第10話 示す覚悟
元騎士団長——アントン=エンスワイア
アインが生まれるはるか前に活躍した英傑。
それどころか父である今の王ですら、今の彼の姿しか知らない。
戦乱極まる王国の剣。
王国を繁栄に導いた……ただ一本の
王国を繁栄へ導いたのは知識を司る司書の一助があってこそ。
それが王国貴族の常識だ。
しかし、その裏で彼の活躍があったことは王族であるアインには既知の事実だった。
(そんな化け物の剣を前にしなくてはならないとは……!)
音もなく
その光を紙一重で躱し、アインはこの現実に唇を噛む。
放たれる剣の冴えは凄まじい。
……これがかつて最強と謳われた男の剣筋か。
……これが百年以上生きる伝説の剣筋か。
彼我の差は絶対。
突き付けられるのは絶望。
「……アントン……なんで?」
背後に突っ立つ少女の表情はアインにその事実を無情にも告げてきた。
アインの一人の力では勝てない。
目の前の男に勝つには彼女の力が必要不可欠だ。
それなのに——
「よそ見している暇があるのですかな?」
「……っ!?」
意識が引き戻される。
眼球に吸い込まれていく一閃の首をひねることで回避。しかし、躱しきれなかった剣が耳の上を掠め金の髪がハラリと舞った。
「シェリア嬢の力をあてには出来ませんよ?」
「っ!? なぜそれを……!」
「見ればわかります。ですが、彼女の力は土地に……城と結びついている。ここまで離れてしまえばあの書架の力は完全には引き出せない」
「グッ……」
腹に感じた鈍痛に眉を歪めたのと同時、アインは自身が空中を飛んでいたことに気付いた。
(まずい、態勢が!)
追いすがってくる剣の閃きに、怖気を越え吐き気を催した。
この状態では躱せない。
それに対し、アントンの剣は正確だ。
死を感じ、遅くなる視覚には自身の眉間に迫る切っ先が映る。
(死————)
何も成せずに終わる。
彼女を救うことも。
それどころか、この命を繋ぐことすらも。
しかし、いつまで経っても意識の暗転は訪れなかった。
「かはっ……!」
「立ちなさい」
地面に倒れ、空気を吐きだす。
切った口の中から流れる血の暖かさが、いまだ命を繋いでいることを実感させてくれた。
だが、動けない。
音無く歩み寄る死神の姿を前に、震える手は何の役にも立たず、鍛えぬいた筈の足腰は感覚がなくなってしまったかのように反応を返してはくれなかった。
「動かなければ死にますよ」
振りかぶられる死神の鎌。
ゆっくりとした動作で持ち上げられた剣は、頂点で停止したのちに最高速に加速する。
……今度こそ死ぬ。
剣は持ち上がらず、体を逃がすことも出来ない。
なのに、映る景色だけは迫る銀の光を鮮明に魅せてしまう。
「はっ……はっ……はっ……」
「……こんなものですか」
死を告げる切っ先は、アインの首の薄皮を裂くだけで止まっていた。
見下ろされる眼差しは、鋭くも哀れみに満ちていて。
見下される眼差しには、失望がありありと浮かんでいた。
「……この程度でシェリア嬢を救おうとは片腹痛い。力が足りない? 知識が足りない? その程度で諦めるのか? その程度で折れるのか貴様は……!」
再び宙を舞う。
胸倉を掴まれ、持ち上げられた直後に蹴飛ばされたのだ。
痛みに呻くも、恐怖が体を縛り付ける。
受け身を取ることも出来ず強制的に息を吐き出させられた肺が、空気を求めて活発に動き出した。
それと同調する心臓の音がドクドクと耳を激しく揺らすも、アントンは収まるのを待ってはくれない。
「この程度で折れるのならば動くな。この程度で潰れるならば
再び持ち上げられる。
「ならば見せてみろっ! この老骨に覚悟を示せ! 時は残酷だ! 世界は残虐だ! 原初に手を差し伸べるのならば、それ相応の覚悟を見せてみろ……!」
浮遊感。
投げ飛ばされたと自覚した時には地に背中を打ち付けていた
その先は、狼狽える少女の足元で。
「ぁ……」
狼狽え、声を漏らすシェリア。
彼女の揺れた眼差しはどこか拠り所を探しているようで、そしてそれはアインではない。
アントン=エンスワイア
彼こそが彼女の拠り所であり。
彼こそが彼女の支柱なのだ。
それがどうしようもなく分かってしまうからこそ、アインの内に沈みかけていた熱が息を吹き返す。
「ふざけるな……」
震えが止まる。
「ふざけるなよ……」
足の感覚が戻る。
「ふざけるんじゃねぇよっ!!!」
気が付いた時には距離を詰め、剣を振るっていた。
技なんて無い力任せの一撃。
そんなものが通用するわけがない。それはアイン自身分かっている。
だが、この想いを……憤りを止めることなど出来るわけがなかった。
「なぜこのようなことが出来る!? 主人ではないのか? 家族ではないのかっ!?」
「…………」
「彼女は今、心に傷を負っている……! 他ならぬ貴方のせいで! そんなことが許せるわけがないだろうっ!!!」
「…………」
力任せに振るわれる剣は、無言に徹する老騎士に幾度も阻まれる。
だが、関係ない。
これは、アインの意地だ。
……このような者に負けることは出来ないと。
……このような者から彼女を守るのだと。
なにより、それが
「ここは通らせてもらう! 十度に一度しか勝てないのであれば、今こそ手繰り寄せよう。一度も勝てないのであれば、全てを賭して無を一にして見せよう! ……覚悟を示せと言ったな? ならば、これが私の覚悟だっ!!!」
渾身の力を込めた横薙ぎは、真正面から受け止められる。
それでもその一撃は周囲の空気を震わせ、アントンの表情を変えさせるのに十分なものとなった。
「……口では何とでもいえる。だからこそ行為で示せ」
失望から期待へ。
無感情から敵意へ。
放たれる殺気は、それだけで死を錯覚させるに足るものだった。
……怖い。
そう思ってしまう。
それでも、アインは全身に感じる悪寒に身を震わせながらも笑ってみせた。
「言われなくとも……!」
——
——
剣を構える。
緊張の為に早まった息遣いは、すぐに自身を鼓舞する雄叫びに変わった。
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