第30話 竜別宮捕虜収容所 1
大陸東部
龍別宮町
龍別宮は元の名をリューベック。
リューベック伯爵領の伯都が置かれた町だった。
リューベック伯爵家が皇都大空襲の際に直系の一門がほぼ息絶えて断絶状態となっていた。
五年前に隣接する天領だった地に日本が新京特別区を建設すると、そのままリューベック伯爵領を割譲させた。
その際に名を龍別宮町と改められている。
市ではなく町なのは、日本人人口が一万人にも達していないからだ。
新京特別区は日本人の居住区や産業を集中させている。
また、貴族からの名の留学生という名の人質と日本との折衝やご機嫌伺いの為や逗留する当主一門。
それらを世話する従者などの家臣も新京に入ることが許されていて、御目見(おめみえ)という免状が発行されていた。
それ以外の商人や職人、人夫などの平民や彼等との取引を望む日本人商社や日本人冒険者はこの龍別宮に拠点を構えて在住してい。
そして、この龍別宮に配置換えとなった第16即応機動連隊第2大隊が駐留している。
新京特別区を防衛する出丸的役割を期待されている。
他にも警察署や公安の他にもうひとつ武装機関がある。
法務省捕虜収容所管理局である。
自衛隊も平成16年に「武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律」「捕虜取扱い法」が制定された。
だがこの法律はジュネーヴ条約の存在を前提に制定されている。
そして、自衛隊には捕虜の扱いや捕虜収容所の運営の経験はなかった。
日本本国から囚人が大幅にいなくなったことから、矯正局の刑務官達が暇になったことも大きい。
さらに当然のことながら、この世界の国々には別の「捕虜取扱いの慣習」が存在した。
「マイヤー殿、メルゲン子爵家より身代金の支払いが完遂しました。
子爵家より迎えの馬車が到着しています」
「おう、松山管理官殿、長らく世話になったな」
収容所とは思えない貴族らしい服を着た男が、四年間住み慣れた部屋の片付けを自ら行っている。
メルゲン子爵家第2子であるマイヤーは、皇国ではそれなりの砦の守備隊の隊長を任せられた男である。
皇国がその旗を降ろした後も抵抗を続けていた。
抵抗の場所が大陸南部の辺境であり、日本側にも放置されていたのだが日本の歓心を請おうとする周辺貴族に砦が攻撃されて日本に差し出されたのだ。
収容されてからは日本語や身の回りの整理をする術を学ばらされた。
「身代金だって安くは無いのだから、ここに戻ってくるようなことはしないで下さいよ?」
「はっはは、日本と戦って箔がついたからな。
今なら仕官や結婚も引く手あまただよ。
それに皇国への義理はもう果たしたさ」
血縁関係を重視する貴族としては、皇国の為に戦ったマイヤーを見捨てることは沽券に関わる。
だから分割で身代金を払ってでも解放させようと行動したのだ。
そして、今でも皇国を懐かしむ世代からは、マイヤーのような勇名を持つ男は取り込んで起きたい人材である。
二人はマイヤーの私物が保管された部屋で、私物の返還を行っている。
龍別宮の捕虜収容所は、リューベック城を改装して使われている。
城壁や廊下では、小銃を持った収容所管理官が巡回している。
松山管理官は門の外まで付き添うことになっている。
だが先に自衛隊の73式中型トラックが数両入ってきた。
停車した車両の荷台から何人もの手錠で繋がれた男達が連行されていく。
「新入りか、何をしたんだ?」
「旅客船を襲った連中ですね。
一応正式な皇国海軍の残党で、私略船の免状持ちです。
何より……」
「俺と同じ貴族の子弟か。
まあ、皇国が無くなって五年も立てば、平民や士族の兵士は逃げ散ってるよな。
残っているのは忠誠が染み付いたあんな連中ばかりだ。
だが血族が残っていれば、あんたらの損にはならないからな」
身代金は莫大な物で、被害者や遺族への慰労金を支払っても有り余る。
そこで本国に送る食料を購入する資金の足しにしている。
これもこれや王国の慣習に合わせた結果である。
ちなみに同じように捕虜になった筈の平民や士族は、鉱山送りとなって自力で稼いでもらう。
「人権団体が見たら何を言い出すやら」
松山管理官は微妙な顔をする。
本国で刑務所に勤務していた時も小煩かったものだ。
当時の囚人達は、まだ生きているのか心配になった。
第2更正師団、彼等は今でも戦地で戦っているのだろうか?
マイヤーとは正門の前で別れた。
メルゲン子爵家の家臣達が馬車を仕立てて一礼して、マイヤーを乗せて出発する。
一人になった松山管理官はリューベック城の傍らに建てられた第一更正師団の戦没者を奉る神社の慰霊碑を見て溜め息を吐いた。
彼等の出自が出自だから参拝者はほとんどいない。
戦没者の遺族や師団の僅かな生き残り、そして彼等と共に過ごした自分達刑務官だった者達だけだ。
「明日、掃除しに来るか」
天気が良いことを願っていた。
捕虜収容所から解放されたマイヤーは、実家の家臣達が用意してくれた馬車に乗り込む。
「ふむ、いい車だ。
何という名だ?」
「トヨタ カローラ フィールダーと申します」
執事の一人のパトリックが答える。
もちろん車のエンジンは切って、馬で牽引している。
ガソリンは貴重で滅多に手に入らない。
だが馬車なのに揺れが少ないのは大事なことだ。
「この後、駅まで行きまして列車で新京に向かいます。
新京にはメアリー様とクルツ様、アンナ様、マルガレーテ様がメルゲン家新京屋敷にてお待ちになっております」
メアリーは母でクルツは長兄、アンナはその妻だ。
マルガレーテはクルツの娘、つまり姪となる。
「マルガレーテには苦労を掛けたと聞く。
何か土産を用意出来ればよかったのだが」
解放の為の折衝は日本語が使えるマルガレーテが、未成年の学生の身で一任されてしまった。
日本円を稼いでいる稼ぎ手でもあったらしい。
あいにく解放されたばかりで手持ちがない。
年頃の婦女子に渡すお土産など、全く思い付かなかった。
「御身の御無事なお姿こそが何よりの御土産と存じ上げます。
御嬢様は連日様々な贈り物を貰ってますので馴れておりますし、
若様はマイヤー様が学んだ日本語の能力で御仕事をしてくれることを望んでいます」
マルガレーテは学校で日本語を基礎から学んでいるが、クルツは執務の合間に駅前の私塾で学んでいる。
最も時間が足りなくて成果が上がっていない。
「うむ、居候では肩身が狭いからな。
存分に働かせて頂こう」
龍別宮駅から東西線で約100キロ、約一時間。
馬車は三日間掛けてパトリックが乗って新京に帰ってくる。
新京中央駅のホームに降り立つと感慨深げにあたりを見渡す。
前に来たのは捕虜になって連行された四年前だ。
「線路が増えてるか?」
ホームの天井には『東南線開通まであと36日』と書かれていた看板が吊られている。
「ふむ、式典とか何かやるのだろう?
顔を出してみよう」
新京特別区西区にある貴族街にある屋敷に到着すると、家臣一同と家族、近郊に住んでいる知人が集まっている。
地面に膝を着いて、再会の挨拶をする。
「母上、兄上、ようやく帰ってこれました。
この身を身請けするのに多大な負担をお掛けしました」
「貴方が無事ならそれでよいのです。
しっかり食べてた?
これ美味しいわよ、収容所じゃあ満足に食べさせて貰えなかったでしょう」
母親の愛情は辟易するが、数年ぶりの再会だからしっかりと受け止めた。
マルガレーテもドレス姿で出迎えてくれた。
来客と旧交を温めて一段落すると、長兄のクルツが日本産ビールをグラスに注いで持ってきてくれた。
「あいにく父上は王都から離れられなくてな。
来週こちらにやってくる。
まあ、その間までは休暇と思って見聞を深めてくれよ」
「はい、兄上。
しかし、そんなに日本関連の仕事は多いのですか?」
「まだ、公表はされていないが、南部の本領の近くに泥婆羅、印度、不丹という部族が天領アルスターを割譲されて新都市を建設することが決まった。
日本企業が建設を受注するので、メルゲンにも資材の発注が行われる」
「なるほど、忙しくなりそうですな。
しかし、日本の連中はそんなに外様部族の都市国家を建設して寝首を掻かれないのか不安にならんのですか?」
「ふむ、我々もその点は疑問に思っていた。
そこから切り崩せるのではと、各都市を調べてみたことがある。
そこでわかったことがあるのだが、日本以外の各都市はどれも男女の比率がおかしい。
年少者も驚くほど少ない。
十数年もすれば人口が減り続けるだろう。
その歪な構造の為か、経済もそれほど有力な地元企業が存在しない。
日本企業が大半を牛耳ってるな」
「日本に敵対行動を取っても締め上げられるのがオチと言うわけですか」
現在の王国貴族も大半は、日本の傀儡のもと自領の勢力を伸ばすことに専念している。
王国の権威はとうに失墜しているのだ。
大人同士の会話中にマルガレーテが加わってくる。
「叔父様、その拘留中は退屈しませんでした?」
「いや、日本の連中は以外に紳士的だったし、向こうの野球やサッカーといった競技もやらせて貰った。
馴れてからは何度も看守達の軍を打ち破ったものだ」
夜は久方ぶりの家族との団欒の一時だった。
翌日の夕方、屋敷に一通の手紙が投函された。
長ったらしい文書を要約すると
『マルガレーテ嬢を誘拐した。
返して欲しければ指定の場所までマイヤー殿一人で来い。
なお、外部にこのことを漏洩すればマルガレーテ嬢の安全は保障しない』
長兄夫妻はそのまま卒倒したのでマイヤーも途方にくれてしまった。
竜別宮町
多くの人々が行き交う繁華街をマイアーは歩いていた。
マルガレータを誘拐した者達が指定した廃倉庫まで後少し。
一人の男がマイヤーとぶつかってくる。
大陸人だがマイヤーは舌打ちをして男の腕をひねりあげて地面に顔を押し付けた。
「イタタ、旦那、勘弁してくだせぇ!!」
「スリか?
今は忙しいのだ、失せろ!!」
人の上着のポケットに手を入れた男を蹴り飛ばして目的地に足を速めた。
ポケットの中の財布として使っている巾着袋は無事だった。
少し開けられたのか、銀貨が一枚、小銭入れからポケットの中に落ちていたくらいだ。
気を取り直して目的地に向かう。
廃倉庫の前で二人の男が待っており、無言でマイヤーを案内する。
途中で武器らしき物は持っていないかだけの身体検査を受けた。
ポケットに入っていた巾着も調べられたが、異常はなかったの返してもらえた。
倉庫の中ではテーブルに地図を広げて五人ほどの男達がこちらを伺っていて、頭目とおぼしき男が声を掛けてきた。
「久しぶりだなマイヤー隊長」
「ウォルフ将軍?
あなたがマルガレータを誘拐したのですか?」
かつての大陸東部で軍団長として名を馳せていた50代半ばの将軍の姿に驚いた。
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