第6話 再び鳥籠の世界で




 第三王子が捕らえられて三日が経った。


 時が流れないこの空間では、シェリアは世界に取り残される哀れな人形でしかない。

 それをかろうじて繋ぎとめているのがアントンだ。


 毎朝、シェリアの作り出した鍵を用いて時の流れを知らせる。

 それは今も——


「…………」


「お嬢様……」


 ベッドに座り込み、天井を見上げるシェリアを心配そうに見つめるアントン。


 彼は朝を告げ、紅茶を出してくれた。

 彼は目を伏せ、言葉を待っていてくれた。


 だが、何も伝えることがない。

 いや、何を伝えればいいのか分からなかった。


 今も脳内に反響し続けている言葉がある。

 それはシェリアを突き動かすはずだった。しかし、今もなおその両足は地面に、この狭い世界に繋ぎ止められたまま。


「ねえ、アントン?」


「何でございましょう?」


 従順な老人は、突然なシェリアの言葉にもしっかりと応えてくれる。


 それが嬉しくて。

 それが可笑しくて。


 ……でも、それが苦しくて。


 笑っているのか、それとも泣いているのか。

 シェリア自身、分からない。


「私は、どうすればいいと思う?」


 その言葉には、言外に込めた想いが多く含まれている。


 第三王子——アインを見たときに胸に生まれた好奇心。

 送られた言葉に揺れてしまった罪悪感。


 それ以外にもたくさんの想いが含まれている。


 そんなもの、従者であっても他人であるアントンが分かるはずない。

 そう分かっていても、問いかけずにはいられなかった。


「いえ、忘れて……王国の頭脳、知識の怪物、個人図書館、本に餓えた令嬢、知恵の女王……たくさんの名を贈られた私が貴方に訊ねるなんてね……」


 可笑しいわね——そう笑ってシェリアはベッドに寝転んだ。


 見上げる図書館の天蓋は深い青が広がっていて美しい。

 その蒼穹に漂う本たちが作り出す景色は、知識だけでは知っている宇宙のよう。


 しかし、そんな透き通った空とは裏腹に、シェリアの心の内はぐちゃぐちゃだ。


 シェリアとアントン。

 お互いが沈黙を貫き、図書館が正しき姿を現している。


 そんな中。


「……貴方の思うままにすればいいのではないでしょうか」


「えっ?」


 沈黙を破ったのはアントンだった。


「いくらでも悩めばいいのです。人は悩まずには生きられない生き物なのですから」


 シェリアと同じ天蓋そらを眺め、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 たった一人この世界に入ることを許された従者は、その目に慈しみを込めてシェリアを見つめていた。


「…………」


「紅茶も冷めてしまいましたな……それに、お嬢様はまだ何も口におりませんから、紅茶を淹れ直して軽い物を用意して来ましょう」


「……分かったわ」


 流麗な所作で鍵を取り出すアントン。

 そのカギを空中に差し込み、回した瞬間にアントンの姿が消える。


「私の思うままに、か……」


 ——私はどうしたいのだろう?


 知識を求め、知識を信じ、知識を扱ってきた。

 未知なんて無いはずだった。


 なのに、あの人は——アインはいとも簡単にシェリアの前に未知を突き付けてきた。


 知らないことが許せない。

 それは、未知への恐怖だったのかもしれない。


「哀れね……」


 知識を振りかざし、他人の未知を既知に変えてきた女王が、自身の未知に恐怖し、足を竦ませているとは。

 どれほど今の自分の姿は滑稽なのだろう?


 そう思わずにはいられなかった。

 そして、そう思わせてくれた第三王子には感謝しなければいけないだろう。


「王に頼んで彼を救いましょうか」


 本来では、彼は死罪だろう。

 厳格な王の事だ。血族の血を流すことにためらいはない。

 だが、シェリアが求めれば王は応えるしかないのだ。


 今の王国の繫栄は、シェリアのおかげであるのだから。


「その時の彼の顔は——」


 どんな表情をするだろうか?


「ありがとうございます」と情けなく笑うだろうか?

「頼んでいない」と罵倒してくるだろうか?


「それにしても、私に惹かれたなんてね」


 思わず笑みがこぼれる。


 こんな道具のどこに惹かれたのか?

 それを一から聞いてやるのも一興だろう。


 いつの間にか胸中は整理され、頭の中は澄み渡っていた。


「アントンは……まだかしらね?」


 軽い物を用意すると言っていたのだから、もう少し時間がかかるかもしれない。

 それなら——と、傍らにあった本へ手を伸ばした。その時だった。


 ——ピシッ……!


「……っ!? なに……?」


 世界に亀裂が走る。


 自身の中を切り裂かれる感覚。

 苦痛は無い……しかし、言いようのない違和感がシェリアの意識を支配する。

 それと同時に、世界が割れた。


 剝がれていく景色。

 その奥から、手が、腕が、頭が這い出てくる。

 そして一人の人間が、シェリアだけの世界に侵入を果たした。


「貴方は……?」


「はぁ……はぁ……はぁ……ぐっ……」


 自然と修復される景色。

 その下、うずくまり苦悶に呻く一人の男。


「はぁ……はぁ……シェリア……嬢……」


 ゆらりと起き上がるも、その体は力なく床に倒れこんだ。

 しかしその手は、その目は力強くシェリアへ向けて。


「王子を……助けてください……」


 それは、第三王子の従者。

 あの時アインを連れて行った男が、血まみれで床に這いシェリアを見上げていた。

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