第53話 追跡行 前編
日本本土から西へ1万5千キロ
米国海上要塞『エンタープライズ』
米国海上要塞『エンタープライズ』は、高麗国の半潜水式プラットフォームを流用して建造された。。
全体としては海に浮いている構造で、脚部は海中にある。
構造物を浮かばす浮力を保ち、錨を入れて固定するが、場所を移動させることが可能で浮力タンクに水を入れて上下させることも可能だ。
もともとは石油や天然ガスを採掘する為のプラットホームで、大型タンカーの寄港も可能である。
問題として、いまだに完成に至っていない。
現在も高麗国巨済島の玉浦造船所で残りのブロックが建設中だ。
イカの軍勢の襲撃中に建造していたのはブロックB『コロンビア』にあたる。
現在の大きさはサッカー場の面積よりやや広い8千平方メートル程度。
その『エンタープライズ』に3隻の艦が寄港していた。
海上自衛隊の砕氷艦『しらせ』、護衛艦『あさひ』、潜水艦救難艦『ちよだ』である。
『あさひ』も『ちよだ』も転移前に起工が始まっており、転移後もそのまま建造が進められて就役した艦だ。
「あれでまだ4分の1なのか?」
『エンタープライズ』の巨大さに艦長の野宮敬紀一等海佐は感嘆の声をあげている。
『しらせ』は南極観測船としての任務は無くなり、調査や輸送の任務に使用されている。
任務の為に立入検査隊が一個分隊が乗り込み、艦内に常駐するようになっている。
この11年の歳月の間に改修も受け、JM61-RFS 20mm機銃が2基設置されている。
北サハリンのアクラ型原子力潜水艦K-391『ブラーツク』への食料補給の任務を終えた『しらせ』は、給油の為に『エンタープライズ』に立ち寄った。
長距離の航海が可能な『しらせ』は給油の必要はないが、『あさひ』や『ちよだ』はそうもいかない。
両艦の航続距離では、『しらせ』の半分も着いていけない。
途中の綏靖島まででも燃料の9割近くを消費する。
これは燃費向上を目指したあさひ型護衛艦や他艦に給油能力を有するちよだ型潜水艦救難艦も例外ではない。
綏靖島で給油が出来ても、同距離にある西方大陸アガリアレプトの米国の拠点、アーカム州アダムズ・シティに到着する頃には燃料のほとんど消費してしまう。
これではいざという時の迅速な作戦展開に対応出来ない。
「米軍が中継地点として『エンタープライズ』を欲しがったのは理解できるな。
作戦範囲が広がり、我々には迷惑な話なんだけどな」
野宮艦長の言葉にブリッジは笑いに包まれる。
実際に呼び出されて長い航海を強いられる海上自衛隊からは
「ミサイルぶちこんでいいかな?」
が、流行りのジョークになっている。
今回は僚艦の給油に付き合っての寄港だか、念のために『しらせ』も『エンタープライズ』から食料や水の補給を受けることにした。
暇そうな乗員達に仕事を与えて、気を引き締める必要もある。
「しかし、『ブラーツク』の連中、食料の備蓄の少なさを理由に追跡を断念する口実が無くなったと嘆いていたな」
「あての無い航海ですからね。
3ヶ月も追跡を続けて疲労も溜まっているのでしょう」
「水産庁の追跡もまだ続いている。
あっちも大丈夫なのかな?」
砕氷艦である『しらせ』が補給任務を命じられたのは約1,100トンに及ぶ物資輸送の能力と長距離の航海が可能な航行能力があった為だ。
主に補給されたのは、新鮮な野菜や肉に缶詰といった食糧とウォッカだ。
飲料水は原潜なら自給出来るが、ウォッカはそうはいかない。
差し入れというレベルの量ではない。
補給に大量の酒とは、自衛隊からみれば度が過ぎている気がするが、北サハリンの大使にほっとくと反乱か、原潜内で密造をしかねないと訴えられての処置だった。
北サハリン新興の酒造メ―カー『ヴェルフネウディンスク』のウォッカは、大陸から徴収した年貢の小麦をふんだんに使い、安価なウォッカの製造に成功している。
補給を受け取った『ブラーツク』の乗員は歓喜の声をあげていた。
また、艦内には複数の医師が乗艦しているので、『ブラーツク』の乗員の健康診断も行われた。
航海長の能登孝光三等海佐は健康診断に立ち会い、深刻な顔をしていた『ブラーツク』乗員の顔を思い浮かべて答える。
単なる哨戒任務とは訳が違い、敵に付かず離れず気取られず。
神経を磨り減らす任務なのは想像に難くない。
だがウォッカを受け取った後の彼等の顔色の変化は見ものだった。
「青くなったり、赤くなったり忙しい連中だったな」
野宮一佐も苦笑するしかない。
補給の間も対象の追跡は続行されていた。
『しらせ』に搭載された掃海・輸送ヘリコプターMCH-101と、対潜能力に優れた護衛艦『あさひ』や潜水艦救難艦『ちよだ』の深海救難艇(DSRV)を使用して行われのだ。
幸いなことに追跡対象は低速で海中を移動していた。
そのおかげで『しらせ』は、『ブラーツク』と合流でき、補給を行うことが可能だった。
束の間の休息だが、『ブラーツク』乗員に他艦との交流が精神の安定に役立てればよいなと能登三佐は考えていた。
アルコールはほどほどにした方が良いとも思えた。
当直と交代した野宮と能登の2人は、暫くは仕事が無いので食堂に入る。
食事中の乗員達は野宮に敬礼し、食堂に備え付けられたテレビに釘付けになる。
この海域は『エンタープライズ』の電波搭が、日本のテレビ放送の受信を可能にしていた。
誰もが日本のニュースに飢えていた。
ニュースの内容は政局の話題だった。
「与党が補欠選挙で負けたか。
これで過半数を割り込んだとは大事だな」
野宮はトレイにカレーを載せて、席に着席しながらニュースの感想を述べる。
元々、与党と野党第一党が鍔競り合いを続けてきた国会だが、第二の野党である日本国民戦線が、大陸に対する強行な路線を主張して議席を伸ばしていた。
無策な最大野党と温和路線をとる与党の議席を食いまくった結果である。
その声望は与党も無視できず、主張の被ることが多い与党に対して、連立を組むことを打診している。
能登も同席して食事を始めながらぼやくように呟く。
「国民戦線は自衛隊に好意的ですからね。
我々としては都合がいいですが、主張が過激過ぎて自衛隊をより危険な任務に投入しかねないところが怖いですね」
「何事もバランスは大事だよな」
日本国民戦線が要求した閣僚の座席は次期大陸総督の椅子である。
与党も副総理と同格に位置ずけられている大陸総督の座を簡単に明け渡すわけにいかず、両党の間では折衝が続けられている。
次のニュースは人口が30万人に減少し、東京市となった首都のものだった。
ニュース自体は他愛の無いもので、皇居外苑の北の丸公園の封鎖と城塞としての工事が開始されたとの報道だった。
予定では北の丸公園内に10式戦車の車体を拡大した新造車体の20式自走高射機関砲が設置されることが決まってた。
つまり小規模だが皇居に自衛隊が駐屯するのだ。
旧近衛師団司令部庁舎だった東京国立近代美術館が、隊庁舎として割り当てられている。
「そういえば練馬の駐屯地の拡張工事も終わったそうですよ。
あそこも手狭になってましたからね」
「本当に東京から人がいなくなったんだな。
嘘みたいだな」
第一即応機動連隊の増強とともに手狭になっていた練馬駐屯地は、住民がいなくなった旧練馬区北町全域を整地してほぼ駐屯地として工事をした。
例外は氷川神社と一即連が協力して拡張した畑を持つ農家くらいだ。
この畑には一即連の隊員や家族も開墾や収穫に参加する共同農場も含まれる。
敷地の確保は予想以上にスムーズだった。
食糧を確保する為に大半の住民は地方に脱出するか、大陸に移民するか、死ぬかの三択を迫られたからだ。
食糧自給率が1%の東京に留まるなど自殺行為でしかない。
大半の住民は転移により仕事が無くなり、地方への移住を選択した。
これは他の大都市圏でも同様の動きをみせている、。
転移による混乱の状況が少し落ち着くと、政府は食糧の自給を国策として奨励することになった。
公務員の副業も法改正で、第一次産業には許可されるようになる。
一即連は隊員達の出資と労働力の提供で、放棄された土地を買い叩き、駐屯地近辺の住宅地等を整地をして農地に変えてた。
食糧配給を優先される自衛隊隊員を頼って集まった親族も参加し、地元に残った農家の指導のもとに共同農場を造り上げたのだ。
この第一即応機動連隊練馬共同農場をモデルケースとして、各地の自衛隊や警察も倣い始めた。
かくも日本本国の食糧事情は厳しい証明ともいえた。
「効率的な大根の生産に対しての研究会に横須賀も参加しないかと、練馬からオファーが来ているらしい」
「それは是非、参加するべきですね」
『しらせ』の乗員や家族も母港としている横須賀に大根やカボチャの共同農場や漁船を運営している。
横須賀では隊員の家族も大根飯で、1日の糧を賄っている。
カレーという贅沢をしているのが後ろめたいが、航海の士気を保つ為にも必要だった。
「しかし、横須賀でカレーが食えないなんて、嫌な時代になったものだ」
野宮は転移の前年に、護衛艦カレーを食う為に万の単位の行列が基地に並んだ光景を思い出す。
補給を終えた『しらせ』と僚艦2隻は、翌日の朝には『エンタープライズ』の東方約5千キロの距離にある日本領綏靖島に向かう為に出港する。
一週間ほどの航海で綏靖島の港に入港だ。
綏靖島は日本やアメリカを含むいまだに独立都市建設に至っていない訪日外国人の居住区や多国籍軍の拠点が置かれている。
一応は日本の領土扱いだが、日本政府は統治にあまり積極的ではない。
申し訳程度に役場と警察署と自衛隊の駐屯地、空港と港が置かれている。
民間人も名物である果実農園の一家が数件居住している程度だ。
この島の海上の防衛を請け負うフランス海軍のフロレアル級フリゲート『ヴァンデミエール』の姿が港に見受けられる。
「先日、東南アジア六か国による独立都市建設が合意に至ったそうだ」
サミット中も運動が行われていたマレーシア、インドネシア、バングラデシュ、ブルネイ、モルディブ、パキスタンのイスラム諸国による独立都市であった。
約7万人の人口の街となる予定だ。
この世界では初のイスラム系自治体の誕生となる。
「次期独立都市の選定の筆頭がフランスかトルコだからな。
トルコも抜けたら多国籍軍は海上戦力が無くなるな。
どうするつもりなんだろうな?」
だがどうやら他国のことを論じている場合では無いことを彼等は知ることになる。
島内で購入した新聞の見出しに、政府与党が野党日本国民戦線が連立を組むことが書かれていた。
日本国民戦線は大臣の席一つと引き換えに、次期大陸総督の要求を緩和したのだ。
南方大陸アウストラリス
新京特別行政区
大陸総督府
総督執務室で、秋月総督と秋山補佐官は渇いた笑顔で来客に応対していた。
「はっはは、この度アウストラリス大陸総督府、副総督を拝命した北村大地です。
やっとこの大陸の仕組みを理解しだした若輩者だが、慣れるまで色々なご迷惑をおかけると思いますが、ご指導ご鞭撻の程よろしく頼みますよ」
実に尊大な着任挨拶に秋月は眉をしかめる。
秋山補佐官も眉をしかめてるが、対象は北村副総督に対してではない。
その後ろにいる胡散臭い笑顔の男に対してだ。
「お久しぶりです。
この度、北村副総督の補佐官に命じられた青塚栄司と申します。
一日も早くこの地に慣れ、皆様の仲間入りをさせて頂きたいと思いますので、ご指導とご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます」
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