第49話 サミットの後始末
ロシア海軍太平洋艦隊は、多数の艦艇が転移に巻き込まれていた。
その中には原子力潜水艦13隻、キロ型潜水艦3隻も含まれる。
北サハリンにオスカー級原子力潜水艦4隻。
西方大陸アガリアレプトにアクラ級潜水艦5隻。
ヴェルフネウディンスク市にはキロ型潜水艦3隻とアクラ級1隻が配備されている。
デルタⅢ型原子力潜水艦は各々の港に1隻ずつ配備されていた。
現在逃走中の巨大海亀を追跡するのは、ヴェルフネウディンスク市に配備されていたアクラ級原子力潜水艦『ブラーツク』である。
その『ブラーツク』の艦内で、乗員一同が困り果てていた。
敵を追跡し、本拠地を探る任務を拝命したのはいいが、いつまで追跡すればいいのか不明なのだ。
いつ終わるか不明な任務は、通常の任務より乗員に負担を強いる。
幸い大型海亀の速度は遅い。
最大でも15ノット程度なら振りきられることはない。
遠距離からソーナーで捕捉しているので、こちらに気がついていない。
「食料の備蓄は往復で35日分が限度です」
燃料や水、空気は心配ないが、食料だけはどうにもならない。
サミットに対応し、バレないよう先月から百済沖の海底に潜伏していたのが祟ったのだ。
出港前に艦の食糧庫を満載に出来るほど、北サハリンの食糧事情は豊かではない。
「早く目的地にたどり着いてくれればいいのだが」
乗員達は半年でも1年でも海底に潜伏しても士気は落ちないが、それも十分な食料があればこそだ。
この際、本拠地でなく中継地でもよかった。
いざとなれば同盟国や都市に補給や交代の艦を要請する必要がありそうだった。
「通信ブイを揚げ、本国に本艦の位置と十分な食料を積んだ艦を準備しろと伝えておけ」
「日本に傍受される恐れがありますが?
本国はこの任務を高麗との取引に繋げたいから、日本に関わらせたくないのでは?」
「政治のことは政治家に任せておけ。
それに原潜の無い日本に長期の追跡は出来ない。も関わらずに、南サハリンやクリル諸島を明け渡さなければならなかったのはロシア人達には屈辱であった。
日本に頼らない、或いは日本が頼られる国を造るのは北サハリンの悲願である。
今回は北サハリンが地球系国家・都市の中で優位に立った行動をしている。
それだけでも彼等の矜持を満足させた。
日本に主導権を奪われるのは御免であった。
百済港
国防警備隊の中隊長の柳基宗大尉は、あの乱戦の中を生き抜いていていた。
空を乱舞するハンマーや岩球を転がりながらも避けまくり、多くの同僚、部下、民間人達が死傷する中、生き抜いたのだ。
だが彼には休む暇は与えられない。
彼の目前には今回の戦いでも無傷か、軽傷の隊員を集めた二百名が整列している。
国防警備隊の百済市での死傷者150名に及ぶ。
柳基宗大尉は用意した木箱の上に乗って語り始める。
「諸君、昨日の戦いは御苦労だった。
すぐにでも休暇を与えたいところだが、本国も海の化け物相手に攻撃を受けてひどいことになっている。
幸いにも撃退には成功したが、残党がまだ残っている。
負傷者は第6連隊で預かり、治療に当たるが、諸君には本国での掃討作戦に参加してもらう」
隊員達の士気は低い。
この百済の市民でもある彼等は、転移当時、日本に旅行や仕事で訪れて巻き込まれた者達が主流だ。
高麗本国を故郷に持つ者は皆無に近い。
本国の三島はもうほとんど敵の姿が無いが、周辺の小島に敵が陣取っているらしい。
日本が撤収を決定した以上、国民を鎮撫する為、彼等の力がまだ必要なのだ。
補給中の李舜臣級駆逐艦『大祚栄』に柳基宗大尉は先発隊と乗り込み先行する。
主力は客船をチャーターしてから出港となる。
彼等の戦いはまだ終わらない。
巨済島
巨済島の鎮圧を終えた日本の派遣部隊は、撤収の準備を整えていた。
輸送艦『くにさき』に特別警備隊の水陸両用車や哨戒ヘリの収用が始まっている。
中川海将補も荒廃した巨済市を眺めながら、些か中途半端さを感じていた。
日本から見れば市街や市民がどうなろうと、玉浦造船所とそこの技術者達さえ無事なら任務は成功なのだ。
だが特別警備隊隊長の長沼一佐が上機嫌な様子に首を傾げる。
「帰国したら今回の作戦の実績を評価され、三菱重工が開発したまま凍結していた試作水陸両用車を1両だけですが配備してもらえることになりました。
もう冷飯食らいなどとは呼ばせませんよ」
三菱試作水陸両用車は、尖閣諸島有事等の離島奪還や対ゲリラ戦や市街戦を考慮して開発されたものだ。
現行のAAV7の3倍以上の高速航行が可能である。
米国は新型の水陸両用車を開発し配備寸前だったが、余りに高額で計画は破棄されていた。
AAV7は試作1号車の開発から50年以上経過し、さすがに古臭さが目立つ。
歩くより遅い水上速度と防弾性能の不足が、現場から不満をもたらしていた。
米海兵隊は1300両のAAV7を運用していたが、実際の運用では「水陸両用車」としては使わず、もっぱら市街戦での輸送車やバリケードとして使用された。
それだけに三菱との共同開発を期待していた矢先での転移である。
水陸両用団の創設と同様、水陸両用車の開発も凍結され、試作車両は保管処置とされた。
しかし、特別警備隊は相手が銃火器こそ使用しなかったが、水陸両用車の実用性を実戦で証明した。
水陸両用団創設や水陸両用車の開発計画が再び議論されるのは間違い。
いや、長沼を始めとする自衛官や官僚、財界が議論を煽るのだ。
すでに国会議員の北村代議士からも接触を受け、意気揚々となるのも当然だった。
「まあ、程々にな」
中川海将補はどうせ自分が現役の間には関わることはないだろうと醒めている。
浮かれる長沼一佐を放置して、国防警備隊第一連隊隊長伊太鉉大佐が訪問に来たと伝えられてその場を後にした。
伊太鉉大佐は首都である巨済島防衛の責任者である。
当然、今回の事件による損害の責任を問われる立場であり、気分は憂鬱だった。
さりとて任務を放棄するわけにもいかず、残党の掃討や民間人の救助を指揮していた。
「日本にはもう少し御協力頂きたかったですが、百済の連中が貴国を怒らせたようですな。
まったくあいつらは何もわかっていない」
挨拶に訪れた輸送艦『くにさき』で、中川海将補に愚痴をぶちまけている。
聞かされている中川海将補は早く帰って欲しい気分だ。
「現在、こちらから逃亡したイカ人は約6千程度。
第6飛行隊のF-2が空中から追跡しています。
さすがにあれだけの数が泳いでいると空中からでも確認出来るようです。
ですが燃料の問題からいつまでも追跡を続行出来ません。
水産庁の漁業調査船『開洋丸』が引き継ぎます」
「水産庁ですか?」
「海自では魚介類の追跡は本業では無いので、あまり向いてないのですよ。
舞鶴から出港した護衛艦や巡視船の護衛のもと、追跡を続けます。
あなた方も知りたいでしょう、連中の本拠地。
亀の方は北サハリンに出し抜かれましたが、イカの方は逃がしませんよ」
水産庁の漁業調査船『開洋丸』は、あらゆる海域での活動を前提とした大型漁業調査船である。
各調査機器と大型表中層トロール網により、水産生物や有用生物の発掘及び資源調査と、その動向に影響を与える海洋環境調査等の基礎的研究を行う事が可能である。
海棲亜人の群れの追跡にこれほど適した船は無い。
『開洋丸』には武装した漁業監督官が六名乗り込んでいる。
転移前には禁止されていた拳銃と小銃を装備することを許可されている。
本来は東京港を母港としている船だが、一連の襲撃に合わせて調査の為に高麗に向かわせていたのが幸いした。
現在は対馬の基地で燃料や食料を補給しているところだ。
舞鶴の部隊に引き継ぐまでは、高麗にいる護衛艦『しまかぜ』や『あまぎり』に護衛をさせる。
「さて、我々はそろそろお暇させて頂きます。
後は『シャイロー』がいれば大丈夫でしょう」
タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦『シャイロー』は現在も南海島を中心に、掃討作戦の支援を続けている。
自衛隊が軍事的には出来る支援はここまでだ。
あとは政治的決着だろうが、中川海将補には預かり知らぬことだ。
今回の事件は地球系国家・都市間に対立の種を蒔かれてしまった。
せいぜい拗れないよう政治家や官僚達の奮闘を期待するのみだった。
百済市
エレンハフト城
城内では最後の折衝が幾つかの部屋で行われていた。
そのうちの一室でヒルダと斉藤は、新香港の林主席、北サハリンのチカローニ市長、高麗の白市長を招いていた。
アンフォニー開発の利害調整の為だ。
「よくも私をこのような部屋に呼べたものだ」
利権に紛れ込まれた林主席は不機嫌な顔を隠しもしない。
「申し訳ないが、新香港だけでは領内の開発に遅延が出ますので、商売敵を用意させて頂きました。
まあ、ハイラインの利権はそのままですので御安心下さい」
「安心出来るか!!」
斉藤は嘯いてるが、亀人達の襲撃が無ければここまで話は進まなかっただろう。
林主席は強がっているが、現在の新香港の立場は北サハリンや高麗より序列は下なのだ。
決定された事項は覆らないのは理解していた。
そんな林主席の思いを切り捨てるように斉藤は話を進めていく。
「鉄道開発は新香港、炭鉱開発は北サハリン、高麗国には街道整備を担当をお願いします。
お代は炭鉱の石炭を売却した利益からでます。
その為にも輸送路の早期の拡充が至上の命題になります。
よろしくお願いしますね」
あまりな林主席の消沈した様子にヒルダが助け船を出す。
「林主席、ハイライン開発の独占事業は私が保障しますわ。
斉藤は胡散臭くても私ならば貴族の誇りにかけて他の参入を阻みますから」
ヒルダの言葉に多少の安堵を覚えた林主席だが、チカローニ市長の言葉に驚かされる。
「林主席、よろしければ和解の印として、『長征7』の修理を我々が承わろう。
我が国が管理する原子力潜水艦用のドックがあるから、それなりに修理は可能だろう。
まあ、日本と共用の施設だからバレバレになるが不都合はあるまい」
確かに『長征7』が戦力化できれば、新香港にとってメリットは大きい。
ヒルダの言葉に多少の安堵を覚えた林主席だが、チカローニ市長の言葉に驚かされる。
「林主席、よろしければ和解の印として、『長征7』の修理を我々が承わろう。
我が国が管理する原子力潜水艦用のドックがあるから、それなりに修理は可能だ」
確かに『長征7』が戦力化できれば、新香港にとってメリットは大きい。
チカローニ市長はこれで手打ちにしろと言っているのだ。
「わかった。
だがついでに乗員の教育もセットでよろしくな」
本格的な訓練施設は日本にしかないが、実習ぐらいなら問題はないとチカローニ市長は頷く。
話がまとまったので、白市長が全員に語りかける。
「みなさん、そろそろ時間なので、大広間までお願いします」
先程まで得意気な顔をしていたチカローニ市長の顔が曇る。
「あのヤンキーが今さら割り込んで何を言い出すかと思うと、憂鬱になるな」
「どうせまた、ロクでも無い話に違いない」
白市長の予想は林主席も同感だった。
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