第12話 村での暮らし




 誰かが頭を撫でている。


 顔は分からない。声は聞こえない。けれど、そこには確かな温かさがあった。

 でもだからこそ、シェリアにはこれが夢だと理解できてしまう。


 これは過去、求めていたものだ。


 欲しくて欲しくて堪らなくて。

 けれど、求め続けているうちに諦めて、忘れてしまったもの。


 従者はこんなことはしない——ただ、付き従うだけ。

 王子はこんなことはしない——ただ、隣に立つだけ。


 優しさを向けてくれた。気にかけてくれていた。だけど、シェリアには誰かに頭を撫でてもらった経験がない。

 経験がないからこそ、夢を見て、焦がれてしまった。


 でも、それまでだ。

 夢と気付いた幻想は姿が保てなくなり、現実へと引き戻されていく——






 ザッザッと、畑を耕す音がする。

 規則的に響いているその音と、鳥たちの鳴き声を聞きながら、シェリアは眠っていた意識を覚醒させた。


「…………」


 小屋の中には誰もいない。

 それを確認したのち、シェリアは自身の身支度を始める。

 簡単に寝癖を直し、わずかに乱れていた衣服を整えて外へ。

 差し込む朝日に目を細めながら外の景色を見渡せば、すでに同居する三人がいた。


「ずいぶんと遅いお目覚めっスねぇ!」


「仕方がないだろう。シェリアはこういう仕事に慣れていないんだ……それに、その分私が動いているじゃないか……シェリア、おはよう」


「おはようございます」


「あ、おはようっス!」


「……おはよう」


 三人は畑作業をしていた。

 盗賊に踏み荒らされ、荒れ果てた土地を耕し、使える状態までもっていく。

 それが、この村に滞在を始めて三日が経ったシェリアたちがおこなっていたことだ。


 シェリアは三人からの挨拶に応え、井戸の方へ。

 水を汲んで顔を洗えば、いまだ目覚めきっていない意識がしっかりと覚醒した。


「悪かったわね。でも、起こしてくれればよかったのに」


「いいんですよ。私やアリサは慣れていますし、アインさんは男性ですから」


「そうそう、大丈夫っスよ~」


 ひらひらと手を振っているアリサ。

 そんな彼女にアインは半眼となった目を向ける。


「……君はほとんどやっていないだろう。だいたい私とセシルがやっていたじゃないか」


「そうっスか?」


「まあまあ、私が好きでやっているので」


 いがみ合う二人を落ち着かせるように、セシルがにこやかに笑みを浮かべた。

 シェリアは濡れた顔の水気を拭き取ると、彼女たちの元へ歩いていく。


「ここからは私も手伝うわ」


 小屋に立てかけられたクワを手に取って告げれば、アインはその顔を横に振った。


「いや、大丈夫だ。この畑もこれで一通り耕し終わる」


「そう」


 小屋と同程度の畑を眺める。

 踏み固められ渇いていた土はほどよく耕され、水を含んだように深い色となっていた。

 これなら種を植えてもちゃんと育ってくれるだろう。


「たしかに大丈夫そうね」


「ああ、それで君に相談なんだが……この後はどうする?」


「そうね……」


 ふむ、と思考する。


 いままで行ってきた畑作業は、あくまでも村人と善良な関係を築くまでの手段だ。

 この三日間、周囲を探索したおかげで狩りと採集で食料を確保することが出来るのは確認済み。

 ならば——


「もっと情報収集をしたいところね」


「でも、ここの人は……」


「ええ、だからもう一押し……信頼を得る必要があるのだけど……」


 盗賊の被害に苛まれてきたこの村の住人は、外の人間に厳しい。

 だからこその畑仕事であるのだが、これだけでは信用を得るのに弱いのもまた事実。


「たぶん、もうそろそろだと思うのだけど……」


「何がだ?」


 どうやら呟きを聞かれてしまったらしい。

 訝し気に見つめるアインの眼差しを受け、シェリアは思考を深める——その時だ。


「あっ! セシルのねーちゃん!」


 畑の外から子供の声が響く。

 見れば、セシルの方へ向かって子供たちが駆けてきていた。


「今日も勉強を教えてよ!」

「教えてよ!」


「はい、分かりました!」


 抱き着く子供の頭を撫で、セシルが優し気な笑みを浮かべる。


 これも、村人からの信頼を得る手段の一つだ。

 彼女自身はそれを意識しているわけではなく、純粋に子供との触れ合いを楽しんでいるわけだが、シェリアは違う。

 切っ掛けはセシルの「子供たちに勉強を教えたい」という発言ではあるのだが、それを活用しようと考えたのだ。


「悪いな……また姉ちゃんを貸してくれ」


 言いにくそうに声を発したのは、少し遅れてやってきたエルだ。

 そんな彼から視線を逸らし、シェリアはアリサへと目配せをする。すると、返ってきたのは小さい頷きだった。


「……大丈夫よ」


「悪いな……」


「じゃあ、いってきますね!」


「いってらっしゃいっスぅ!」


 元気のよい声に手を振ってから、セシルは子供たちと歩いていく。

 その後ろ姿を見届けて、シェリアはアインへと向き直った。


「ひとまず今日は採取もかねて周囲を回りましょう。そして、今日は少し早めに休みましょうか」


「……分かった」


「貴方も、頼んだわね」


「分かってるっスよ! それよりも、狩りの足手まといにならないように気を付けるんスよ?」


 前回、狩りに出るアインについて行ったときは散々だった。

 木の根に躓いて彼のズボンを半分脱がしてしまったり、セシルの胸元に突っ込んで実力の差を再確認してしまったり。果てはアリサの仕掛けた罠に嵌ってしまったり……。


「……分かってるわよ」


 前回の失敗を振り返り、シェリアは苦々しく眉を寄せてしまった。

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