第9話 司書の本領……相対するは
王子の脱獄を果たしてから少し。
城の廊下は静かで、いまだ第三王子が脱獄したことを知られていないことが窺えた。
その最中。
「これは……凄いな…………」
「大したことじゃないわ」
「いやいや、おかしいだろう……なぜここまで兵に出会わないんだ?」
視線を右へ左へと動かす王子。
そんな彼を一瞥だけして、シェリアは進む足に力を込める。
「少し急ぐわよ。あと十二秒であそこを曲がらないと兵に見つかるわ」
「……っ!?」
脅しが通じたのか、アインが早歩きで後に続いた。
むしろ通じすぎたのか、急ぐ彼の足取りは可笑しなものに変わっていたが……。
「……教えてくれ。どうやっているんだ?」
「ひゃっ!?」
曲がり角を曲がった直後、耳元の息遣いにシェリアは悲鳴を上げた。
すぐさま距離を取って睨みつける。
「止めなさい。今度やったら王のところに連れていくわよ……」
「す、すまない……だが、どうやっているんだ? 魔法を使っている形跡はないし……」
「はぁ……」
腰に手を当ててため息。
さっきまでの泣き顔はどこにいってしまったのか?
幸い
「簡単な話よ。私はこの城の兵のすべての情報が入ってる。身体能力から使える魔法……全てね。あとは城にいる兵ごとの巡回ルート、兵の身長から割り出した歩幅、人数による変動を計算して出会わないルートを導き出しているだけ」
「…………」
「ほら、口を開けてないで行くわよ」
「わ、わかった……」
これ以上は言わないと口を閉じて前へ。
すでに向かっている目的地まで半分を切っている。
だが、聞いた王子の処刑時間から逆算すると、そろそろ王子の脱獄が見つかってしまっている可能性が高い。
そこから王へ報告がいき、命令が下り、兵に伝わり、動き出すまでがリミットなのだ。
それを越えてしまうと、もうシェリアの予測が役に立たない。
時間はほとんど残されておらず、焦りがシェリアの胸の内をジリジリと焼く。
「でも、なんで地下牢を出る時に使った魔法を使わないんだ?」
「…………」
「そんな目で見ないでくれ……ちょっと気になっただけだ」
アインへ向けた冷たい眼差しに、彼は降参といわんばかりに両手を上げる。
二回目のため息。
「まったく……自分がどれだけ追い詰められているのか分かってないの?」
「だから、悪かったって」
気まずそうに頭をかくアイン。
そんな彼を見て、シェリアはフゥと小さく息を吐き出した。
「まあいいわ。魔法というのはね、使うと余波が発生するものなの。私はあらゆる魔法が使えるけど、魔法を極めているわけではないからその余波を隠すことが出来ないの」
魔法を使えば、魔力の波が発生する。
そして、城に滞在する筆頭魔導士にその余波を感知される可能性がある。
だから、使わないのではない。使えないのだ。
「じゃあ——」
「地下牢の時はほとんど密室だから使ったの。地下だったのもあるし。それならほとんど余波は広がらないから……」
「…………」
「なによ……?」
目を見開いてシェリアを見るアインを半眼で見返す。
ポカンと口を開け、自身を見やる彼の表情は意外に面白い。
そんなことを考えていると、彼は言いにくそうに口を開いて。
「もしかして……君一人いればこの城は落とせるんじゃないかい?」
冷や汗を流しながらの問いかけ。
(本当に……以前の彼の評価から一変したわね……)
……あの、飄々とした彼であったのならこんな感情にならなかっただろう。
始まりとなる言葉を告げられて。
そして、地下牢での想いを聞いて。
おおよそ反対方向に向いているアインへの評価に、シェリアは自身へ苦笑した。
「ど、どうしたんだい?」
笑うシェリアを見たアインの口元が引き攣る。
その表情が思いのほか可笑しくて。
「さあ、どうでしょうね?」
シェリアは初めて他人へ微笑んだ。
* * *
「ここよ」
「えっと……」
告げられた言葉に、アインは行方なく視線を彷徨わせる。
意味深な笑みを見せられて戦慄してからしばらく。
何も話さなくなった
何も変哲もない行き止まり。
王子である
それは、出来損ないと称されていても例外ではない。
なのに、先を歩いていたシェリアは「ここが目的地」だと言い切ったのだ。
「知らないのも無理ないわ……ここは王も知らないのだから」
「王も?」
「ええ」
小さく頷き、シェリアが行き止まりへ近づく。
その足取りは自分の知識に自信を持ち、アインが知らないと言ったこの場所の情報にも確信があると言わんばかりだ。
「そもそも、城に行き止まりがあるなんておかしいと思わないのかしら?」
「そう言われるとそうだが……」
「ここは、ここを作った職人の遊び心……いえ、恨みとでも言うのかしらね」
「どういう意味だい?」
「繁栄を極める王国の最大の敵は、外ではなく内にいたということよ。貴方のようにね」
そう言うと、シェリアはゆっくりと手を壁へかざす。
「第一魔法大全。第一頁の二『
放たれる火球。
魔法を扱う者であれば一番に覚えるであろう魔法は、すぐ目の前の壁に着弾し、霧散した。
直後、ガラガラと音を立てて崩れ出す。
その奥には、人一人が通れそうな穴が続いていた。
「これで完全に気づかれたわ……ほら、早く通って。修復するから」
「あ、ああ……」
二人して穴に入ると、アインは中を観察する。
壁も天井もむき出しの岩肌。そして、ところどころに黒く変色した血のようなシミも見受けられる。
(まるで自力で彫ったかのようだ……)
……これを作った人物は、どのような気持ちでこれを作っていたのだろう?
そんな疑問が湧きあがるのと同時、思い出されるのは先程のシェリアの言葉。
そして、父である王の所業を思えば、おのずと答えは導き出されてしまう。
「その予想は合ってるわ……たぶんね」
ギリッと歯が音を鳴らしたすぐ後にシェリアの肯定が耳に届く。
「でも、今はそれを考える時ではないわ。貴方は自分の事だけを考えなさい」
「……分かってる」
歯を食いしばり、手を握り締める。
魔法で壁を修復したシェリアは、再び魔法で光源を確保。そのまま奥へ歩いていった。
その後ろをアインも続く。
固く握りしめられた手……そこから流れ落ちる血の跡を残しながら——。
抜け道は思いのほか長かった。
暗く、狭い洞穴は時間の間隔を狂わせる。
一時か、それともそれ以上か。
息を切らせながら歩き続けるシェリアの後を歩き続けていると、ようやく終わりが見えてきた。
「ここは……?」
出てきたのは城から離れた森の入り口付近。そこに生えた巨木の根の隙間だった。
遠くに見える王城がアインに城を出たと実感させ、無意識に心臓が脈を打つ。
だが、その音が絶望の音に変わるもの……早かった。
「お待ちしておりました」
「……っ!?」
落ち着いた声音が響くと同時、アインの足元に剣が突き刺さる。
それは、王からアインへ贈られた剣。
彼らを欺くため、一度も使うことなく親友であるオウルへ贈った剣だ。
「なん——」
「なんでっ!?」
続く言葉は、それ以上の驚きを孕んだ声に遮られた。
彼女の形相は驚き……いや、それ以上に悲しみに満ちていて。
アインはその視線を追いかけると、同じ表情に変わった。
「…………最悪だ……」
それは絶望を知らせる元王国最強の剣。
「アントン! なんで貴方がいるの!?」
「貴方たちは王国の逆賊……だが、その心意気は買いましょう」
必死に叫ぶ
騎士服をまとう老人は、流麗な動作で剣を抜き——
「さあ、貴方たちの覚悟を示しなさい……!」
あろうことか、たった一人の主へ向けた。
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