第12話 

 ――山羊クルミが死んだ。

 交通事故だった。信号無視の車にひかれてしまったらしい。

 下校途中、信号を渡っている際に信号無視の違反車に引かれ、死んだのだ。

 何かとキョロキョロと忙しい彼女が車に気付かなかったなんてにわかに信じられない。

 思えば、おれは事故現場を見たわけでもないし、遺体を見たわけでもない。明日になれば何もなかったかのようにクルミに会えるかも知れない。全てはおれの夢で目が覚めたら終わり。なんてこともあるかもしれない。

 今となっては知るすべがない。全ては不確かな妄想だ。

 下らない妄想とともに彼女との日々が浮かんでくる。死んでから大して時間が経っていないからか、彼女の姿を思い浮かべるのは容易だった。明るく社交的、小柄で長く、色素の薄い髪と大きな瞳が相まって西洋人形のような少女。カメラが好きで、いつも首にインスタントカメラを下げている。スナック菓子とコーラが好き。この組み合わせが最強なのだと説いていた。摂取したカロリーは部活の先輩をからかい鬼ごっこに誘導して消費。不真面目なようで実は真面目でやるべき事はちゃんとやる。それに以外と気にしい。入部の時は困ってたっけ。勝負事になると姑息な手しか使わない。映像部の部員。大事な後輩だ。

 TVには《山羊クルミ16歳 学生》としか表示されていない。

 おれはTVなんかよりも彼女のことを説明する事が出来る。

 彼女を“16歳の交通事故で死亡した可哀想な学生”で片づけていい訳がない。

 表情を、感情をそんな無機質な言葉でかたづけていいわけがない。




 それから1週間ほど、学校は休校となり、再開と同時に期末テストが開始した。

 由衣は真面目にテストに取り組んでいた。きっと、何かしらの作業をして気を紛らわせたいのだろう。その点でテストは有効だった。おれだって同じだ。

 テストは3日ほど続いた。

 久しぶりに部室にでも寄ろうかと思ったが、止めた。もう帰ろう。

 自転車置き場に行く。

 「お線香上げにいかない?」

 おれの自転車の隣で由衣が待っていた。

 人が居ないところとなるとそう多くない。

 



 自転車は学校に置いておくことにした。どうせ誰も使わない自転車置き場なのだ。一日くらいわがままを言ったって構わないだろう。

 住宅街を散策し、山羊の表札を探す。

 学区内の住宅街はそう多くないので、見つけるのに時間はかからなかった。

 由衣はチャイムを押す。

 しかし、なかなか応答がない。物音もしない。留守なのだろうか。

 そんなこんなで立ち往生していると、近所のおばあちゃんが我々に気付き、いろいろと教えてくれた。

 クルミの母親は3日前に祖母の家に行ったらしい。娘が死んだ道を見たくなのだとか。

 我々はおばあちゃんに礼を言い。教えられたクルミの祖母の家に向かう。"川端家”。

 経路は分かっている。海に向かえばいいのだ。

 



 電車に乗り、何駅かを越える。

 車窓からの景色は太陽の恩恵を素直に享受している。

 その街は相変わらずさびれている。

 山が近いのか蝉の鳴き声が聞える。その隙間から海の音がする。

 以前は気づかなかった情報だ。

 海から山に向かって傾斜があり、そこに街が作られている。海風に当てられてられてなのか、それとも単純に古いのか家や商店は赤黒く変色している。

 我々は坂道を上り、家々の表札を見て回る。普段から坂を登っているため、その作業自体はそんなに苦にならなかった。

 「ここだね」と由衣が言う。

 小さな家だ。小さな家には小さな畑があった。トマトやキュウリが支柱に垂れている。背の低い石垣がそれらを海風から守っていた。縁側沿いの扉が開いていることから人がいるのは確かだ。

 チャイムを押す。

 「はーい」と玄関から女の人の声がした。

 引き戸が開く。ガタガタと開きが悪そうだ。

 「初めまして、クルミさんと同じ部の者でして...」

 「ああ、電波さんとボブさん」

 女の人はにっこりと笑う。目尻に綺麗なしわが寄る。どことなくクルミに似ている。

 「どうぞ上がって」

 「お邪魔します」

 我々は居間に通される。

 居間には座卓とテレビがあった。

 縁側からは小さな畑とその奥に海が見える。

 山羊さんは台所からトレイに乗せたお茶を持ってきた。

 「麦茶でよかったかしら」

 「はい。ありがとうございます」

 八木さんは我々の正面に座る。

 「わざわざありがとうね」

 「いえ」

 「あの子からお二人のことはよく聞かされてたわ」

 「・・・」

 「学校から帰るといつも部活のことを楽しそうに話すの」

 八木さんは麦茶を少し飲む。

 「元々、学校のことを話す子じゃなかったから、嬉しかったの...」

 「電波先輩ボブ先輩って毎日楽しそうに話してたわ」

 ああ、やばい。

 「おかしな呼び名だったから変な子達だったらどうしようって思ってたけどかわいいこ達でよかった」

 八木さんは笑う。きっと泣きそうなのだ。

 由衣は相変わらず下を向いて、ピクリともしない。

 「ゆっくりしてってね」

 それから、我々は仏壇に線香を上げ、川端家を後にする。

 外に出てからも、仏壇のニコニコした遺影が脳裏から離れなかった。

 なぜクルミが死ななければならなかったのか?他の誰かが死ねば...。そもそも、こんな理不尽な死に方あっていいのか?

 「すまないが、少し山の方までいかないか?」

 「うん」

 山に近づくにつれて蝉の鳴き声は強くなっていく。

 由衣は意図を組取ったのか、おれの少し後ろに並んで歩く。

 ここでなら構わないだろう。

 感情が瓦解する。ここでならどんなに泣いたって誰にも聞えない。

 “ふざけんな!!!!!!!!!”

 叫ぶ。しかし、蝉があまりにうるさいので自分でも自分の声が聞えない。




 電車内。

 我々の他に人はいない。

 影は由衣の顔に張り付き、彼女の表情を包む。ボブヘアーからは形のいい鼻が覗いていた。振動とともに鼻梁の影が形を変える。

 「……やっぱり、間違えてるよ」

 由衣が独り言のように呟く。いや、それはようにではなく実際に独り言だったのかもしれない。

 「……」

 おれは姿勢を変える振りをして、ちらりと彼女の顔を覗く。しかし、影は彼女の顔を寵愛しているようで、おれに表情を読み解かせてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

  

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