第21話 脅威にさらされて




「貴方だったのね——」


 けっして大きくない室内で響いた声音。

 動揺はない。ただ結果だけを見つめていたその声は、正しく届けるべき者に届いた。


「ちっ……また見られた……」


 年の頃は二十半ば、いや後半といったところだろうか。

 やや大柄な体躯に、乱雑に切られた髪は粗野な印象を与えている。

 血に濡れた剣と不機嫌そうに歪められた眉は、この村を継ぐにはふさわしくない風貌だ。


「答えなさい。貴方が私たちのことを盗賊に漏らしたのね」


「…………」


「……沈黙は肯定と捉えるわ」


 じりじりと、剣を揺らして近づいてくる男に問いかける。

 しかし、男は何も言わずに近づいてくるだけだ。


 ……時間稼ぎは出来ない。

 ……アインの居場所は分からない。


 現状を正確に把握し、シェリアは近づく男から距離を取るために後退あとずさる。


 体躯の差から、少しずつ近づいていく両者の距離。

 どんどん大きくなっていく男の姿に、シェリアの額からは一筋の汗が流れ落ちた。


 本来のシェリアの力があれば——第二書架コクマ・ライブラがあれば問題などなかった。

 知識の顕現による魔法の再現によって、即座に男を行動不能に陥れることが出来ただろう。

 だが、今それは失われている。


 いまのシェリアに出来るのは、詠唱が必要な魔法だけだ。

 そして、その時間を稼げるほど、両者の距離は開いていなかった。

 また、男も詠唱など許しはしないだろう。


「……っ!?」


 言葉など無く、男がシェリアへと切りかかってきた。

 後退りをして、家の外に出ていたのが幸いしたのだろう。シェリアは横へと走ることで脅威から身を逃す。


「ちっ」


 舌打ちをし、ギロリと向けられる男の眼差し。

 その目は異常なまでに血走り、人を殺害する抵抗など感じられない。


 ゆっくりと振り下ろした剣を持ちあげ、再び歩を進める男に、シェリアはこの後の行動について思考する。


 剣を振り下ろしたことによって、再び両者の距離は離れている。

 とはいえ、いまだ危機に陥っていることには変わりない。


 まず、この場が開けていること。

 逃げ場はあれど身を隠す場所がないということは、身体能力がものをいうということである。

 大柄な男と一般的な少女と同じ程度のシェリアでは、その身体能力に大きな差があるのだ。


 そして、一方的に相手に武器があるということもまずい点である。

 一度でも魔法が使えれば、それが抑止力となる。

 しかし、今はその余裕が無い。


(……まずいわね)


 手詰まり——それが、いまシェリアが抱えている状態だった。


(この体の大きさだと第一じゃダメね……第二くらいの威力は必要だわ)


 第一、 第二……と、階梯を上げていくほどに強力になっていくのが魔術だ。

 ただし、それに比例して詠唱も長くなるというジレンマも抱えている。


(体格の差から考えると……六手……いや、五手かしら? それで私は殺されるわね。どうしようかしら……)


 脳内でシュミレートしても、自身の身体能力の低さがネックとなってしまう。


 もう少し足が早ければ。

 もう少し筋力があれば。


 その足らない『少し』のせいで、現状を覆すことが出来ない。


(逃げる? ダメ、追いつかれる……せめて遮蔽物がないと……)


 どうにか生き残る手段を探る中、ふと頭に浮かぶのは可笑しさだ。


「ふふふっ……」


「っ!?」


 シェリアが笑みをこぼすと、近づいてきていた男がビクリとその足を止めた。


「悪いわね、笑ってしまって」


「…………」


 返事はない。

 だが、その行動がシェリアに一筋の光を見せた。


「なんで、こんなにも生きようとしているのかしらね? 前だったらこんな気持ちは生まれなかったはずなのに……」


「…………」


「でも、そうね……これも、彼の影響なのかしら? だったら悪い気はしないわ」


 経験が大事だと自信を連れ出した少年。

 その姿を思い浮かべて、シェリアは口元に弧を描いてみせる。

 同時に、自身の衣服をわずかにはだけさせ、その隙間に手を入れて。


「来なさい……あなたを倒して私は生きるわ」


 直後、血に濡れた刃がシェリアへと向かって駆けた。


「……一手目」


 眼前まで迫り、振り下ろされる男の剣。

 その直前にシェリアは手を引き抜いた。


 当然、これはブラフだ。

 しかし、男はそれに気付けない。

 生まれるのはわずかな迷い。見えない恐怖が警戒を生み、男の剣筋を鈍らせる。


「……二手目」


 鈍らせた刃によって、本来よりも大きく距離を取ることが出来たシェリアは、油断なく相手を見据えた。

 注目するのは男の表情。


 ブラフがバレたか?

 それとも、バレていないか?


 刹那、横に振りかぶられた剣を察知し、シェリアは低い体制のまま飛ぶ。

 身体の上を抜けていく殺意に実を強張らせながらも、どうにか地面に手をついて体制を整えた。


「……三手目」


 仕留められなかったことを知覚した男は、激昂のままに足を速める。

 同じくして服の中に手を入れたシェリア。すぐさま取り出された指先には二つの小石が挟まれていた。


 これは、さきほど地面に手をつけた時に拾ったものだ。

 人差し指と中指、そして薬指の間に一つずつ挟まれた。だが、それが服の中から取り出された物だと錯覚した相手は、ただの小石を脅威と認識してしまう。


 男が振りかぶった瞬間、シェリアは小石の一つを放った。

 顔面へと向けられた石を男は大げさに躱し、その体制を崩す。


 体制が崩れた隙をつき、大きく距離を取ったシェリア。

 少し離れた背後には、男がいた家がそびえている。


 家に入り、扉を閉める。

 男が扉を開ける隙を見て詠唱さえできれば、シェリアの勝ちだ。


 石がなんの現象も起こさなかったと分かるや否や、男はシェリアへと向かって走り出す。

 同様に、シェリアも家へ向かって走る。

 しかし、無情にも両者の距離は縮んでいき、その凶刃が届きえる距離まで縮んだ瞬間——


「……四手目!」


 投げたのは残りの小石。

 しかし、男は止まらなかった。


 振りかぶられる血に濡れた刃。

 だが、シェリアの策は終わりではない。


「炸裂せよ!」


 たった一言の叫び。

 しかし、その叫びが一手を稼ぐ一手となる。


 シェリアの声を聞いた男が剣を止め、身を守ろうとしたのだ。

 そしてそれは、シェリアの策が通じた証左でもある。


「——紅蓮の灼火、燃える迅雷。走り、奔り、炸裂する——」


 相手を惑わす『嘘』でもあり、相手を打倒するための『本当』でもある一言。

 家に逃げていたのも、家に逃げ込むだろうと相手に考えさせるためだ。


 詠唱を始め、自身の勝利を確信したシェリア。

 だが、先に潰えたのは自身の肉体だった。


「……?」


 ガクリと。

 視界が突然低くなった。

 愕然と眼下を見下ろせば、自分の足が限界を迎え、ただ震えていることに驚愕する。


 当然といえば当然だった。

 半日もかかる道のりを歩き、そして走って帰ってきたのだ。

 数度の休憩があったとしても、少女の足が耐えられるはずがない。


 詠唱を完了するまでに稼いだ一瞬は、もつれた足によって帳消しとされた。

 あと待っているのは、自分の死という結果だけ。


 追いつかれ、今度こそはと振りかぶられる凶刃。


 ——死。


 自身の結末を悟り、シェリアが目を閉じたその時——


「うおおおおぉぉっ!!!」


 小さな、けれど大きな衝撃がシェリアを突き飛ばした。

 その衝撃に目を見開く。すると、シェリアへと振りぬかれるはずの剣は地に突き刺さっていた。


 舞う鮮血。

 その出所に気をまわしている余裕はない。

 

「火種は奔り、燃え盛る……奔る爆炎プロージブ・フランマ!」


 炎が奔り、男は爆炎に包まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る