第11話 動き出す王国




 王城内——魔術研究室。

 王城の地下に設けられたこの一室は、ただ一人の為に用意されたものである。


『司書』の知識によって授けられた紋様。

魔術的に補強された壁は王国で最も頑丈な壁であり、個人の趣味の場には過ぎたものだ。

そんな薄暗い地下室に、一人の男がいた。


王国所属の筆頭魔術師——シア=インサディア。

スラリとしている高い身長に、手入れの行き届いた茶色の髪。本人の顔立ちも整っていて、着ているのがローブでなければ貴族と思われても仕方がないだろう。


「ねぇ……まだなの?」


「……は、はい……ひっ!?」


 それは、おかしな光景だった。

 シアが気だるげに見つめる先、魔術的に補強された壁には連絡係として派遣された兵士が立たされており、兵士の返答を聞くたびに放たれた魔力の矢が兵士を掠めていく。

 恐怖で強張る兵士とは対照的に、シアの表情は無感情とも取れるほど無気力だ。

 それはまるで、幼子が大好きな玩具を取り上げられて不貞腐れているようにも見える。


「僕、もう待てないよ……だってさ、もう何日経った?」


「と、十日です……っ!?」


「そう……もう十日なんだよ! いつまで待たせんだ!」


「ひぃっ……!」


 激情のまま放たれた魔術が兵士の頬を掠め、わずかに裂けた皮膚から血が流れる。


「あぁぁぁぁぁ、ムカつくなぁ……イライラするなぁ…………」


 地団太を踏み、苛立ちが抑えられない魔術師。

 不満を漏らしながら髪を振り乱す姿はまるで子供だ。


「そうだ、お前を玩具にしたら少しは気分も良くなるかな?」


 ぎょろりと見つめられた兵士の喉からひゅっと息が漏れる。あきらかに恐怖から洩れたものだ。


「王国最大戦力の僕の機嫌を取るためなら王様も許してくれるよね? 兵士の命の一つや二つ……安いものだよね? ねぇ、君はどう思う?」


「お、お許しください……」


「んー、聞こえないなぁ……王国最強様が言ってるのに否定なんかしないよなぁ! ねぇねぇねぇ……!」


 シアの腕に魔力がつどう。

 魔術という形になっていなくても魔力をいうのは十分な脅威だ。それ自体が力の塊であり、一定の量を越えた魔力をぶつけられれば人など簡単に殺害できる。

 そして、いままさに人など消滅させられるほどの魔力が手に集まっていた。


「もう一度聞くよ? 玩具になる? それともならない?」


 ニッコリと満面の笑みを浮かべて、シアは兵士に凄む。

 兵士の顔は恐怖に染まり、あきらかに逃げ出したそうに視線が慌ただしく動いているが、逃げ出せば命はない。

 兵士もそれが分かっているからこそ、答えは一つしかなかった。


「お、玩具になります……」


「そっかぁ……じゃあ、死ね」


 人が消し飛ぶ手のひらという銃口を向けられ、兵士の瞳に涙が溜まる。

 だが、兵士の命は消し飛ぶことは無かった。


「失礼します! 王がお呼びです!」


 それは、待ちに待った報が入ったからだ。

 新たな兵が告げる報告を聞いて、魔力の込められた手が下げられる。

 そして、王のいる間に向けられるシアの表情は明らかに喜色に染まっていた。






「待ちわびたよ王様」


「…………」


 王の間。

 人払いの済んだ広間で、王と魔術師が視線を重ねていた。


「僕を呼んだと思ったら今度はだんまり? 僕はようやくシェリアの事を追うことが出来ると思って嬉しかったんだけどなぁ……」


「…………」


 シアの軽口に王は何も応えない。

 それが気に触れたのか、彼は薄っすらと浮かべていた笑みに怒気を宿した。


「いい加減……我慢も限界なんだよ。ねぇ……ねぇねぇねぇ! 何も言わないなら何で僕を呼びつけたのさ? 王様でも限界が来たら、殺すよ?」


 殺意を瞳に宿し、その身から魔力という圧を放つ。

 にらみ合う両者。常人であればすぐにでも逃げ出そうとする空気の中、少しの間をおいて王が口を開いた。


「……アレの核はここにある」


「だから待ってれば向こうから来るってこと? ずいぶんと悠長じゃない?」


「仕方がないであろう……アレがいなくなっておかげで貴族どもが騒がしいのだ。正直言ってしまえばアレを追う余裕などない」


 そう言って息を吐く王の顔にはありありと疲労が浮かんでいた。

 おそらく、うるさい貴族どもを鎮めるのに忙しいのだろう。


「だから僕は言ったんだ。シェリアに頼りすぎだって」


「それはお前もだろう?」


 再びにらみ合う。

 沈黙が満ちる中で数秒……根負けしたのはシアの方だった。


「まあ、僕も彼女に魔術を教えてもらったから今があるんだしね……王様の意見はもっともだ」


「ならば——」


「分かってるよ。追跡は極秘に……そして短時間で。他国に僕がいないのがバレるのは良くないしね。そして、あくまでも僕が勝手に彼女を追った……そうでしょ?」


「…………」


 王は何も言わない。

 だが、それが答えだ。


「彼女がいないから僕の研究も進んでいないんだ。早く帰ってきてもらって色々と教えてもらわないと……ねぇ、シェリア」


 扉が閉まる。

 王の間へと続く長い廊下で、カツカツと靴音を響かせる男の口元は弧を描いていた。


 そしてこれが、狂人が解き放たれた瞬間でもあった。

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