第12話 決着




 再び戦いが始まる。


 アインにはシェリアの言っていた意味は分からない。

 しかし、悩んでいる暇もなかった。


 すでにアントンはゆっくりとこちらに歩み寄り、音を感じさせない流麗な動作で剣を構えている。


 額から流れる汗。

 緊張から震えそうになる腕。


 老騎士の威圧感はいままでとは一線を画すほどだ。


 ……逃げてしまいたい。


 心の奥底から湧いてくる恐怖をねじ伏せ、アインは真正面からアントンを見据える。


 背後には救うを誓った少女。

 彼女を裏切れるはずがない。


 アインの肝が据わった刹那、カチリという鉄の音が鳴った。

 それは、老騎士が握る剣が鳴らした音。


 ——来る。


 背筋が怖気立ち、焦りが精神を揺るがした。

 それでも、後ろに立つ彼女を守るためにアインは剣を構える。


(このまま受け止める……!)


 上段から振り下ろさんとする老騎士の剣。


 彼が本気で切りかかれば自分アインは縦に両断されてしまうだろう。

 それでも、躱すことで背後に危険が及ぶよりかはよほどいい。


 狙うは相打ち。

 我が身を切らせ、騎士に剣を届かせる捨て身の剣。


 両断された剣でも傷をつけることは出来る。

 残った剣の破片でも、刃は突き立てることが出来る。


 一拍を置いて訪れる痛みを覚悟し、アインは口元に笑みを浮かべたのと同時。


「一歩前に出なさい」


 耳に届いたのは、背後からの芯の通った声。

 その声に導かれるように、アインはほぼ無意識に動いていた。


 一歩。

 たった一歩踏み込み、アインはアントンの剣を受け止める。

 鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音が響き渡り、剣を握る手に衝撃が走った。

 それでも、死を告げる刃はアインには届かない。


「なっ……?」


「ほう……」


 目を細め、感嘆の吐息を吐くアントン。

 むしろ、受け止めた側である自分アインが驚いているという状況だ。

 驚きからの衝動に駆られ、アインは背後にいるセフィアに視線をやる。

 しかし、彼女から返ってきたのは説明ではなく次の指示。


「呆けてないでしゃがみなさい!」


「……っ!?」


 反射的に体を伏せる。

 刹那、轟音と共にアインの髪が風に揺れた。

 視線を上げれば、片足を上げた状態の老騎士の姿。


「次は北西に飛んで!」


 即座に体を起こし、告げられた方向へ飛ぶ。


 もはや疑念は消え去っている。

 彼女の声に従えば、過去の伝説にも渡り合えると。


 その思考はアインの動きに速さを与え。

 その信用はアインの動きに迷いを無くす。


「……っ!?」


 そして結果は、距離を取ろうとするアントンにアインが追いすがるという状況を確立させた。


「はぁぁぁぁぁ!!!」


「させるか……!」


 渾身の力を込めて剣を振るう。

 対して、老騎士は背後に飛んだまま剣を受け止めようと吠えた。


 先程までとは逆の状況。

 

「ぐっ……」


 初めて、老騎士の表情が痛みに歪む。


 アインの渾身の一振りがアントンの剣を腕ごと弾き飛ばしたのだ。

 傷をつけたのではない。

 それでも、アインの剣は過去の伝説に届き、確かな結果としてアントンに届かせた。


 ——これなら通用すると。

 ——これなら勝てると。


 自然と頬は紅潮し、口角が上がる。


「君となら勝てる」

「貴方なら勝てるわ」


 重なった言葉が心を高揚させる。


「これが知識の力よ」

「これが知識の力か……」


 光明が見えた。

 その光が隔絶され、光届かぬ伝説の後姿を照らす。


「貴方は強い……でも人間だ」


「人間だからこそ、私の力は彼を貴方の域に押し上げる」


「これなら貴方に届く」


「私が届かせる」


「「だから——」」


 アインは老騎士に剣を向け。

 シェリアは老騎士を見据えた。


「「ここは通してもらう!」」




 *   *    *




 剣がぶつかる音がする。

 刃が重なる音がする。


 それは絶望を告げる鐘の音ではなく。

 また、勝利を告げる鐘の音でもない。


 幾度も、くり返される剣戟を観察した。

 その度にシェリアの知識は磨きがかかり、王子の領域を引き上げる。


 ——互角。


 お互いに傷を負わず。

 お互いに倒れることも無い。


 常人ではそう見えるだろう。

 だが……。


(まずいわね……)


 司書シェリアの瞳にはこの先の展開が読めてしまう。


 アインが倒れると。

 アインが死んでしまうと。


 彼が互角に戦えている種は簡単だ。

 アントンの動きを先読みし、最も力がかからないポイントを見極め、アインをそこへ誘導する。

 前提の知識が無ければ気付けない。

 相手アントンは何故アインが受けられているのか不思議でしょうがないだろう。


 だが、それでも覆さないこともある。

 それはアインの体力だ。


 格上に挑み続け、傷を負う。

 その負担は想像以上に重い。


 今は互角に戦えているが、次第にアインの動きが衰えていって傷を負い始めるに違いない。

 そうなってしまえば後はジリ貧だ。

 剣術も、魔力による身体強化も、すべて相手が上。

 そんな相手と剣を交えること自体が想像を絶する消耗を強要してしまう。


 ……あと何回剣を重ねられる?

 ……あとどれほど彼は耐えられる?


 不安が思考を鈍らせ、シェリアの見る未来さきの景色を曇らせようとした。


 決め手がない。

 隙が無い。

 弱点がない。


 そしてなにより、勝機が見えない。


 だが、負けるわけにはいかないのだ。


 宣言した……通してもらうと。

 覚悟を示した……彼と共に行くと。


 その言葉を曲げないために、シェリアは知識の深みに足を踏み入れる。


 思考が加速し。

 景色が減速する。


(このままでは勝てないわ……あと四手でこの均衡は終わる。彼に限界が来る……)


 ——なら、どうすればいい?


(あと三手……このままじゃ彼が死ぬ。最後に首を落とされて……先読みだけじゃ勝てない。知識だけじゃ勝てない……彼が言った通りだわ。知識だけでは半分だった)


 ——なら、彼ならどうするだろう?


(あと二手……これなら? うん、これならいけるかもしれない……分からないけど……信じるしかないわ)


 ——思考は定まった。あとは覚悟だけ……。


(いいえ、覚悟なんてすでに決まってる。心ももう決まってる……!)


 ——あと一手。


「思いっきり後ろに飛んでっ!!!」


「……っ!」


 最後の指示。

 その言葉に従って、アインが力いっぱい後ろへ飛んだ。

 だが——


「……それは悪手だ」


 老騎士の剣は容易に届いてしまう。

 一瞬の差を挟んで、アントンは一歩を踏み出した。


 狙いはアインの首。

 切っ先が弧を描き、吸い込まれるように近づいていく。


 声も出せず、目を見開くアイン。

 勝利を確信し、少しだけ目を細めたアントン。


 ……それでいい。


 勝利という美酒は思考を酔わせる。

 酔った思考は正常な判断を遅らせてしまう。


 ……だからこそ、シェリアはこの瞬間を待っていたのだから。


 アインはすぐ目の前にいる。

 だから、シェリアは一歩を踏み出せばいい。


 それは、知識からの脱却となる一歩。

 そして、世界に羽ばたくための一歩。


 結果——


「この戦い、貴方を信じた私の勝ちね……アントン」


 ハラリと。

 一房の銀髪が宙を舞い、地に落ちた。


 首に感じるわずかな痛みは、賭けに勝った証左だ。

 同時に、この戦いに勝った証でもある。


「そして、彼を信じた私の勝ちよ」


「あああああああぁぁぁっ!!!」


 咆哮。

 背後から振りぬかれた剣は、老騎士の剣を空へ飛ばした。

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