第13話 従者として家族として、そしてなにより親として




 剣が舞う。

 腕が痛む。


 振りぬかれたまま停止した銀の剣。

 その傍らで笑みを浮かべる銀の少女。


 どれもが伝説アントンの敗北を告げてくる。


 お前は負けたのだと。

 お前は役目を終えたのだと。


 守るべき対象は、自身の足で立ち上がった。


 その足取りはまだおぼつかないかもしれない。

 フラフラと危なっかしいかもしれない。


 それでも——


「ははは……」


 その隣で支える人間がいるのであれば。

 彼女は、この広い世界に旅立つことが出来るだろう。


 敗北という苦渋も、今この瞬間に塗り替えられてしまう。


 恐ろしいほど気分が凪いでいた。

 笑えるほどに心が澄んでいた。


 だからこそ、この気持ちを偽ることが出来ない。

 だからこそ彼に、彼女に贈るのだ。


「参りました……」


 この、勝利を告げる言葉を。




 *   *   *




「参りました……」


 目を伏せ、老騎士が軽く腰を折る。


 その笑みに。

 その声音に。


 シェリアは自身の思い違いを自覚した。


「アントン……貴方はもしかして?」


「それは思い違いですぞ。私は逆賊である貴方を殺そうと思っていた」


「違う! ならなんで!?」


「私はただ敗北した老人にすぎません。これ以上の言葉は持ち合わせていませんし……少々疲れました」


「答えになってない! 貴方は——」


「シェリア」


 肩にかかった重みに続く言葉を遮られる。

 振り返って見れば、アインがゆっくりと首を横に振っていた。


「行こう」


「いやよ! 理由を聞きたいの! たった一人の家族なのよ! もう分からないままなんて嫌!!!」


 シェリア自身分かっているのだ。

 アイン自身シェリアもすでに追われる身だと。


 彼は逆賊として。

 自身は王国に必要不可欠な歯車として。


 理由は違えど、王国がその身を探しているのだと。


 でも、知りたいのだ。

 彼の気持ちを。

 敵として立ちふさがった彼の本心を。


「……いけませんぞ」


 しかし、そんなシェリアを嗜めたもの他でもない……アントンだった。


「敵に情けをかけるな。それは貴方のみならず、貴方の周りにも危険を及ばせる愚策だ」


「アントン……」


「殺せとは言わん。だが、振り返るな……この場所も危ういのだ。すでに王国は追っ手を放っている……早く王国を出なければすぐに捕まるぞ」


「…………」


「シェリア」


「——っ!!!」


 キッとアントンを睨みつける。

 それは、何も話してくれない彼への不満を込めて。

 だが、返ってきたのは柔らかい笑みだった。


「お嬢様……行ってください。そして、世界を見てきてください。私は帰ってきたお嬢様の旅の土産話を心待ちとしていましょう」


「…………分かったわ」


 数秒の沈黙。

 その時間に様々な想いを押し殺して。

 シェリアの目は王国の外へ繋がる森へ。


「……思えば、貴方はずっと働いてばかりだったわね。だから、私が帰るまではゆっくりと休んでいて。そして、次会うときは貴方の紅茶を飲ませてね」


「分かりました。その時をお待ちしております」


 最後にチラリと老騎士を見れば、彼は仰々しく腰を折っていた。


「いってらっしゃいませ」


「行きましょう」


「ああ」


 二人で頷き合い、森の奥へ。

 背後から感じてしまう視線に、心残りを感じさせながら。




 *   *   *




「……行きましたか」


 一人きりになった森の入り口で。

 アントンは空を見上げて呟いた。


「思えば長い道のりでした」


 およそ百年。

 彼女を守るためだけに生きてきた。


 老いという最大の苦難を、魔力によって無理やりに押しとどめて。

 何度も折れそうになる彼女の心を、寄り添うことによって支えてきた。


 だが、それももう終わり。


「シンシア……貴方の忘れ形見はようやく世界に飛び立ちます。貴方を死に追いやった王国の道具としてではなく、彼女自身のために……」


 彼女シェリアを生み、死んでいった彼女シンシア

 弱い体を無理やりに。

 それでも、生まれてきた子に罪は無いと信じていた。


「私の子ではないが……貴方が生み、私が名を与えた。ならば、あの子は私の子だ」


 血は繋がってはいない。

 でも、心は繋がっていると信じている。


「子の苦悩は親の苦悩。子の幸せは親の幸せ……貴方の言っていた通りだ」


 周りとの時の流れの差に苦悩し、引きこもってしまったシェリア。

 彼女がようやく出てくれるようになるまでに三十年かかった。

 それでも、周りに期待するのは止め、知識という足枷に縋るようになってしまった。


「でも、それももう終わり」


 限界を超えた肉体が、その代償を要求する。


 サラリと解れる肉体。

 しかし、アントンの想いは止まらない。


「肩の荷が下りたとは言いません……そもそも、重荷ではなかったのだから」


 フッと、天に向かって微笑みかける。


「心配をかけてしまいましたかね。でも、心配いりませんよ? 私は幸せでした……少なくとも彼女との生活は」


 最大に苦痛は彼女シェリアが王国に利用されていたということ。

 だが、それはもう出来ない。

 これほど愉快なことはないだろう。


「今後、王国は間違いなく傾く。他人に智に寄りかかりすぎた王国に未来はない。惜しむべきはその行先を見れないことでしょうか」


 右腕の感覚がなくなっていようとも、アントンは笑う。

 これ以上なく嬉しそうに。


「あとは、娘ともう話すことが出来ないことでしょうか。失礼……貴方と私の子ですね」


 左腕の感覚がなくなっていようとも、アントンは笑う。

 これ以上なく悲しそうに。


 そして、全身の感覚がなくなった時、アントンは笑った。

 これ以上ない想いを込めて。




 シェリア……貴方の未知にはたくさんの喜びと苦悩があるでしょう。

 でも、貴方の周りには彼がいる。だから頼りなさい。

 頼ることは勇気がいる。でもね、それは信頼していると相手に示すことのできる唯一の行動だ。


 ……最後に謝罪を。


 貴方との約束を破ってしまいましたね。

 でも、貴方の物語はちゃんと見守っています。


 ——そらから、彼女と一緒に……。




 王国の外に繋がる森の入り口で。

 金に輝く砂粒が、天へと昇っていった。

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