第8話 揺れた心のままに




 カツン……カツン……。


 薄暗い階段に響く靴音。

 その響きは一人の少女にしか聞こえていない。


 少女にしか使えない魔法。

 戦闘には役にたたない。生活にも役に立たない……そんな魔法。


 しかし、そんな誰にも見向きもされない魔法が——


「兵を欺けるのだから、捨てたものではないわね……」


 カツン……!


 階段を下り切り、シェリアは一際大きな靴音を鳴らした。


 シェリアがここまで使ってきた魔法は三つ。


 一つ目は、この階段に入るまでに使っていた姿を消す魔法。

 二つ目は、音を自分の周囲までで留める魔法。

 そして三つ目は、暗い室内を見渡す魔法だ。


 一つ目以外はなんてことない魔法。

 王も、筆頭魔導士も興味すら引くことが無かった。


 だが、それだけでシェリアはここまで辿り着けてしまう。


 前者二つを駆使し、階段を守っている兵を通り抜け。

 その後は、後者二つのみを使って階段を下る。


 戦力など必要ない。

 武器なんて必要ない。


 これが知識だ。

 これこそが、智を司る司書の力だ。


 現に、ここまで辿り着くのにシェリアは誰にも気づかれることはなかった。


 再びカツリという音を響かせ、暗闇の中を進む。


 本来、王国でも屈指の犯罪者を捕えているこの牢に人はいない——ただの漆黒が漂う無人の地下室でしかない。

 そして、これこそが王国が繁栄を極めている証左でもある。

 

 その最奥、暗闇の中でぐったりと座り込んでいる一つの人影。


「……助けに来たわ」


「…………」


 両手足は最低限の治療しかされていないのか、巻かれている包帯は真っ赤に染まっている。

 血の気は無く、力なく落ちているその頭が彼の消耗を物語っていた。


「……もう一度言う、助けに来たわ」


「ぁ……」


 ピクリと体が動く。

 そうして上げられた彼の顔は酷い有様だった。


 何度も暴行を受けたのだろう。飄々として軽い印象を受けながらも整った顔立ちは、赤くはれ、青痣が浮かび、元の原型をとどめていない。

 ただ、魔法による治療で回復できる程度に収めているのは、この後に行われる処刑の為だろうか。


「話せるかしら……?」


「……う……あ………………」


「分かった……先に治療しましょう……」


 一歩だけ牢に歩み寄り、書架への接続を開始する。


「……天聖■典、第一二八頁の一……『再生の聖光サンクティルチス・レゼネシオ』」


 引き出すは、聖国に伝わる教典の一つ。

 王がどうやってこれを手に入れたのかは知らない。しかし、シェリアにとって手に入れた経緯など興味はない。

 知識として自身の書架にあればいいのだから——


 光が差す。

 暗闇に清らかな聖光が降り注いだ。


 燃やされ、凍らされ、感電し、切り刻まれた傷が塞がっていく。

 それと同時に、原形を留めていなかった顔の傷も癒えていった。


「これで話せるかしら?」


「ああ……助かったよ……」


 シェリアがもたらした魔法の光によって、アインの目に光が戻る。

 繋がれた鎖がジャラリと鳴り、ゆっくりとその体を起こして。


「君がここに来たということは、オウルは……?」


「死んだわ」


「…………そうか……彼の最期はどうだったかい?」


 一瞬の沈黙。

 そして、その後の問いかけはどこか優しさに満ちたものだった。


 未知を示してやったと言うかのように。

 私の従者は凄いだろうと言わんばかりに。


 本当であれば否定してやりたい。

 しかし、シェリアに否定する言葉は浮かんでこなかった。


「……笑っていたわ」


「ははは、君の顔は見えないけど、声から察するに先日の勝負は痛み分けといったところかな?」


「……どうして?」


 笑う王子を睨みつける。


「どうして笑えるのよ! 大切な人が死んだのよ! なのに、なんで笑えるのよ!!!」

 

 こんなことしている場合ではないはずなのに。

 なのに言葉が、心が止まらない。


「分からない、分からない分からない……! 分からないわよ! 貴方は何を考えているの!? なんで、家族を失ってまでこんなことが出来るのよ……!!!」


 乱れた息をそのままに。

 シェリアは牢に手をかけて叫ぶ。


 シェリアにとって、従者であるアリオトはたった一人の家族だ。


 なぜ、それを捨てられる?

 なぜ、その人の死を笑える?


 目の前に立つ男のすべてが分からない。

 その叫びを、絶叫を、シェリアは牢の向こうの男に叩きつける。

 だが、彼からの帰ってきた言葉は——


「平気なはずがないだろう……」


 ギリッという歯の軋みと共に告げられた後悔の発露。

 その眼差しは、暗闇の中であるのにも関わらず、真っ直ぐにシェリアに向けられていた。


「平気なはずがないだろう……! ただ一人の従者だ! 親友だ! 人を馬鹿にするのも大概にしろっ!!!」


「っ……!」


「約束したんだ! 君を救うと! 誓ってくれたんだ! 私の助けになると! ならば、その死を無駄にしないように……願いを! 想いを! 受け継いでいくしかないだろう……!!!」


 叫ぶアインの勢いに呻く。

 それは、知らない彼の姿だ。


 飄々とではなく、熱く、それでいて泣きそうな形相で。


「彼の覚悟は無駄にしない……! 遺された私に出来ることは、彼に託された決意を胸に刻むことだけだ!」


 一滴だけ、彼の瞳から雫がこぼれた。


「……オウルは私が笑うのが好きだった。いつでも笑っていてくれと言っていた……私の為に命を使い潰してくれた恩人の想いを……なぜ裏切ることが出来る……? 教えてくれ……」


 堰を切ったように流れ出す涙。

 なのに、彼は笑っていた。


 歪んだ表情。震える声。

 それなのに、彼は笑顔という涙からは程遠いはずの表情を作り出している。


「…………」


 ……分からない。

 ……意味が分からないのではない。


 アインは死んでいった友の願いを聞いているだけだ。


 それでも、分からないのは——


「なんで私は……」


 ……彼と同じように涙しているんだろう?


 他人の話でしかないのに。

 知識を埋めるわけではないのに。


 知らぬうちに流れていた涙は、シェリアの胸に熱を宿してしまう。


 ……こんな涙は知らない。

 ……涙は苦しいもののはずだ。

 ……胸の内を冷たく凍えさせるはずなのに。


 暗く、物静かな地下牢に嗚咽だけが響いている。

 第三王子は堪えきれなくなって崩れ落ちていた。

 

「……■魔■全。第八頁の二——『灰に変わる世界クイベントレム・デムンド』」


 シェリアを中心に魔力の波が伝播する。


 胸の熱を吐き出すように。

 纏う迷いを消すように。


 それでも狙いは正確に対象を選別し、解離し、効果は現れた。


「なんだ……?」


 少し遅れて異変に気付いたアインが声を漏らす。

 そんな彼へ向け、シェリアは歩みを進めて。


「……貴方の言葉の意味はまだ分からない。でも、その気持ちだけは伝わった」


 ……これは、シェリアに出来る。死んでいったオウルへの贈り物。


「王国を出ましょう……後の事はそれから考えるわ……」


 先日とは逆。

 光届かぬ地下室で、シェリアはアインに手を差し伸べる。


「どうして……?」


 これも逆。


「それは、私の行動についてかしら? それとも、消えた牢のことかしら?」


「……両方だよ」


 これほど近づけば、アインも差し伸べられた手に気付いたのだろう。

 おそるおそる伸ばされた手はさまよい、やがてシェリアの手に触れ、しっかりと握られた。


「行こう……!」


「分かったわ」


 シェリアに手を引かれ、第三王子は脱獄を果たす。

 二人のいなくなった地下室には、灰となった牢の残骸だけが残されていた。


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