第29話 前兆

海底を這うように巨大な未確認物体が陸地を目指していた。

 途中の幾つかの海域に突入しては引き返すのを繰り返している。

 どうやらその物体の内部に知的生命体が活動できる空間があるようだ。


「ここまでは侵入出来たか」


 船長のイケバセ・グレは任務の達成に安堵のため息を洩らす。

 水中だが自分達種族を阻んできたこの海は、あまりに異質な特性を持っていた。

 最初の年は境界線から海底を歩いて百歩も進めばどの種族も発狂して死に至っている。

 医学的な毒による成分は確認出来ていない。

 むしろその海域に生息していた異世界の魚介類を食しても支障は出ていない。

 各種族の呪術師達はある種の呪いに似た結界だと主張していた。

 だが歳月が過ぎて呪いの効果が薄れてきたようだ。

 今では呪いの境界線から一万歩の距離に到達出来るまでになっていた。

 各種族はこの海域の奥にある陸地への航路を探して挑戦続けてきたのだ。


「この十年、何度も挑戦を繰り返した結果だな。

 我々はようやく奴等の領域に突入出来る二ヶ所目のルートを見つけた」


 一万歩どころか二百歩に満たない距離に上陸出来る陸地があったのだ。

 調査に当たっていた乗員達は小踊りや歓喜の声をあげながら喜びを表現している。


「船長、このことを早く本国に報告しましょう!!」

「戦士達も連れてこないといけないからな。

 だが一度浮上してこの目で確認したい。

 しかし、奴等に感付かれてはまずいが今は夜だ。

 海上監視の部隊を先に放て!!

『荒波を丸く納めて日々豊漁』号は半潜状態で浮上!!

 日本の奴等に一銛報いる大事な偵察だ。

 気を緩めるな!!」


 イケバセ船長は一度本国に帰れば遠征になる為に暫く家に帰れなくなる。


「娘に何か買ってやらないとな」


 触手でキセルを取って口に咥える。

 もちろん火は点けれない。

 大事なのは気分なのだ。






 新京大学


 大陸に唯一存在する大学機関である新京大学は、本国で定年による退職や派閥争いで燻っていた人材を大量に引き抜いて設立した。

 地球系各都市や大陸からの留学生も多数在籍している。

 その大学のトップたる総長室に、総督府からの使者である秋山補佐官が訪れていた。


「海棲亜人の生態を含む総合的な研究依頼ですか?

 なるほど無理です、お引き取り下さい」


 新京大学陸奥正則総長からけんもほろろな返答をされるが、秋山は引き下がらない。


「御予算の問題でしたら総督府から」

「違います。

 単純に人手が足りない。

 この大学が設立されてから毎日どれだけの発見や調査が行われてるかご存知ですか?

 モンスターを含む大陸独自の動植物の研究、大陸の書物の解読と翻訳。

 農業の現地に合わせた品種改良、鉱山地域の探索、風土病の治療法の研究、エトセトラエトセトラ」


 最後の『エトセトラエトセトラ』は、陸奥総長が口に出して言っている。


「いくら研究バカの集団と言われた我々だって限度がある。

 終いには怒るぞ、コノヤロー!!」


 なんだか暴れだした陸奥総長を秘書や同席した教授達が妙に手慣れた動作で羽交い締めにしている。


「ああ、さすがに刺す又はやりすぎだと思いますよ」

「失礼、歳のせいか怒りっぽくなっててな」


 興奮冷めやらぬ様子で言われて秋山はドン引きしていた。


「最近の若い研究者や教授は、冒険者に混じってダンジョンでモンスターと戦うことに意義を見いだしたり、古代遺跡の研究に人手も少ないからと居を構えて帰ってこなかったりと大変なのだ。

 しかし、なんだ?

 総督府筋は今まで海棲亜人国家の存在を全く認識してなかったのかね?」

「残念ながら皇国並びに王国、貴族や王国軍から資料、証言からも記述は見付かっていません。

 あの学術都市にすらです。

 仲介者と見られるアウグストス将軍とやらも遺された皇国軍の名簿や現在の王国軍にも存在しませんでした。

 海賊や残党軍に聞いても常に馬の仮面を被っていたと人相書きすら作れません」


 もしかすると資料が無いのは皇都大空襲による影響もあるかもしれないが、ここは黙っておく。


「ふ~む、厄介だな。

 ところで今思い出したのだが、海棲亜人国家の調査をやっている連中がおったよ」

「それは素晴らしい。

 ぜひお会いしいのですが!!」


 だが陸奥教授は渋い顔をする。


「この大学の人間じゃないから難しいな。

 新香港の人民武装警察海洋研究所の連中だ。

 たぶん今は、ハイライン侯爵領にいると思うぞ」


 凄く納得のいく人選と場所だった。





 新京特別区

 大陸総督府


 秋月総督は例によって秋山補佐官からプロジェクターを使って説明を受けていた。


「新香港政府に問い合わせたところ、人民武装警察海洋研究所は、確かにハイライン侯爵領のマーマンの王国遺跡の調査を行っている模様です」

「人民解放軍所属の海洋研究者なんて都合のいい人物が、よく転移に巻き込まれてたもんだな」

「尖閣諸島問題ですね。

 あの海域の調査に中国は熱心でしたからね。

 転移時に3,000トン級海警船『海警2305』

『海警2307』『海警2308』、5,000トン級海警船『海警2501』の3隻、と江凱II型(054A型)フリゲート『常州』、『旅洋II」(Luyang II) 型/052C型ミサイル駆逐艦『長春』、071型揚陸艦『玉昭型』。

 中華民国の3,000トン巡防船『宜蘭』、『高雄』が合流して現在の新香港人民武装警察海警局を編成しています。

 これらの船舶は戦闘に参加が可能な為に日本に申告されています。

 しかし、他に数隻の海事公務船が転移に巻き込まれてます」


 問題の船舶がスクリーンに映し出される。


「元国立台湾海洋大学海洋調査船『海研2号』。

 まあ、これは問題ありません。

 次に元上海海洋石油局 『勘407』1,500トン級海洋調査船。

 上海石油局は、同局は中国の大手国有企業の傘下にある政府系機関で、新しい油田の発見などが主な業務です。

 東シナ海ガス田天外天(日本名:樫)の海上プラットフォームを管理していた組織でもあります。 」


 東シナ海に点在していた8つのガス田は全て転移に巻き込まれ、洞頭列島を拠点に開発が行われている。

日本が白樺、楠、新香港側は平湖、冷泉、残雪、残雪北を管理している。

 天外天、龍井に関しては共同開発となっている。

 東シナ海ガス田は新香港の大事な財源でもある。


「問題はこちら。

 元中国海洋大学、3,000トン局海洋調査船『東方紅2』。

 同じく中国海洋大学所属の最先端の海洋調査船と言われた『海大号』。

 所属が中国海洋大学になってますが、中国の海洋調査船は実際には国家海洋局などの元で統一的に運用されていると我々は考えていますので海事公務船として扱っています。

 中国海洋大学自体、国家海洋局の肝いりで設立された組織でもあります。

 転移前に学術組織の名目で、尖閣諸島沖でワイヤーを垂らしたり、筒状のもとを投下していたりして調査を実施していた団体でもあります」


 今となっては大した問題ではない。

 国家海洋局どころか、中華人民共和国自体がこちらの世界には存在しないのだ。

 新香港傘下の元では、日本と揉めることは出来ないからだ。


「ハイラインの遺跡にはこちらからも調査隊を送り込め。

 総督府から監督役の官僚を数人、大学にも人員の派遣を要請しろ。

 自衛隊には護衛部隊の編成を命じる」


 だが秋山補佐官は渋い顔をしている。


「自衛隊は問題無いと思いますが、大学と総督府に人手が足りません。

 大学はこの次期は受験を間近に控えています。

 総督府はサミットがありますから」


 第四回アウストラリス大陸地球系国家首脳会議通称『G11』。

 日本からは首相ではなく、総督が出席する。

 同様に本国が存在する百済市やヴェルフネウディンスク市からも市長達がやって来る。


「今年の開催地は百済だったな。

 ああ、気が重い。

 調査隊は春先の出発を目処に人選を進めといてくれ」

「自衛隊の先遣隊は入れておきましょう」

「そうだな、任せるから頼む」


 秋月総督の頭は来る百済サミットに向けていっぱいになっていた。

 今回は今後の王国に対する『指導方針』の検討。

 ガンダーラ市の建設の協力の調整。

 海棲亜人に対する警戒。


 検討すべき事案が山積していた。


「派遣隊の一部本国への帰還を打診すべきかもな」





 日本本土から西へ一万キロ

 日本領綏靖島


 温暖な気候の綏靖島は国後島程度の面積の無人島である。

 その気候を生かして日本から持ち込んだバナナとマンゴーなどの南国フルーツの一大生産地となっている。

 それ以上に多国籍軍総司令部と各国軍の基地が点在している。

 そのうちの一つ。

 ネパール隊の駐屯地では、隊員達がお祝いの合唱を挙げていた。

 ようやく新天地を家族に与えられると喜びもひとしおろう。

 ネパール隊司令であるシュレスタ中佐も隊員逹が歓喜している姿を微笑ましく見守っていた。


「苦労もあるだろうが、我々はこれさえあればなんとかなります」


 壁に掛けられたグルカナイフを誇らしげに指差す。

 日本にいた3万人を超えるネパール人は、グルカ傭兵の経験者を掻き集め、若者をスカウトして鍛え直した。

 ようやく形になったグルカ・ライフル大隊は、戦場を蹂躙し、新たな祖国を得る為に闘い抜いた。


「近日中に彼等を迎えに行こう。

 新天地にもモンスターがいるだろうからまだまだ彼等の力は必要だ」


 インド部隊を率いるシッダルット・カーン准将が提案してくる。

 元インド海軍フリゲート、シヴァリク級『サヒャディ』の艦長を後進に譲り、インド隊の司令官となったカーン准将は転移前から現役の軍人だった。

 退役から復帰したシュレスタ中佐とは些かの確執がある。

 だが二人ともいい歳をした大人であり、問題があればそれを棚上げする判断力を持っている。

 シュレスタ中佐は取り敢えずカーン准将と握手をする。


「ミャンマーやブータン、スリランカの連中とも協議しないといけないですな。

 アングロサクソン共と違って、我々は連帯感が薄い。

 異世界に来てまで地球人同士の民族紛争は御免蒙りますからな」


 実質的にガンダーラの軍事を担うのは、インド人とネパール人だ。

 だが他の三か国の住民にも配慮は必要だろう。


「我々を纏めたのは総督府の連中が面倒臭がったからじゃないかな?

 私はこれからのことを考えれば喜びが半分、不安が半分だよ。

 まあ、今はこの瞬間を祝おうじゃないか」


 棚から出した祖国の蒸留酒トゥンパをグラスに注いでカーン准将に渡す。

 カーン准将もラム酒を持ち込んでおり、空のグラスを受け取って酒を注ぐ。

 兵士達が作った密造酒だがこの島では文句を言う者もいない。


「では、我らが新たな祖国に!!」

「素晴らしきガンダーラに祝福を!!」


 二つのグラスは合わされ、いっきに飲み干された。

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