第2話 遅れてきた騎士
「……で? なんで貴方はあんな所から流れてきたのかしら?」
少しの時をおいて。
シェリアは若干顔を伏せている少女に問いかける。
「いくらある程度整備された道のそばといえど、湖には魔獣が生息しているわ。私がいる浅瀬ならともかく、中心地から流れてきたというのであればただ事ではないはずよ」
「…………」
「なにか言ったらどうかしら?」
水を含み艶めく金髪から水滴を垂らしながらも、少女は何の言葉も発さない。
自身の濡れた髪も含め、その気持ち悪さにシェリアの眼差しが細められる。すると、その隣から口を挟むものがいた。
「ま、まあ……まずは濡れた髪を乾かした方がいいのではないか?」
「変態は黙ってなさい」
「はい……」
ピシャリと言い放たれ、肩を落としたのはアインだ。
この場で唯一濡れていない彼には唯一の特徴があった。それは頬に付けられた紅葉マークである。
さすがに問答無用で頬をはたかれたのは応えたのだろう。薬草によって染められた黒髪の存在も相まって、より一層気落ちしているように見えてしまう。
「で? 聞いているのだけれど?」
しゅんとしている覗き魔から意識を切りかえ、少女へ。
しかし、変わらず彼女は頭を落としたまま微動だにしない。
「ちょっと! 聞いているの!?」
我慢が許容量を越えてシェリアの手が少女の肩を掴んだ。
手のひらに感じる水気の冷たさを無視して肩を揺らせば、少女の頭は前後左右に揺れ——落とされて見えていなかった顔が露わになる。
「すー……すー……」
「…………」
「寝ているな」
唖然としていたシェリアの耳に見たままの感想が届く。そしてそれは、黙っていろと言ったアインからのもので。
「っ! わかってるわよ!」
怒りが許容量を振り切って、シェリアはその場で地団太を踏んだ。
「申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ……!」
濡れた金髪が地面に広がっていた。
両の膝を地につき、真っ直ぐに頭を降ろして地面につけ、許しを懇願する姿勢——土下座である。
「さすがに水に浮かんだままでは熟睡できなくてですね……ですが、助けていただいた恩人の前で寝てしまうとは……!」
額を地面に擦り付けて、少女はそのまま頭を震わせている。
その勢いはグリグリと額で地面を掘っているのではないかと思うほどで、金の長髪が揺れるたびに砂をまとわりついてせっかくの髪を汚してしまっていた。
「はぁ、もういいわ……そんなにされたら怒れないわよ……」
「本当ですか!?」
シェリアがため息を吐き出すと、少女がぱぁと笑みを見せながら頭を上げる。
その顔がとある人物と重なって、シェリアは少しだけ眉を寄せた。
「……あなたは?」
煌めく金の長髪に、あどけなさが残っているものの可憐な相貌。そして極めつけは聖職者の女性が着る衣装。
湖の中心から流れてくるという意表を突かれたせいで気付かなかったが、落ち着いて姿を見れば、額に砂を張り付けていようと見間違えることはない。
「……知ってるのかい?」
「ええ」
若干探るような問いに頷きを返す。
「王城で相手をしたわ……それも王の頼みでね」
「っ!?」
アインが目を見開き、肩を揺らす。
それもそうだろう。王国でも存在が秘匿されている司書——シェリアが王に頼まれて王国貴族以外の人間と顔を合わせるということはまずありえないのだから。
まず、王国に宗教は存在しない。それは、司書を背景に王という絶対の柱があるからだ。
生活に困らなければ犯罪に走ることはない、普通に生活を送るだけで満ち足りてしまうから。
王国は、
それなのに、目の前の少女は他国の人間であるにもかかわらず、秘匿された存在であるシェリアと顔を合わせ、言葉を交わしている……それも、王が間に入って。
それがどれだけ異常な事か、元王子であるアインには分かるはずだ。
「えっと……前にお会いしてましたっけ?」
頬を強張らせているアインには気づかずに、少女は首をかしげながらシェリアを凝視した。
そして約五秒。じっとシェリアの顔を見続けた末に「ああ!」と声を漏らして。
「あの時の令嬢様ですね! 髪を切られていたので気付きませんでした!」
ニッコリと笑みをみせて、少女が胸の前で両手を合わせた。
「改めて……セシル=サークタリエンです! 令嬢様、あの時は本当にありがとうございました!」
両手を合わせたままセシルと名乗った少女が軽く一礼する。
その際、体と手に押しつぶされて、内から服を押し出しているふくらみが形を変えるのをシェリアは見逃さなかった。……アインの視線がそちらに動くのも。
「いえ、王の頼みでしたので……」
胸の内に苛立ちを募らせながらセシルから視線を外す。
知識を求めるシェリアだって女だ。そのため、自身と相手の格差を見たくなかったのだ。
「サークタリエン……」
対して、アインがセシルの名を聞いた反応はシェリアとはまた違う。
彼が反応したのは名前ではなく姓……そう、それが王国の主たる王が彼女を無下にできなかった理由でもある。
「君は聖国の……?」
「え? ええ、聖国の聖女の座に就かせていただいております」
聖国の聖女。
それは聖国において、シェリアと同等の存在といえる人物である。
シェリアのように秘匿されておらず、それどころか大体的に存在が公表されている奇跡。
あらゆる傷を。
あらゆる病を。
瞬く間に完治させてしまうと言われている聖国最高位にして、最強の治療術師であるのだ。
「で? なぜあなたはあんな所にいたのかしら?」
「なぜと言われましても……たまたま流されたと言いますか……」
黙りこくるアインに変わり、シェリアが再び最初の問いを投げかけた。
すると、セシルは困ったように整った眉をハの字に変え、頬に手を当てる。
一秒……五秒……十秒……。
困ったまま固まってしまった聖女。
しんと静まり返った湖のほとりでシェリアが焦れて眉を寄せる。その時だった。
「それはわたしが説明するっスよ!」
弾かれたように、シェリアとアインは同時に振り返る。
そこには、白を基調とした騎士服を身にまとった赤髪の少女が佇んでいて。
「アリサ=エークエス……」
「お久しぶりっスね!」
活発な眼差しに軽い口調。
総じてシェリアとは反対の特徴を持つ少女の名を呼べば、彼女からはニコリとした胡散臭い笑みが返ってきた。
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