第1話 流れてきた少女
「——天秤は傾き、神は罪人へ照準を定める」
目の前に広がるのは大きな湖。
揺らめく水面に手をかざし、紡ぐ言葉に力を纏わせ、脳内に描いた景色を現実にも映し出そうと目に力を込める。
「貫く熱線、焼く閃光。煌めき、輝き、焼き尽くす」
発動すれば、目の前の湖は消滅するだろう。
それほどに力が込められた魔法を行使するのに迷いはいらない。放つのに恐れはいらない。
あと一言。
告げれば水面を抉り、周囲の水を蒸発させ、湖に棲む生物を
「顕現するは赤き閃光——
名は賢者が生みだしたと言われている第五位階魔法。
自身の中の何かがごっそりと失われる感覚に耐え、霞みそうになる視界を堪えて放たれた魔法は湖を消し——飛ばさなかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ふぅ……本当に湖を消し去ってしまうかと思ったよ……大丈夫かいシェリア?」
「ええ……」
ほのかに頬を引きつらせた少年——アインの言葉に、シェリアは額から汗を流しながら頷いた。
「やっぱりこのレベルの魔法は無理ね……」
たった今おこなっていたのは、固有魔法を失ったシェリアがどれだけ魔法が使えるのかというテストだ。
数日の時間をかけて、初級である第一位階から始め、今日は第五位階の魔法をテストした。
そうしてテストをした甲斐あって、シェリアは完全に自身の能力を把握することが出来たわけだ。
「私としては無理で安心したかな」
「……そうは言っても、旅をする以上は自衛の手段は必要でしょう?」
「それはそうだが」
頷くアインだが、事態は彼が思っているよりも重い。
王国……それも王城からも出たことが無かったシェリアには武術の心得がまったく無い。
そのため、シェリアが王国の外で身を守るには魔法しかないのだ。
しかし、その魔法ですらも固有魔法の能力の上で成り立っていたのだから、それすらも無くしたシェリアはただの小娘と変わりがないのである。
だからこそ、今の状態でどれだけの魔法が使えるのか……それを確認することは最重要だといえた。
「ふぅ……不発に終わっても魔力自体は消耗するから辛いわね。でも、これで完全に把握することが出来たのだから悪くなかったと言えるのかしら」
「第三位階の中でも中位の魔法まで、といったところだったね……始める前に言ったけど、第五位階まで確認する意味はあったのかい?」
「半々……といったところね。自衛するならある程度の武器は必要よ? それなら火系統の魔法で、できるだけ高位な魔法が使えた方が抑止力になるから」
疲労から座り込んだシェリアが告げれば、アインは「なるほど」と思案顔。
そんな彼を一瞥してから大きく呼吸を繰り返す。
そうして何度か空気を入れ替えれば、魔法行使しようとした疲労感もわずかに薄れてきた。
「でも、確認ももう終わり。私自身の実力も分かったから進みましょう」
「ああ」
シェリアの言葉にアインの目つきが僅かに鋭くなる。
現在、シェリアたちがいるのは王国の隣にある小国——ディラピデ王国。
様々な理由によって歴代の『司書』が王国に吸収することを止め、隣国である聖国の介入すらなかった小国である。
シェリアが自身の能力の確認をしたのは、ディラピデに入ったことで王国の追跡の心配が無くなったこと、そしてこの国の実状を考えての事だ。
「この国は王国からも、聖国からも見捨てられた国よ。ここはまだ王国から近いから大丈夫だけれど、これ以上進むと危険も多くなる……それは貴方も分かっているでしょう?」
「ああ、王国を含めた三国。そこから零れ落ちた小国の大半が衰退の一途を辿っているくらいは学んだよ。とはいえ、ディラピデは平地の多い国だ。シェリアが危惧するほどの危険は考えられないんだが……」
「そうだといいけどね……」
平地が多いということは作物を育てやすいということだ。
そして、ディラピデは気候も安定しており、そういった意味でも衰退しているとは考えにくい。
だが、シェリアの気分は晴れなかった。
安定した気候に耕作に適した土地。小国ながらもディラピデという国の価値は高い。
聖国に接していたという理由を考えても、属国としないながらも繋がりを持っておくにこしたことはないからだ。
だが、シェリアは王国がディラピデと交易をしているという話を聞いたことがなかった。
シェリア自身は貴族のパワーバランスの調整や、王の相談役としてしか活動をしていなかったが、歴代の『司書』は違う。
特に、王国が各国を吸収し、繁栄していった時代の『司書』はどうしてディラピデを吸収しなかったのか?
ましてや、国交を結ぶことすらしなかったのは何故なのか?
(いや、今更考えても仕方ないわね……)
何とも言えない違和感を、シェリアは頭を振ることで拭い去る。
もう王国には戻れない——戻ろうとも思っていない。
であるならば、もう進むしか道はないのだ。
「シェリア?」
気付けば、思考に耽るシェリアをアインが覗き込むように見ていた。
若干不安そうに見る彼にさらなる不安を与えないように、シェリアは思考を切り替える。
「汗をかいたからさすがに気持ち悪いわね……」
「……突然なんだい?」
「分からない?」
シェリアは視線だけを動かす。
視線の先は湖の一部。ちょうど草木で見えなくなっている部分で。
「ちょっと汗を流したいから、少しの間離れてくれる?」
「ふぅ……」
ピチャリという音が耳を震わせる。
心地良い水の冷たさが体の熱を奪い、同時に疲労すらも洗い流してくれるようで、シェリアは深く息を吐き出した。
「この水浴びも今日で終わりね」
数日滞在していたこの湖も、あと少しで発つことになる。
最初は外で肌を晒すことに抵抗もあったが、今となってはそこまでではなくなっていた。それどころか、この水の心地よさに未練が残ってしまいそうだ。
それも、ひとえに周囲を警戒しているアインの存在が大きい。
以前であれば自慢であった銀の長髪が自らの肢体を隠してくれていたのだが、王国を脱出する際に自分で切ってしまった。そのため、今は自らの体を隠してくれるものが無いのだ。
スラリとした指先が水を携えて肌を伝い、火照った体を冷やしてくれる。
……彼が今の姿をみたらどうなるだろう?
脳裏に浮かんだ疑問に微笑を浮かべ、即座に否定する。
その時に振った肩口ほど後ろ髪が雫を飛ばし、微かに音を立てた。
「ありえないわね」
どうして肌を見せなくてはいけないのか。
一瞬でも浮かんでしまった思考に頬を赤らめて、シェリアはその頬を冷やすように湖に沈める。
たしかに彼と旅に出るという選択をしたけれど、それは彼の考えに理解を得たからであって、彼に惹かれたわけではない。
(……そう、惹かれたのは彼が私にであって、私がではないの)
二人旅という状況がそうさせてしまうのか。次々と浮かんできてしまう言い訳のような感情に、シェリアは堪らず身じろぎをする。
その揺らぎは波紋となって湖に伝い、小さな波を起こした。
だからだろうか、シェリアが徐々に近づいてくる波紋に気が付かなかったのは。
「————」
「……? なにかしら?」
微かに耳を揺らした音に、シェリアは眉をひそめる。
「————ね」
「声?」
聞こえてきたのは少し高めの声音。女性——それも少女の声だ。
身に何もつけていないという心細い状況にシェリアが警戒心を引き上げるも、その声は徐々に音の大きさを上げていく。
「これは……後ろから?」
少しずつ、しかし確実に距離を短くしている声。
その発生源を見極めたシェリアが背後——湖の中心へ体を向けた時、それは姿を現した。
「これも主の試練なのですね……私頑張ります」
少女が……流れてきていた。
浮かぶように全身を脱力させ、湖に浮かぶ少女。
彼女は空を見上げたまま、真っ直ぐにシェリアの元へ流れてきて。
「でも、どうしましょう? このまま流れるのもいいですが、ずっとこのままというのもまずい気がしますし……ん?」
「…………」
目が合う。
湖の中心から少女が流れてくるという理解不能な現象。それも、その少女が自身の眼下まで曲がれてきたという状況にシェリアの思考はパニックになっていた。
おへそにぶつかる少女の頭。
濡れた髪と感触と頭という確かな重みを感じ、シェリアの思考は徐々に冷静を取り戻していく。
しかし、少女の告げた言葉が再びシェリアから冷静さを奪った。
「あのぉ……どうして裸なんですか?」
強引に戻される思考。
眼下に映る不思議そうな少女の表情からさらに下。
くびれのあるお腹から徐々に上がっていき、少女らしい控えめな、でもしっかりとしたふくらみを捉えて。
「——————っ!!!!!!!」
シェリアは年相応の悲鳴を轟かせた。
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