第36話:彼女の行方

 ――やめてください。


 そして、あの時ああやって叫んでしまったときに、ようやく自分が本当に危ない状況に居るんだと気がついた。

 崖っぷちに居るみたいに、少しでも触れられたらそのまま奈落の底まで落ちていってしまう。

 そんな状態なんだ、と。


 回復を要求されるのが苦痛になってしまった。

 その言葉が私の恩寵にすがり、追い求める両親の姿と重なるようで。

 当然、そんな事実はない。

 彼らは、そんな気持ちで私に回復要請をしているわけではなかった。

 分かってはいるけれど――でも本当はもしかして私なんてどうでもいいんじゃないか? という思考は止まらなかった。


 だから、拒絶したかった。

 いつも通り表面を取り繕って応急処置をして、その後はときが流れるままにもとに戻ることを期待した。


 でも、今回ばかりはそうも行かなかったみたい。

 どうも、デイスさんは聡かった。


「大丈夫です――大丈夫ですから。皆さんにこれ以上迷惑を掛けるわけにはいきません」


 私は自分に言い聞かせるようにした。


「迷惑って……そんなことないだろ。色々助けて貰っているし、俺だって力になりたい。もし何かあって疲れてるなら、休んだっていい」


 微笑む彼に、私の心のざわつきはさらに増えた。

 気になった、本当にそう思っているのか。


 ――ただの『道具』でしかない私を引き留めるための言葉じゃないの?

 どうしても不安になってしまった。


「私が何か、しているんでしょうか? 何もしてないですよ。私が・・助けになれている部分なんて、一つもありませんから」


 回復しか能がないはずなのに、このパーティーではそれの意味もない

 みんな、強いんだ。


 じゃあ、私のどこに価値が残るんだろう?


 私の言葉を、私が納得できる形で否定してほしかった。

 だけど。


「何もしてないなんてことはないだろ。普段から、回復魔法も、俺の狂化のデメリット打ち消しにだって、ミレイルさんは必要な存在だ」

「――それ以外に、何かありますか?」


 ふっ、と心が冷めた。

 ああやっぱりそうなんだって。


「えっと……共用財産だって持ってもらってるし、それに最初だって俺を助けてくれたじゃないか」


 何も出てこないじゃない。


「そんなの、大したことではないじゃないですか。どれも私じゃなくてもできることです」


 否定して。

 私の言葉を。


「そんなことないだろ? だって、俺を助けるのはミレイルさんじゃなきゃできなかっただろ。ミレイルさんのギフトがあってこそ――」

「やっぱり、ギフトなんですか?」


 続く言葉も、私の失望を誘った。

 胸が痛かった。


 自分がこんなことを言ってしまうのも、否定してくれないのも、嫌だった。


「え? そりゃあ、それは確かに大きな要素……だろ?」


 何も分かっていないような顔で彼は返した。

 正確には、私の異常にだけは気づいている。


 そうだよね、いつもそれは気づいてたもんね。


「それって、私なんですか? 私じゃなきゃ駄目なんですか?」


 自分でも分かるくらい、段々と声が震えてきていた。


「ギフトは個人にしかないものだろ? ……だから、ミレイルさんじゃなきゃ駄目だろう」

「――結局、ギフトなんじゃないですか」


 違うって、言ってほしかった。


「――え?」

「恩寵なんて、所詮神から与えられただけの力じゃないですか! そんなの、そんなの――私の力じゃない。評価されているのは、私じゃなくてギフトだけじゃないですか!」

「そ、それは――」


 あなたには沢山の価値があるって、言って欲しかった。

 私も知らない、私の答えが欲しかった。


「何もできなくて、嘘を吐くことでしか完璧になれない、無駄な付属品でしかないわたしなんて誰も欲しくないんじゃない。そんなの、わたしじゃなくて、もっと有益で、使いやすい――同じ能力を持ったただの魔道具だけで十分じゃないの!」


 言葉を紡いだ。

 ずっと思っていたことだ。


 そこに嘘偽りはない。


「――ごめんなさい」


 私がこんな言葉を吐いて、彼を傷つけたことに対する謝罪だったのだろうか。

 自分でもわからない。


 ◇


『他人は、助けなければいけない存在』


 昔から、そう思っていた。

 最近、自分の中にそんな思考があることに気づいた。


 だからヒーラーとしてみんなを治療した。

 だから患者を治療した。


 だから――デイスさんを助けた。


 私が助けられる側に回ってはいけないし、それをできる人なんて居ない。

 親もそうだった。


 いつも何かに追われた顔をして、救いを求めていた。

 助けてあげたかったけど――私は邪魔だったみたい。


 結局なんで、私はあんなことを言ったんだろう。

 今までは耐えられていたのに。


 ……原因は、手紙なのかな。

 何度も送られてきた、あの手紙。


 教会を通して、私に贈られた。


 そして、後から送られてきた手紙を開けば、催促の内容だった。


 また帰ってきてくれ、早くと急かされた。

 ちょっとだけ、行きたいという気持ちはあった。

 両親に必要とされているのが嬉しかったから。


 でも――それは私に向けられたものじゃない。

 結局は、私の恩寵にしか向けられていないものだった。


 私には価値がない。

 恩寵にしか、価値がない。


 だから、本当の私を見てほしかった。

 でも、私から恩寵をなくしたら、後には何が残るんだろう?


 同時にそう考える自分も居た。


『もし、私と同じ恩寵を持った人間が現れたり、道具が見つかったりしたら?』

『実はみんな私の恩寵としての意味合いしか感じていなくて、私の恩寵がなくなったら、みんな愛想を尽かすんじゃないか』


 恩寵がない私は無価値。

 だから、だから――


「……ふぅー」


 大きく息を吐いて、一度立ち止まる。


 何をするにしても、とりあえずもう少し落ち着きたかった。


 ――だから、とにかく人が居ないところがいい、と思って、陽光の森の外れにまで来てしまった。

 盗賊や魔物は比較的寄りつきにくい場所だ。


 でも、夜の外なんて十分危険なことには変わりない。

 何してるんだろう、私。


「……凄い、静か」


 異様なくらい静かだった。

 普段なら、虫の音や、動物の音の一つ二つくらいはするが、今はその片鱗すら聞こえない。


 不気味な静けさが包む森の中、私は朽ちて倒れた木に腰掛ける。

 同時に、杖から出していた光を消してみる。

 辺りは完全に暗闇に包まれていく。


 黒の夜闇が覆い尽くす森の中は、私の歩いてきた道さえ曖昧になって来ていた。

 まだ道は覚えているし、この辺りは通ることも多いから帰るのには問題はないけれど。


 少し上を見上げると、木々の隙間からすっかり暗くなった空が見えていた。

 冷涼とした夜風が吹いている静寂の世界の中、白色の星々が夜空に瞬いている。


 もうちょっと良い精神状態で見れたなら、少しは感動できたのかもしれないな。


 ふ、と自嘲するような笑みが口の端をかすめる。


「――この街を、国を出よう。全部リセットして、全部忘れて、全部新しくする」


 親の手が届かないところまで言って、デイスさん達のことも忘れて、心機一転。


 ただ、全てから逃げているだけなんて分かってる。

 それでも、今が苦しくて、逃げないとやってられなかった。


「じゃあ、一回帰ろう」


 呟いてから、立ち上がる。


 辺りはとても暗く、少しだけ差し込む月明かりだけが辺りを照らしていた。

 こんな暗さのまま歩いたら転んでしまうかもしれないので、私は杖に手をかざすようにしてから、詠唱した。


「聖なる光よ、闇を暴け『フレア』」


 簡単な魔法なら、教会でも習ったことがある。

 杖から光が出て、辺りを照らす。


 まだ見えにくいけど、さっきみたいな数歩歩けば闇の中、なんてほどではなくなった。


 異様なくらい静かな森の中を歩く。

 パキパキと枝が折れる音と、葉を踏みしめる音がよく聞こえる。


 ――そこで私は振り返った。何か違和感を感じて。


 何も見えない暗闇の中を凝視してみるが、何もない。

 ひゅう、と夜風が私の頬を撫ぜる。


 じわりじわりと心の奥底から湧き出てくる恐怖感を抑え込むようにしながら、私は歩みを早めた。


 ちょっと変な音がするのも、気のせい、風が強くなった気がするのも――気のせい。


「グゥオオォォ……」


 遠くから、叫び声が聞こえた。

 体の奥底を揺らすような振動が響く。


 今度は……気のせい、じゃない?

 聞いたことのない鳴き声だった。


 どこか、ワイバーンに似ているような鳴き声だ。

 つまり……また竜族が?


 私は音の源の方に目を向け、一歩二歩と後ずさってから、急いで走る。


 それとほぼ同時、吹く風が段々と強くなってくる。


「まさか――こっちに来てる?」


 後ろを見てみるが、上には何も居ないように見える。

 木々に阻まれているだけかもしれないが……でも、今は走らなきゃ。


「――はっ、はっ」


 息を切らしながら、森の外へと走る。


 前へ目を凝らすと、木がない場所が見えてきた。

 森の外だろう。


 そこまで走っていって――森を抜けた。


「魔物は――」


 後ろを振り向いて、私は戦慄した。


 暗くてよく見えないが、巨大なフォルム。

 はためかせた一対の翼に、月明かりを反射してキラリと輝く、トカゲのような赤い鱗。


「嘘……なんでここに……」


 そう――ドラゴンだ。


 私は、それを見ると急いで振り返って再度走り出した。


「逃げなきゃ!」


 それとほぼ同時、大きな振動が響いた。

 床を揺らし、私の足元をふらつかせる。


 走っていた私は、思わずよろけ、バランスを崩す。

 体勢を整えようとするが、それも虚しくつまずいてしまった。


 杖ははるか向こうに飛んでいき、私の体は地面にす。


 ドラゴンの方に向き直ると、ドラゴンが地に降り、こちらを見ていた。


 その黄色く細い瞳で、鳴くわけでもなくただこちらを見ていた。


 ドスン、ドスンと大きな足音を鳴らしながら、近寄ってくる。


 ――ああ、これはあの程度のことで怒って、さらに危険な野外に出てしまった馬鹿な私に対する罰なのだろうか。


 私は、腰が抜けたまま立ち上がれないでいた。

 それに、どうせ立ち上がっても無駄だろうという考えもあった。


 ……でも、私の予想とは裏腹に、近くまで来たドラゴンは、私の顔を間近で覗き込んだ。

 巨大な顔が眼前に迫り、そのぬるい鼻息が私の体に吹付ける。


 ひょいと顔を戻すと――今度は一瞬翼をはためかせてから、私の体をその大きな爪の付いた腕で掴んだ。


「痛っ――え?」


 ひゅおん、と風の音が鳴ると同時、私の体は宙に浮き上がった。

 風の圧は不思議と弱かったが、ぐわんぐわん揺れる視界の中と、掴まれたときの衝撃のせいで、私の意識は遠のいていった――


 ◇


「おいおい……なんだありゃ。ドラゴンかよ。なんでここまで?」

「俺に聞くなよ……つか、今連れてかれたヤツいたよな?」

「ああ――聖職者っぽいヤツだったな」

「……帰ったら報告だな」

「おうよ」


 二人の冒険者が、森の影からそれを見ていた。

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