第6話 ケンタウルスと火種
大陸南部
新香港政府とハイライン侯爵家が、南部に港町を建設する計画は周辺地域に降って湧いた好景気をもたらしていた。
旧ノディオンの商人リュードは侯爵家の要請もあり、王都で開いていた店を畳んでハイライン侯爵領に向う。
大規模な公共工事は、商人逹にとっては貴重な商機
である。
ましてや大恩ある元公爵のフィリップの声が掛かれば、行かないという選択肢は無い。
資産と家族の人数はそれなりにあるので、馬車を五台仕立てて王都を出発することとなった。
途中で同様にハイライン侯爵領に向かう旧ノディオン公爵領の住民逹と合流し、馬車18台の大規模なキャラバンとなった。
いずれもノディオンの民だった商人ばかりだから、気心も顔も見知った者ばかりだ。
安全の為に傭兵も20人ばかりを雇っている。
いずれも十代から二十代の傭兵達なので、3人ずついる娘や妻や妾に手を出さないか心配である。
しかし、三十代、四十代の傭兵など信用ならない連中ばかりだから仕方がない。
この年代の傭兵は腕も悪いし、度胸も無い。
ベテランとは呼べない連中ばかりなのだ。
腕も度胸もあった傭兵逹は、皇国の日本に対する戦に徴用されて死んでいる。
おかげで街道の治安が悪化したものだが、日本が街道を整備した頃にはだいぶ回復した。
日本の連中が年貢や鉱物資源を輸送する為に街道を整備したのだ。
街道の横には煙を立てて動く列車の線路が敷かれている。
この線路に沿えば日本の軍隊のいる治安のよい町や村に通じているわけだ。
だからといって完全に安全というわけではない。
南部地域は元々亜人の諸部族が多く住んでおり、皇国は彼等の族長に辺境貴族の称号を与えて、支配領域の保障を与えていた。
皇国は滅び、王国にその力はない。
亜人達の各部族内部でも分裂や権力闘争が起こっているらしい。
王国の後ろ楯である日本も介入する様子は全くみせずに放置している。
そんなことを考えていると、リュードの近くで後方を警戒していた傭兵が胸を矢で貫かれて馬車から転がり落ちていく。
リュードは指揮を執る傭兵隊長のかわり大声を張り上げる。
「敵襲!!」
馬車のスピードを上げ、傭兵達は各々持ち場で警戒をして武器を抜き放つ。
森の中から放たれた数本の矢が傭兵二人の命を奪う。
「山賊か?」
森の木々の間から馬車に並走して矢を射ってくるのは
「ケンタウルスか!!」
山賊の類いには違いはなかった。
森から街道に30騎ばかりが唸り声を上げながら躍り出てくる。
「まずい、女達を守れ!!」
傭兵隊長が叫んだ瞬間に体に矢を数本生やして馬車から転がり落ちる。
ケンタウルスの目的は女と酒だ。
なぜか人間の若い娘に目が無い彼等は、発情した顔を剥き出しにして襲い掛かってくる。
傭兵達も弓矢で応戦するが、その数をまた一人一人と減らしていく。
「冗談じゃ無い。
後払いの料金は少なく済むが、全滅されちゃ意味はない。
急げ、馬車のスピードを上げろ!!」
馬車の壁に貼られた『時刻表』によればそろそろ遭遇するはずだ。
馬車が1台横転し、亭主が刺され女房がケンタウルスに抱えられている。
助ける余裕はない。
「もうすぐ……
もうすぐだ!!」
また、1台の馬車が車輪に槍を差し込まれて横転する。
あの馬車には年頃の姉妹を乗せていたはずだ。
後ろで怯える娘達を同じ目に合わすわけにはいかない。
その時、リュードが求めていた汽笛の音が聞こえてくる。
「来たぞ、日本の装甲列車だ!!
おいお前!!
馬で先導して救援を求めろ」
予めこちらの状況を知らせる為に、馬に乗っていた傭兵の一人に命じる。
馬に鞭を入れて煙を上げる汽車に向かって走らせる。
ただ汽車は線路の上以外は動くことが出来ない。
装甲列車の機関車から、筒状の何かを口に着けた車掌がこのまま街道を走り抜けろというという叫びの声が伝わってきた。
なんと大きな声だと驚くが、馬を操る手を止めるわけにはいかない。
キャラバンと機関車がすれ違い、ケンタウルスの群れがそれに続く。
装甲列車の貨物車の扉が開き、複数の銃口がケンタウルス逹に狙いを定める。
リュートが轟音に驚き、後ろに振り返るとケンタウルス達が倒れていく光景が目に映っていた。
機関車もブレーキを掛けて、停車しようとしていた。
リュートの目には最後尾車両に備え付けられていた大砲の姿が頼もしかった。
停車した列車からは、日本の植民都市の中島市の駐屯地に帰還中だった第40普通科連隊の隊員が降車してくる。
隊員逹はケンタウルス逹を掃討し、襲われていた民の救出を始めていた。
大陸東部
新京特別区西区
許忠信は転移前は中華人民共和国国家安全部第十局(対外保防偵察局)に所属していた。
日本国内で、外国駐在組織人員及び留学生監視・告発、域外反動組織活動の偵察などに携わるのが任務だった。
転移後は新香港に移住したが、日本語に堪能なことと、転移前の経歴を買われて新香港武装警察公安部に入局。
情報機関の一員として新京で中華料理店の皿洗いに身をやつし、情報収集の活動を行っている。
今では主任を任せられるくらいにはなったが、表の顔が皿洗いなのは納得がいっていない。
今回は任務は、新京で林修光主席が遭遇した謎の日本人の身元調査を行うことだった。
他班とも合同で七人がこの任務に従事している。
「主任、李と田のチームが撒かれました」
「くそ、またか……」
尾行対象は明らかに尾行を意識した行動を取っている。
唐突に建物の中に入り、別の入り口から出ていったり、階段を登ったかと思えばそのまま降りてきたりを繰り返したりして、こちらの尾行チームが二組も撒かれたのだ。
尾行対象はハイライン侯爵家令嬢ヒルデガルドの従者斉藤光夫。
まだ、新京大学の四年生である。
ハイライン侯爵家は、新香港政府とはビジネス的な友好関係にあるが、その前身であるノディオン公爵とは領土的確執がある。
日本も新香港とハイライン侯爵との間に楔を打ってくるかもしれない。
その工作員かもしれない男は調査する対象となるのは当然と言えた。
今も学生街の一角の複雑な路地を歩いて、許と新人の王成明の尾行を受けている。
「他の連中との合流は無理だな。
まったく、どこまで行く気だ」
ぼやいていると斉藤はビルの地下に入っていく。
何やら地下街になっているようだが、この時間はほとんどの店が閉まっているのは看板から伺える。
一本道のここなら、撒かれる可能性は低そうだった。
「一人ずつ入るぞ、先に行け」
情報機関の人間として、些か不安を感じさせる王成明は、転移前は日本に留学していた学生だった。
日本でアイドルやアニメに現つを抜かしていた問題児だったが、相当な日本被れな日本通だったこともり、公安部にスカウトされた。
一通りの情報部員としての教育は行ったが、正直なところ実力は三流もいいところだった。
王成明がビルの入って数分後、許忠信も地下街に入る階段を降りていく。
しかし、その行く手を塞ぐ男がいる。
左目に眼帯、十字架を首から掛け、黒いパーカーにはドクロと羽がプリントしてあり、指には一つずつ指輪が嵌めている。
ズボンもジーンズで靴は安全靴で黒一色に統一している。
「待ちな……
あんたは同胞じゃない……
ここから先を行く招待状は持ってないだろう?」
許忠信は後退りながら、警戒して背中のホルダーに隠した拳銃を使うか迷う。
しかし、黒い男は左腕を前へ伸ばし、鼻筋へ左手人差し指を合わせる、右肩をあげ右手をピーンと伸ばすという奇妙なポーズを取っている。
あまりに奇妙な動きに対応を躊躇してしまう。
許は中国人だ。
黒目黒髪で基本的に日本人とは見分けはつきにくい。
『だが一瞬で同胞では無いと見破られた。
こいつはただ者ではない。
王は通れたのか?
あいつどうしたんだろう』
「我が左手に刻印されし、暗黒の炎に抱かれて灰となるか。
封印されし、左目に封印されし魔眼の魔力に魅入られるか、選ぶがいい……」
許は一目散に階段を掛け上がって逃げ出していった。
一瞬の判断が死を招くこの世界では、退くタイミングを間違えてはいけない。
『奴は何を言った?
魔力だと、そんな馬鹿な。
ついに日本人も魔法を手にいれたというのか?』
現在までに転移してきた人間で、魔法が使えるようになった事例は1例しか確認できていない。
在日米軍のパイロットで、皇都空爆を行ったB-52の編隊長だった男だ。
現在は行方不明で暗黒神の大神官となっているらしい。
まずはこの場を退き、本部に連絡して増員を要請し、あの男逹を観測する準備を整えねばならない。
この時の許は、王成明は消されたもののとして、諦めていた。
「行ったか、何者だ?」
黒い服の男の後ろから二人の男が現れる。
尾行されていた斉藤と、この場の取り仕切っている後藤だ。
「いや、それより黒川さん何してるんですか?」
後藤が床に目をやると、黒ずくめの男が苦悶の表情で転がりまわっている。
「中学時代の多感な自分を再現して身悶えして転がってるだけだ。
ほっといてやれ」
「まあ、誰にでも黒歴史はありますから、多くは語りたくないですが。
よくこの大陸で、あの衣装を用意できましたね?」
「割りと貴族の衣装からの転用でどうにかなった」
ようやく立ち直ったのか、黒川が答えてくれる。
「それはいいとして、斉藤さんつけられましたね?
公安の奴等でしょうか?」
「公安関係には違いないが、我が国のじゃないな。
まあ、詳しいことは彼に聞けばいいさ」
三人が振り返ると数人の男達に拘束された王成明がパイプ椅子に座らされている。
取り囲んだ男逹には、拳銃を握っている者もいる。
大陸の日本人には、民間人でも銃や刀で武装することが許可されている。
もちろん植民都市部では使用が規制されているが、この場では意味はない。
モンスターが普通に蔓延る大陸では、やむを得ない処置だった。
つまり拳銃はおそらく本物。
王成明がムザムザと屈服してしまったのも仕方がないことだった。
「き、貴様らはいったい何者だ!!」
斉藤が苦笑いしながら答える。
「何者?
おかしなことを聞くね。
我々は君の同胞、いや同志だよ」
王成明は相手が何を言っているのか、理解に苦しむ。
「同朋?
お前らは日本人だろ?
何を言っているんだ。
同志?
いや、党とも関わりは無いのだろ?
さすがにそれくらいはわかるぞ」
「わかるさ、いや君にもわかるだろ?
我々は同じ魂の匂いをしている」
怯える王成明は拘束を解かれ、後藤が扉を開けて部屋の中に招待される。
賑やかな喚声と、黄色い歌声が聴こえる新しい世界への扉へ。
「ようこそ、我々の世界へ、同志よ」
数日後、行方不明だった王成明から郵送で辞表が届けられた。
『僕は自分が行くべき新しい世界と同朋を見つけました。
旅に出ます、探さないで下さい』
と、書かれていたので新たな異世界転移かと新香港武装警察公安部内部では物議を醸しだした。
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