第55話 復讐と嵐の教団

 

 王都ソフィア


 夜更け過ぎ、人通りの少ない通りを品の良い紫のローブとフードを被った女性が歩いていた。

 人目を憚るよう周囲を警戒し、一軒の家に入ると、フードを脱いで顔を露にする。

 まだ、三十路には届かない美女だが既に未亡人の身の上である。


「いらっしゃいませ、マルロー奥様」

「手に入りましたわ、ネッセル司祭様!!」


 挨拶もそこそこにローブの中から包みを取り出す。

 紫の司祭服を着たネッセル司祭が包みを受け取り中身を確認する。


「これが」

「縁戚の娘が王都にある日系のホテルにメイドとして勤めているのですが、秋月総督が宿泊した際に部屋の掃除を任せられたそうです。

 これはその時にベッドや浴室に落ちていた毛髪だそうです。

 これだけあれば」


 毛髪の数は19本ばかり。

 20日にも満たない程度の儀式では、秋月総督に致命的な呪いは掛けられそうになかった。

 それでも信徒が懸命に集めてくれた供物だ。

 マルローは多額の寄進も行ってくれた貴族の後援者でもある。

 ネッセル司祭は落胆した顔を隠して笑顔でマルローを労う。


「はい、あいにく今日は偶然にも別の大物を呪う儀式があるので、後日になってしまいますが数日のうちに準備を整えます。

 今日はマルロー様も儀式に参加して頂けませんか?」

「喜んで司祭様」


 巧妙に隠された地下の祭壇では、複数の男女が全裸で体に奇妙な紋様を施し、呪いの言葉を祭壇の人形に唱えている。

 マルローもローブを脱ぎ、一糸纏わぬ肢体に信徒達が紋様を描いてく。


「おおっ、我らが尊き嵐と復讐の神よ。

 憎むべき……アオキカズヤ、思い知るがいい。

 痛みは消えず永遠に苦しみとともに生きるがいい。

 私の苦しみはそのまま……アオキカズヤに帰るのみ。

 アオキカズヤ……に」


 ネッセル司祭は『力ある言葉』を3回繰り返し、信徒達は唱和する。

 唱和しながら信徒逹が、ところ構わずの淫靡な宴を始める。

 信徒達から発生した狂気の魔力がネッセル司祭の体内に流れ込む。

 アオキカズヤの人形に入れられた本人の髪の毛を通じて、遠く彼方で執務するアオキカズヤの元に意識が導かれていく。

 ネッセル司祭が瞼を開くと、目の前にはアオキカズヤ本人がそこにいた。





 同時刻

 新京特別行政区域

 陸上自衛隊

 新京駐屯地

 第16師団司令部庁舎


 陸上自衛隊第16師団師団長青木和也三等陸将は、この大陸最強の兵団を率いる指揮官である。

 この夜は書類仕事に追われながら電話を掛けていた。


「ああ、新たに接収する管理区域に人員を派遣する。

 現地の調査は君達で進めてくれ。

 ふん、私はお前と違って簡単に出歩くわけにはいかんのだ。

 今も散々に振り回してくれる奴等の後始末の最中だからな」


 机の上に転がる眠気を吹き飛ばしてくれるカフェイン飲料の空瓶の数が、青木の激務の証である。

 そして、副官室から吉田香織一尉が書類の山を運んできて青木の机を狭くする。

 ため息を吐く状況だが、突然電話が雑音で聞こえなくなり困惑する。


『死ネ』


 電話から聞こえた声に驚くと、片手の自由が利かなくなり、勝手に机の引き出しを開けて拳銃を取り出す。

 安全装置を外し、こめかみに当てて引き金を曳こうとする。


「陸将!?」


 咄嗟に吉田一尉が青木の拳銃を前に引っ張り、発砲された銃弾が青木の頭部に当たるのを防ぐ。

 銃弾は壁に、拳銃はそのまま床に落ちた。

 銃声に庁舎内にいた隊員達が集まってくる。


「何があった!!」

「り、陸将が突然、銃を!!」


 隊員達が青木陸将を取り抑えようとして、足を止めて驚愕する。

 青木陸将の手首が見えない何かに掴まれてるような跡がくっきり見えるのだ。


「離れて!!」


 吉田一尉が転がっていた拳銃で、『何か』がいると思われる空間に向けて発砲するが、空を貫き壁に穴を開けただけだった。

 隊員の一人が無謀にも『何かに』体当たりしようと突っ込んでいくが、見えない壁に弾き飛ばされたように吹っ飛ばされて昏倒する。

 だが見えない『何か』は急に苦しむような悲鳴を上げて、掴んでいた青木陸将の腕を離して消え去っていた。

 痙攣して倒れる隊員の横では、吉田一尉の衛生科を呼ぶ叫び声が木霊していた。






 同時刻

 王都ソフィア

 地下祭壇


「ぐがぁぁぁ!!」


 絶叫とともにネッセル司祭が床に倒れこんだ。


「司祭様!?」

「ネッセル様が、いったい」


 儀式に参加していたマルローをはじめとする信徒達が、これまでに観たことが無い事態に困惑し、恐れおののいている。

 幾人もの信徒達が駆け寄って、ネッセルを取り囲んで来る。

 薄れゆく意識の中で、ネッセルも困惑していた。

 確かにネッセルは嵐と復讐の神の力を借りて意識体を敵将アオキカズヤのもとに放っていた。

 出来ることはたかが知れていた。

 例えるなら針で一刺程度の痛みを与えられるのが関の山だ。

 これを毎日続ければ次第に対象は衰弱して死んでいく。

 死ぬまで続ける。

 これが大きな神々の御加護があるはずの一国の高官であるアオキカズヤに出来る細やかな呪いの筈だった。

 しかし、結果は予想以上のものだった。

 対象に声を聞かせ腕を掴んだ。

 ネッセルの意識体の腕は、アオキカズヤの腕に溶け込み自由に動かした。

 アオキカズヤの体を抑え込もうとした護衛を弾き飛ばし、精神を侵食した。

 これほどの行為が可能だとはネッセルにも予想外だった。

 あれではまるで、一般庶民の幼児並みの抵抗力だった。

 急に意識を肉体に戻されたのは、ネッセル自身の魔力が尽きたからだ。

 本来は30を数える間に戻るつもりが、対象の抵抗力の無さから意識体が暴走して長く留まってしまったのが原因だ。


「だ、誰かに伝えねば」


 混濁したネッセルはまわりの信徒の存在を認識出来ていない。


「な、何をですか?

 誰にですか司祭様?」


 マルローが声を掛けるが、ネッセルには聞こえていない。


「ロムロ司祭長様に、地球の民は、魔法に……」


 聞き取りづらい口調で、王都に居住する嵐と復讐の教団の上司の名と地球人についての何かを口にし、ネッセル司祭は気を失い、三日三晩意識を取り戻さなかった。









 新京特別行政区


 早朝、大陸総督府会議室では昨晩の事件の報告が行われていた。

 会議室には自衛隊、警察、公安、海保といった治安関係の幹部が参集している。


「青木陸将の容体は?」

「外傷はさほどでもありません。

 ただ、妙に身心に衰弱の傾向が見受けられて入院となりました。

 また、警固の隊員も一名が軽度の打ち身を負いましたが、こちらも体重が10キロも減るという衰弱状態で入院しました。

 頭痛と吐き気に襲われていますが、命に別状は無いとのことです」


 秋山補佐官からの報告に秋月総督は眉をしかめる。


「それで、相手はいったい何だったんだ?

 監視カメラにも警備システムにも引っ掛からない等と、幽霊でも相手にしたのか!!」


 最初に考えられたのは、青木陸将の執務室で何らかの不祥事が発生したことによる隠蔽だった。

 例えば副官の吉田一尉に不埒なことをしようとして、殺されそうになったとかだ。

 その疑いは事件当時青木陸将が通話していた相手が、異常を察知したことにより、通話をレコーダーモードにして、一部始終を記録していたことにより解消された。

 秋山補佐官は事態の深刻さを伝える。


「警察や自衛隊には、基本的には幽霊と対処する能力はありません。

 これまで相手取ったアンデットは実体のある存在でしたが、今回は違います」

「幽霊なら、青木陸将個人に対する怨みの線じゃないのかな?

 大陸で血を流しすぎたからな、実戦部隊の長は色々怨まれているだろう。

 しかし、これは仮にも国の機関が話し合う内容なのか?」

「まあ、現行法でも存在や対処が認められた存在ですし」


 転移前の彼等がこんな事を公的な会議で真面目に話し合っていたら、マスコミに非難のネタを提供していただろう。

 転移後の現在は幽霊は公式にモンスターの一種として認められた存在となった。

 グールが本国内で大量発生した青木ヶ原の事件では、幾体かの幽霊が確認されて映像にまで記録されている。

 余談ながら転移前に死亡した人物の幽霊は確認されていない。

 また、確認された幽霊はすべからく悪霊の類いであった。

 秋月総督も頭では理解しているが、実物を見たことがあるわけでは無いので話についていけない。


「青木ヶ原の事件ではどう対処したんだ?」


 秋月総督の問いに、事件を担当した第34普通科連隊連隊長神崎雅樹一等陸佐が、天を仰いで額に皺を寄せて答える。

 彼の経験を聞く為にわざわざ大陸中央部からヘリコプターで拉致されてきたのだ。

 神崎一佐は当時、第34普通科連隊の大隊長の一人として事件に関わっていた。


「尻尾を巻いて逃げ出しましたね。

 その後は発生場所を隔離し、遠巻きに牽制して、政府が組織した国内の宗教家や霊能者で編成された部隊を投入しました」


 秋月は当時から大陸で活動しており、詳細までは知らなかった。


「結果は?」

「役立たずは半月で全員失業しました」


 当初はグール等の実体のあるアンデットを相手にするだけの筈だった。

 だが場所柄なのか、10数体の霊体系のアンデットと遭遇する事態となる。

 政府は宗教を問わずに高名な聖職者やテレビで名声を得ていた霊能者を無理矢理徴用し、青木ヶ原に放り込んだ。

 投入された彼等の『術』や『祈り』、『徐霊』は、青木ヶ原の幽霊達相手に足止めにもならなかった。

 例外は協力者だった大月市にある円法寺の住職で、仏との扉を開いたとされる円楽氏のお経くらいだった。

 他の者達は自衛隊隊員の援護のもとに幽霊と対時したが、恐怖で逃げ出したり、取り憑かれたりで散々な有り様だった。

 名声を失った彼等は『業界』に復帰することはなかった。

 彼等を推薦した宗教会の権威は地に落ちていく。


「まあ、成果が全く無かったわけではありません。

 お経や浄められた水や塩、そしてショットガンが、足止めや牽制で使えることがわかりましたから。

 当時の経験のある隊員達を交代で駐屯地と陸将の病室に派遣しましょう」

「「ショットガン?」」


 神崎一佐の言葉に全員が首を傾げる。

 提案は他に新京や竜別宮に居住する魔術師、神殿の司祭達や冒険者に相談することも実施されることとなった。


 この時の彼等は根本的に自分達の相手の正体を理解しておらず、検討外れの会議のもと対策が立てられていた。

 門外漢しかいなかったから仕方が無い話ではあった。

 会議室を出た神崎一佐は、34普連の前任の連隊長だった市川一佐の言葉を思い出す。


「この世界で発生する現象は日本も例外じゃない、か」


 神崎一佐が派遣した隊員達は、10日ほどは何事も無く過ごすことなった。


 

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