道道場』』にバージョンアップしていた。

 事務所となるプレハプも増設されている。


「なあ母さん。

 なんだかおかしな方向に向かってないかな?」

「もうお父さんたら考えすぎですって」


 色々と疑問に思いつつ、日々を過ごしてたある8月の中頃、知人から馬がつがいで4頭送り届けられた。


「あの野郎……」

「あらやだお父さん、お裾分けですって、どうしましょう」


 戦犯として処刑されたことになってる元マディノ子爵ベッセンからだった。


「昨年、マディノであった騒動は御存知で?」


 馬を送り届けてくれた男は明らかにカタギじゃない。


「ああ、聞いている」

「その際の戦利品なのですが少々持て余してまして、ほとんど売っぱらたんですが、お世話になってる方からこちらにお届けするようにと連絡がありまして」


 男は石和黒駒一家の者で、石田祐司と名乗っていた。

 転移当時は刑務所にいたので、日本の統治区域を出入り出来る立場だった。

 服役中に第2更正師団に徴用され、西方大陸での戦いに参加。

 部隊が爆弾を括りつけた矢の雨に晒されて負傷した。

 石田は負傷したために後送され、本土で入院、治療に専念していた。

 そんな中、前線にいた第2更正師団が壊滅したとのニュースが本土で駆け巡った。

 帰る場所を無くした石田は、従軍と入院中に刑期を終えたことにより、釈放と除隊となった。

 昔の知己を頼りに、この大陸に来たらしい。

 佐々木はベッセンがどうやって石田と連絡を取ったのか聞いた。

 府中刑務所に軟禁されていて、そんな自由は無いはずだ。


「入院してたら深夜に枕元に現れまして、自分、思わず念仏唱えちゃいました。

 面識も無かったので、特に」

「あ~、それは怖いな」

「で、大陸に渡ってマディノに行けと。

 大陸に渡る資金は後日、現金書留で送られてきました」


 退院し、マディノに到着すると自分に馬を渡して佐々木家に届けるようにと言われた人間が待っていたらしい。


「近くの村の村長さんで、マルローさんとかいう人でした」


 石田は詳しいことは詮索しなかったらしい。

 その後、石田は昔の仲間を訪ねてみると、馬を神居市に送る手配をしてくれ、早々に汽車に乗せられて旅立つはめになった。


「これからどうするのかね?」

「せっかくお務めも終わったので、ひとつ冒険者とやらでもやってみようかと思っています」

「はっはは、じゃあこれもお使いクエストになるんだね」


 言われて初めて気がついたのか、石田も笑っている。

 いかにもヤクザな強面が佐々木にペコペコしている姿が目撃され、ご近所での佐々木の評判は勝手に上がっていった。

 佐々木自身は残された馬の処遇に困っていた。

 送り主は公式には死亡してるので返品は不可となっていたからだ。


「どうするんだよ、これ?

 馬なんて飼ったこと無いぞ?」


 途方に暮れる佐々木だが、長男の嫁葉子が意外なことを言い出す。


「あのお義父様、多分私飼えます」


 葉子は外務官僚の娘でお嬢様育ちだった。

 子供の頃から乗馬を嗜み、大学時代には乗馬部の厩舎で馬を飼育する作業に携わっていたらしい。

 その後は話がトントン拍子に進み、9月には厩舎が完成し、葉子を先生にする乗馬教室が10月に開校した。

 さすがに土地が足りないので隣家から持て余していた土地を借り上げている。

 餌は無駄に広い土地の草刈りによる、草の処分に困っていたご近所の雑草を食べさせておけば事足りた。

 そのままご近所の住民が、葉子の抜けた穴の事務員として雇用される。

 今の世の中、民間人にはガソリンなど滅多に手に入らない。

 舗装された道なら自転車でも問題は無いが、市街に出るのには支障がある。

 馬の需要が増えており、駅馬車が運営されている始末だ。

 馬が二頭あるならと馬車も造られて買い出しも楽になった。

 そうなると近所から注文を取り付け、まとめて購入輸送する事業まで立ち上がっていた。

 佐々木は『うちの家族は逞しいな』くらいにしか考えてなかったが、休日の朝に自宅の前の空き地が騒がしいことに気がついた。


「家の前が市場みたいになってるな」

「うちが収穫物や馬車で仕入れた品を売ってたら、ご近所の人達も収穫物や売りたいものを持ち込んでこうなったのよ。

 でもみんな喜んでくれて嬉しいわ」


 ちょっと心配になった佐々木が市場を役所に届け出ると、市場長に任命された。


「ちょっと何が起きたのかわからない」


 次の日朝起きたら、佐々木家前市場とデカイ看板が設置されていた。

 佐々木自身は剣道の先生に専念していたら、いつの間にか町の名士になっていたようだ。

 年が明けて、住民が増えてくると市内の武道系の道場や教室が加速度的に増えていった。

 ある日、お役所に道場主や教室の経営者達が集められて、市内の武道、武術の団体を統括する財団法人の設立を通達された。

 その上で佐々木に理事長になって欲しいと申し出があった。


「いや、カルチャースクールに毛が生えた程度だよ?

 うちより大きいとこいっぱい有るでしょ?」

「いえ、佐々木先生が住んでる地区には無いのですよ。

 今、本部の門下生が240名でしょう?

 お弟子さんが造られた支部も含めれば千名を越えています。

 市内でも屈指の規模ですよ」


 知らない間に市内屈指の武道道場になっていたらしい。

 名称も『佐々木流総合武道館』にバージョンアップしている。

 ちなみに佐々木自身は剣道三段でしかない。


「佐々木流ってなんだろう?」


 いつの間にかすげ替わっていた看板に創始者は首を傾げる。

 ご丁寧に佐々木が巨大な栄螺を一刀両断するイラスト付きだ。

 孫が描いてくれたものをプリントアウトしたらしく、外せなくなってしまった。


「それに推薦も多くて。

 ご存知のように武道関係者は元警察官やその関係者も多いのですが、その中でも佐々木先生は総督府にも顔が利くと聞いております」


 マディノ元子爵ベッセン関係で、府中と総督府との連絡役だった関係で、顔が利くというのは本当だ。

 周囲の熱心な期待の視線と言葉に根負けし、うっかり承諾してしまい家に帰る。


「まあ、貴方ったら。

 天下りは世間で評判良くないんですからほどほどにして下さいね」

「俺にどうしろというんだ」


台所で夕食を造る女房の苦言に途方に暮れつつ、2月になって神居市武道協会の理事長に就任する羽目になっていた。


 そんな愚痴を遊びに来た僧侶円楽に聞いてもらっていた。

 急激な環境の変化に付いていくのもやっとなのだ。


「私もフィノーラで寺院を建立することになったのですが、中僧正という僧階を押し付けられましたよ。

 本来あれはどれくらい修行したかの自己申告制の筈なんですけどね 」

「僧階ってなんだい?」

「僧侶の階級ですよ。

 まあ、あんまり意味は無いのですが、着られる袈裟の色とか有名な大寺院の住職になるのに必要になります。

 ほとんどが世襲で寺を継ぐ僧侶には必要無いですし、今は僧階なんて気にせずに紫の袈裟とか着てますからね。

 1番気にしてるのは大卒の僧侶かも知れません」

「僧侶の世界も学歴社会なの?」

「仏教の大学卒業と同時にある程度の僧階は貰えますからね。

 親より息子の僧階が上なんて寺は結構ありますよ。

 むしろ転移してから法力が使えるようになった孫世代達が、将来の悩みの種になってますよ。

 修行の成果が目に見える形になるわけですから、僧階の低さとかに不満を持つかもしれないとね」


 俗世的な悩みで、僧侶の世界も所詮は人間の集まりと佐々木はため息を吐く。

 ついでに円楽の息子の剛少年が、佐々木の孫娘の美登理にデレデレしてるのが気になっていた。

 二人は一緒のテーブルでカボチャのスイーツを一緒に食べている。

 カボチャは佐々木家の畑での収穫物だ。


「君の息子は仏教会の星だろ?

 世俗的なことに惑わされてていいのかね?」

「本当は息子には宗教に縛られずに自由に生きて欲しいのですよ。

 成長すれば立場的には難しくなってきますからね」


 日本仏教連合の大物と語らっているのが、近所でも評判となるのはすぐであった。

 そうなると、佐々木を訪ねて来るものが現れだした。


「この度の神居市の市長選で御協力頂ければ佐々木先生にもそれなりの椅子をご用意させて頂きます。

 よろしければ先生も次の市会議員に立候補するのはどうでしょう?

 全力でサポートさせて頂きます!!」


 連日、このような人物が入れ替わり立ち替わり現れて佐々木の平穏な生活を掻き乱していくことになる。





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