第52話 主席閣下の勤労な日々
大陸西部
新香港領内大森林地帯
夜が明ける頃、近隣の住民を襲撃していた吸血大蝙蝠の巣穴の洞窟を新香港武装警察隊の湯正宇大尉が率いる部隊が包囲する。
周辺の獲物を狩っていた吸血大蝙蝠の全長は1mを越える大きさだ。
確認出来ただけで約90匹相当。
先日も一家11人の家族、30匹の家畜の豚が血を全て吸い付くされて発見された。
村の自警団が銃を撃って退治しようとするが、超音波で自警団の位置を把握したのか早々に逃げられてしまう。
それは駐在所の武装警察の隊員達も同様であり、被害が拡大していた。
連絡を受けて、新香港武装警察隊でも半魚人の軍団やシーサペントと戦った実績を持つ湯大尉の部隊が派遣されてきたのだ。
「報告書は呼んだ。
こんな化け物とまともに戦ってられるか!!
巣穴を特定して爆破しろ」
被害の範囲と吸血大蝙蝠の巨体を収容出来る洞窟などそう多くは無く、捜索初日で発見された。
軍用に改造した観光バスやトラックに隊員の身を隠し、群れが夜明けと共に洞窟に入っていくのを確認してからの包囲する。
すでに巣穴にはセムテックス、プラスチック爆弾を多数設置している。
「爆破!!」
一斉に爆破したが、なおも生き残った吸血大蝙蝠達は火だるまに成りつつも洞窟から脱出しようとしていた。
飛んでくる吸血大蝙蝠に隊員達は日本製カラシニコフAK-20Jの5.45mm弾の裁きを浴びせ続ける。
ようやくヤクザからの押収品でない制式な装備を支給されて、湯大尉も上機嫌だった。
「日本製なのが皮肉だかな」
北サハリンが発注した兵器のおこぼれだから仕方がない。
だがこの調子なら昼には本部に掃討の報告が出来そうだった。
新香港
新香港の軍港に北サハリン海軍のオホーツク型航洋曳船『アレクサンデル・ピスクノフ』が朝早く入港してくる。
桟橋には応急的な修理が施されただけの094型原子力潜水艦『長征7号』が停泊している。
『アレクサンデル・ピスクノフ』は、曳航作業の為に航海してきたのだ。
港では視察に来た新香港主席の林修光が、『長征7号』の乗員候補生が整列する壮行会会場である広場に到着していた。
艦長代理である呉定発大尉が、乗員に号令を掛けて敬礼をする。
「御苦労だった呉艦長代理。
その後、体の調子は如何かな?」
「はい、おかげさまを持ちまして万全の体調を取り戻すことが出来ました」
『長征7号』は日本を含む地球系連合との合流や連絡を取れないままにこの世界に転移してしまった。
艱難辛苦の異世界サバイバルのあげくに乗員達は次々と死亡し、最後の生き残りだった呉大尉が新香港に逃げ込むことに成功した。
当局に保護された時には精根尽き果てて憔悴しきっており、入院による静養を余儀なくされた。
その後は『長征7号』奪還作戦に参加し、新香港武装警察海警局に編入された。
そして、現役で唯一の潜水艦乗員の士官として『長征7号』の艦長代理に任じられた。
その後は潜水艦乗務経験者や志願者を集めて乗員としての訓練を施す毎日だった。
「ようやく34名か。
十分な人数を集めることが出来ず申し訳無く思っている」
「時間がありませんでしたので、致し方ありません。
ようやく艦体の修理の目処がたったのです。
これからであります」
本来なら094型原子力潜水艦の乗員は140名である。
せめて半分でも集めないとまともに航行も出来ない。
今は新香港近海を申し訳程度に洋上航行が可能なだけだ。
「人員の都合がつき次第、そちらに送り込むから鍛えてやってくれ」
「はい、おまかせ下さい主席閣下!!」
訓練に関しては日本と北サハリンが、協力してくれることになっている。
また、今回の修理先が日本と北サハリンの共用の施設ではあるが、日本領になるので海上自衛隊の護衛艦『いそゆき』がエスコート艦として同行する。
その為に『いそゆき』艦長の石塚二佐も壮行会に参列していた。
「大湊で我々の分も含めたの防寒具を補給をします。
あの島は冬には海も氷で覆われる場所ですから、覚悟はしといて下さい。
しかし、異世界に来たと言うのに気候は地球と変わらないのは不思議なものですな」
ずっと南方大陸に住んでいた為に新香港武装警察隊は、適切な防寒具を保有していない。
石塚に脅かされて呉大尉は少し憂鬱になるが、今さら計画に変更はない。
今はまだ秋だが修理期間中には冬がやってくる。
よくもあんな流氷に覆われる地にソビエト連邦は、潜水艦の基地を築いたものである。
壮行会を終えた呉艦長と乗員達は、『長征7号』を『アレクサンデル・ピスクノフ』に曳航する作業に戻っていった。
それを見送る林主席は、昨晩遅くまで新任のガンダーラ大使との会談を行っており、寝過ごして朝食を食べ損ねていたのだ。
新興の都市であるガンダーラの建設の利権にはなんとしても食い込む必要があったからだ。
壮行会会場には立食形式での食事も用意されてたが、次から次へと挨拶にやってくる客人の為に食べ物を口に含む暇が与えてもらえなかった。
昼過ぎに壮行会会場を後にした林主席だが、官邸であるノディオン城にはまだ帰る事が出来ない。
その足で新香港港湾局のビルに入っていく。
お腹が空いたのだが、秘書官達は林主席が朝食は城内で取っており、壮行会会場でもそれなりに食していただろうと思い込み誰も気にしていなかった。
仮にも新香港主席がお腹が空いたなど、言い出しずらかった林主席にも問題がある。
応接室には既に日本の相合元徳大使が案内されており、軽く挨拶をかわして着席する。
「今回はお互いに災難でしたな」
「いや、まったくで、本国のお偉方も頭を抱えていますよ」
同意する相合大使に親近感を覚えつつ港湾局局長に見せられた資料に目を通し、港湾局局長の説明に聞き入る。
話が長くなりそうで林主席は早くも憂鬱な気分に陥っていた。
先月のサミットでの米国からの援軍の要請に王国が名乗りを上げたことがこの問題の発端であった。
王国が動員すると豪語した兵員の数は10万人に及ぶ。
問題はそれだけの兵員と物資をどう輸送するかなのだが、肝心の船団が新香港とルソンに存在したので押し付けられる羽目になったのだ。
「我が新香港が動員できるクルーズ船は約40隻になります。
乗船する兵員は約4万5千人を想定しています。
また、車両の格納庫に馬や竜の為の厩舎を仮設します。
他にも食料や水も現地で確保出来るまでは、こちらから持ち出さないといけません。
船上ではともかく、上陸後も約1ヶ月は活動できる分の糧食や水も同船団で運びます。
しかし、一番の問題点は作業の開始をいつから始めればいいかです」
「えぇ、困ったものです。
いつになったら集まるのですかね、援軍とやらは」
港湾局長の言葉に相合大使も困った顔で相槌を打つ。
計画だけは立てたか、船団をいつ召集すべきか目処が立っていない。
どの船も現在はそれぞれの仕事を抱えていて、大半は新香港にいない。
米軍の要請に対し、王国側はようやく志願者を募集する立札を半月ほど掛けて各領地に設置したと誇らしく連絡してきたばかりなのだ。
この迅速な立札の設置は王国の統治機構が意外に優れていたことを示していた。
しかし、米軍の考えるスピーディーな展開を期待していたラプス米国大使は、タイムスパンのギャップを聞かされてショックで寝込んでしまった。
「普段からアミティ島に閉じ籠ってコミュニケーションを取らないから、いざというとき文化の違いに困惑させられるのだ」
「全くです。
普段、我々がどれだけ王国や貴族達との折衝に苦労してると思ってるのか」
林主席と相合大使は米軍の悪口で意気投合し、後日この日の打ち合わせは『日本と新香港の認識は一致している』 と公式には発表されている。
議事録を修正する秘書官達の苦労が偲ばれる。
さて、この打ち合わせに何故日本側が参加したのかだが、現在のクルーズ船団の雇い主が日本国政府だからだ。
「クルーズ船には我が国が王国からの賠償として納められている食料を日本列島に輸送する仕事を割り振っています。
新香港船団とルソン船団、他の船団合わせて70隻が往復の航海で半年も抜けるのは問題があります。
食料輸送が滞って損害を蒙る我が国としても遺憾を表面したいくらいですよ」
転移前の日本は中国人の爆買いツアーの大ブームの真っ最中であった。
彼らが利用したのが、クルーズ客船という旅客船である。
飛行機に比べて船による運送可能な荷物の量は大幅に増え、宿泊施設としても利用できるクルーズ船は人気の的であった。
2015年に日本に寄港したクルーズ船は千隻に迫る勢いだった。
転移後に大量に巻き込まれた中国人観光客の住居としても利用された。
外国人観光客最大勢力である中国人に船舶だが、住居を与えることは治安面から大きいメリットとなった。
想定された外国人観光客によるデモや暴動も小規模となり、警察による対処の範囲で収まっている。
また、大半の船舶は税制等の処置で、パナマやリベリアといった小国の船籍で登録されていた。
しかし、船舶を所有する船会社は転移に伴い簡易的な事務所か、支社しか日本には設置しておらず給与も出ないことから真っ先に日本人社員は離脱して会社としての機能を消失させた。
船員達もほとんどが外国人であり、船籍と船員の国籍もバラバラで混乱を招いた。
国土交通省と外務省が音頭を取り、各船ごとの船員の国籍を統一させ国籍に船籍を合わせる調整が行われて現在に至る。
現在のクルーズ船の業務の半分が、大陸からの日本に向けての食料輸送だ。
1億を越える国民を食わせる食料は莫大だ。
とても輸送船だけで賄える量ではなくクルーズ船も動員されているのだ。
「本国でも輸送船の建造は進んでますが、高麗に依頼していた巨済島の造船所の襲撃は打撃でした。
まあ、間に合ってても穴埋めには全然足りないのですがね。
護衛の艦隊は米国が空母を出すと言ってるから問題は無いでしょう」
イカ人の襲撃から守りきった玉浦造船所だが、工員や運送業者に少なからず死傷者が出てた為に建造に遅延が出ていた。
何より転移してきた船はどれも建造後、最低でも12年は経過している船が多い。
一般的な旅客船の耐用年数は11~15年と見られている。
老朽化が著しい反面、ドック入り等のメンテは遅々として進んでいない。
事故やモンスターの襲撃で沈んだ船も1隻や2隻ではない。
船の数が減れば、日本に輸送出来る食料や資源も減るのだ。
日本本土でも未だに食料不足による餓死や栄養失調による衰弱死、医薬品の欠如による死亡は年々高まりを見せている。
物資輸送の遅延は文字通りに致命的な事態を招くのだ。
高齢者を中心とする死亡者数は、転移後のベビーブームで産まれてきた『地球を知らない世代』を上回る速度で増加しており、大陸への移民の増加に合わせて日本本土人口の減少に歯止めが効かない状態になっている。
今回の事態はそれに加速を掛ける恐れが高い。
色々激論やら米国への悪口で盛り上った打ち合わせであったが、林主席も昼食を食べ損ねて半死人の気分でノディオン城に帰宅することなった。
ようやくノディオン城に帰ってきた林主席であるが、かつての地球時代の共産党幹部の贅を凝らした生活とのギャップにため息が出る。
ようやく夕食が取れると執務室に向かう。
執務室のバルコニーに夕食を運ぶよう城付きの職員に命じようとすると、制服を着た武装警察の将官に声を掛けられる。
「お待ちしておりました主席閣下」
新香港武装警察隊総監常峰輝武警少将が、執務室で待ち構えていたのだ。
思わず身構えた林主席は咳払いで誤魔化す。
「まだ、何かあったかな?」
「はい、領内におけるスタンピート現象により発生した吸血大蝙蝠討伐結果と、周辺地域被害の定期報告です。
少し早いのですが、幾つか問題点が発覚しましたので至急お耳に入れようかと馳せ参じた次第にございます」
「ああそうだな。
まだ、それがあったか。
ふう、たまには問題は何も無い、と言う言葉が聞きたいな、始めてくれ」
空腹はもう少し我慢する必要がありそうだった
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