第23話 進むために後悔を
——ガチャリ。
丁寧に、音を立てないように閉められた扉。
その音に、アインは沈んでいた意識を覚醒させた。
周囲はしんと静まり返っており、聞こえてくるのは規則正しい呼吸音だけだ。
いまだ目覚めきっていない目で外を見れば、月明かりだけが照らす夜が広がっている——おそらく深夜だろう。
再び視線を室内へ。
川の字になって寝ている三人の方へ目を向ければ、その端だけに人影がない。
「シェリア……?」
そう、いないのはシェリアだった。
アインがその名を呟けば、同じ程度の呟きがアインの耳に届く。
「行くといいっスよ」
「……起きてたのか?」
「一流を舐めないで欲しいっスね~」
姿勢は動かさないまま、アリサの呟きは続く。
「彼女、けっこう堪えてたみたいっスから。守るつもりなら一緒にいてあげないとダメっスよ?」
「……君は私を嫌っていただろう?」
「私が嫌いなのは現実を見ていない甘ちゃんっスよ。それにこれは、三流が二流に格上げしたお祝いでもあるっス」
歯に衣着せぬ言葉遣いにアインは苦笑してしまう。
けれど、気分はそう悪くはなかった。
「ありがとう」
そうとだけ言い残して。
アインはシェリアを追って外に出た。
* * *
「——起きていたのね」
月明りだけを頼りに進んで、たどり着いた村の中心。
すでに家主を亡くした家の前に佇む少年に、シェリアは声をかけた。
「……ねえちゃん」
「病み上がりなのだから寝ていた方がいいわよ。彼女が言うには血も再生させたらしいけど……」
聞けば聞くほどおかしな力だ。
切り落とされた腕を癒し、流れ出てしまった血すらも再生させてしまう。
何もかも前例のない力に、もはや呆れるしかない。
「そんなんだけどさ……なんか眠れなくて……」
エルはそう言うと、目の前の家をじっと見つめる。
そんな彼の後姿はやけに儚く、小さな体がさらに小さく見えた。
だから——
「そう、私もよ」
シェリアは少年の隣に立ち、同じように同じものを見つめる。
「…………」
「…………」
どのくらいの時間そうしていただろう。
無言のまま、ただ一点を見つめる。
その時間が自身の心に決心をつける手助けをしてくれて、シェリアはようやく口を開くことが出来た。
「…………ごめんなさい」
家へと向けられていた眼差しがシェリアへと向けられる。
なにも問わない眼差しは、シェリアの目を捉えては離さない。
その目は、何を謝っているのかを問うているようで。
「貴方のお父さんを、助けられなかったわ」
「……親父じゃねぇよ」
「でも、父のようだと思っていたのでしょう?」
エルは何も答えない。
しかし、スッと横に逸らされる眼差しが答えだった。
「今回はすべて私の不手際よ……全てを見据えた気になって、全てを読み切った気になって…………結局私は何も見えていなかった」
自分の殻に籠り、人と接してこなかった。
たしかに事実ではある。だが、世界に出た今、それはただの言い訳だ。
「人の心を分かった気になって……失敗した。その結果がこの惨状よ……本当ならこんなことにはならなかった。歴代の『司書』ならこんな半端な結果にはしなかった」
懺悔をするように。
過去を嘆くように。
シェリアは後悔という罪を吐き出していく。
「私が筋書きを書いて……その通り進めていたわ。商人が盗賊と繋がっていることを暴露したことも、盗賊の討伐に狩り出たことも。それに、荒れた村の復興を助けたことも。全て私の筋書きだった」
理想的に進んでいたはずだった。
自分の手を煩わせるのは最低限で、それで村人の信頼という最大限の結果を得ることが出来るはずだった。
唯一、見誤ったのは——
「見誤ったのは……心ね」
人が自分の枠組みの中でしか動かないと錯覚していた。
盗賊の脅威にさらされている村……赤い騎士の力を借りれば数日で解決できてしまうような、そんな問題。
だから、油断していたのだ。
シンプルな問題であるからこそ、人の心理も単純であると。
いや、油断という言葉で片付けていい問題ではない。
知らず知らずの間に、他者を見下していたのだ。
あくまでも周りが
「そんなはずがないのにね」
当たり前だ。
力や知性、権力の差はあれど、人は本質的には平等なのだから。
「……悪いわね、こんなことを聞かせてしまって」
「それはいいけどよ……なんで俺なんだよ? ねえちゃんにはあのにいちゃんがいるだろ」
ようやく、じっと正面を見ていた少年の顔がシェリアへと向いた。
同時に、彼の表情にわずかばかりの驚きが混じる。
「…………」
「彼には言えないわ……」
手を引いてもらった。
連れ出してもらった。
「もう、彼にはたくさんのものを貰っているもの……それに、一緒に世界を見ると約束した。なら、私は彼の後ろにいるのではなくて、隣に立てるようになりたいの」
力では役に立てない。
だからこそ、知力で彼を助けたいのだ。
世界を広げてくれた唯一の恩人である彼に、シェリア《私》が出来ることはこれだけなのだから。
「誰かに聞いてほしかった。逃げられないようにするために……そして、これ以上の間違いを犯さないと誓うために。だからもう一度謝るわ。巻き込んでしまってごめんなさい」
エルは何も答えない。
でも、それでいい。
これは自分自身に誓うための言葉。
揺らいで見えなくなっている視界も。
必死に堪えようとして、堪えられていない嗚咽も。
「……後悔はここでしていく。そして私は進んでいくわ」
月を見て呟いたこの言葉も、全てが得難い経験となるはずなのだから。
* * *
「——違う」
アインはそう呟いて、それ以上の感情を全て握る拳へと集中させた。
爪が手のひらに食い込み、わずかに痛みが走る。
当然、血がにじんで指先に温かい感触を感じるが、それがアインを逆に冷静にさせてくれた。
それが、逆に良かったのかもしれない。
でなければ、アインの背をもたれさせている木の反対側。その先にいる二人に気付かれてしまったかもしれなかったから。
「……違う」
再びの呟き。
それは、シェリアが告げた言葉に対してのものだ。
なぜなら、アインは今回の件でなんの活躍も出来なかった。
アリサがいなければ盗賊の討伐は叶わなかった。
セシルがいなければ少年の命は救えなかった。
そして、シェリアがいなければこの村の問題は解決しえなかった。
たしかに、シェリアのしたことによって被害が出たのかもしれない。
しかし、彼女が行動に起こしていなければ、村は永遠と搾取され続け、将来的にはもっとたくさんの人が命を落としていたかもしれないのだ。
それに対し
やったことといえば、畑を耕したこと。
それに、間に合わなかった後悔を吐き出すように、盗賊に手をかけたことだ。
間に合わなかった……間に合わなかったのだ。
そのせいで彼女はいま涙を流している。
「……あの時、私が先行して村へ走っていればどうなっていたのか?」
なんの役にも立たない想像だ。
結局、
守るべき少女の心を傷つけ。
彼女の体は隣に佇む少年によって救われた。
……どうあがいてもシェリアを守ることが出来ない。
現状、それがアインの現在位置だ。
三流から二流に格上げしたと称されても、嬉しさよりも悔しさの方が勝っていた。
「……強くなろう」
すぐには無理かもしれない。けれど、時間もそうあまりないのだ。
世界は残酷だった。人が人の命を奪い、自身の欲のために他者を蹴落とす。
言い訳なんて出来ない……したくない。
それが、彼女を守ると誓ったアインの役目であり、彼女に惚れた一人の男として唯一できることなのだから。
「……強くなるんだ」
もう一度、決して違えないように。
背後で月を見上げる彼女と同じように顔を上げて。
アインの呟きは夜の暗闇に溶けた。
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