第5話 一騎打ち




「お嬢様……」


 シェリアをかばうように立つアントン。

 彼が手に持つ剣は半ば鞘から引き出され、侵入者をいつでも断罪することが出来る状態だ。

 しかし、シェリアはそれを止めていた。


「お嬢様?」


「少し待って……」


 いまだ力の入らぬ体を起こし、立ち上がる。

 そうして心配そうにこちらを見つめる侵入者と対面し、少しだけ高い相手の目を真っ直ぐに見据えた。


「これで躾がなっていないのは二度目よ。あなたは学ぶということを知らないのかしら?」


 目を瞬かせる第三王子。

 彼は「参ったな……」と頭をかくと、視線をシェリアと重ねさせる。


「まさか、そんな返しをされるとはね……これは想定してなかった。体は大丈夫かい? だいぶ深く力を使っただろう?」


「貴方に心配されるいわれは無いとだけ答えておくわ」


「これは辛辣だ」


 ピシャリと返され、アインは肩をすくめる。


「でもね、私には私のやるべきことがある……だからシェリア嬢……一騎打ちだ」


「一騎打ち?」


 飄々とした姿は影をひそめ、どこか決意した眼差しがシェリアに向けられた。

 その言葉にアントンの気配が揺らぐも、彼は真っ直ぐにシェリアを見つめたまま。


「昨日と同じだ。私は貴方に言葉を送る……それで貴方の心が変わったら私の勝ち、私について来てくれ。変わらなかったら私の負けだ。おとなしく捕まろう……もしくはアントン卿の剣のサビにでもしてくれ」


 そう言って、アインはアントンを一瞥した。


 ……意味が分からなかった。


 そうする意味も。

 そうする考えも。


 全てを知るはずのシェリアに分からない——そんな彼が。


 だからこそ……。


「分かったわ……」


「お嬢様っ!?」


 無意識に出ていたこの言葉も必然だ。

 声を荒げるアントンを視線のみで制止し、シェリアはアインの元へ歩み寄る。


 彼我の距離は三十センチ程。


 そうしてお互いに顔を合わせて。


「まずは、昨日の言葉の意味を教えてもらおうかしら」


「言葉のままだよ。知識のみでは意味はない……そこに経験が無ければ価値はない」


「知識が無ければ物事は防げない。そんなことも分からないの?」


「知識だけでは防げないこともある。だからこその経験だと分からないのかい?」


 問いと問いをぶつけ合う。


「詭弁ね……」


「それはそちらだろう?」


 にらみ合い、視線を交差させてなお、どちらも引かない。


「私には実績がある。国を支え、国を守ってきた実績が」


「たった一人の少女を犠牲にしてかい?」


「それは誰の事かしら……?」


 いったい誰を犠牲にしたというのか?

 根の葉の無い憶測は止めてもらいたいと、言葉に棘を含ませる。

 だが、彼から帰ってきたのは予想外の言葉。


「君だよ」


「えっ?」


「君の事だよ」


 たった一人だけを見つめ、ゆっくりと紡がれた言葉に、シェリアの意識は真っ白に染められた。


 ……意味が分からない。


 分からない。


 分からない、分からない。


 分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない。


 分からない……!


「——分からない……」


 脳内に埋め尽くされた言葉は、やがて自然と口から吐き出されていた。

 いつの間にか交差していた視線は外れ、目に映るのは彼の胸。


「分からないのかい?」


 そう、優し気な声が降ってくる。

 その声にビクリと肩を震わせ、顔を上げれば同じく優し気な彼の瞳。


「それが未知だ。そして、それを学ぶのが経験だ……たしかに知識は大事だ。それは認める。でも、それでは半分だけなんだ」


「わ、わたしは……」


「お嬢様……」


 根底が揺らぐ。

 自我が揺らぐ。


 気付けば数歩後ろに下がり、視線はどこにも定まらない。

 後ろでアントンが何かを言っている気もするが、それすらも知覚することが出来なかった。


 だが、それまでだ。


 ……


 その言葉がシェリアの存在を頑なに変えてはくれない。

 少しずつ揺れた視界は定まっていき、乱れた息は静まっていった。


「……わた……私は司書。王国の為に存在し、王国の——」


 紡がれる口上。


 それは、シェリア自身の存在の証明であり、シェリアの生まれた意味でもある。

 自身の存在を再確認し、揺れた心が静謐さを取り戻していく。


「——道具。そのために——」


 紡ぎ、定義し、強固としていく。

 しかし、その言葉は——


「ふざけるなっ!!!」


 怒りの形相となったアインに阻まれた。


「なぜ、そこまでして自身を抑え込む!? 自分の可能性を抑え込むな! 君の可能性は無限大だ! なぜそれが分からない!?」


 それは感情の発露だった。

 怒り、哀れみ、失望……様々な感情が入り混じった叫び。

 少なくとも、シェリアにはそう感じられた。


 話に聞く第三王子の姿とはかけ離れた姿。

 その必死な形相にシェリアだけではなく、部屋で空気となっていたアルガット卿、さらにはアントンまでもが息を呑む。


 武力であればアントンが勝るだろう。

 知力であればシェリアが勝るだろう。


 この場でアインが勝るものは、勝る力は一つも無いはずだ。


 なのに、この場で動けているのはアイン本人だけだった。


「君は世界に羽ばたける! なぜそれに気付かない!? こんなにも世界は未知に溢れている……こんなにも知らない知識に溢れているんだっ!!!」


 ……意味が分からない。


 その表情の理由も。

 その言葉の真意も。


 再び根底が揺らぐ。


「なんでそこまで……?」


 気が付いた時には震えた声で問いかけていた。

 すると、アインはフッと表情を緩める。


「理由なんて簡単さ。一目見たときに君に惹かれた……男の理由なんてそんなもので十分だろう?」


 姿勢を下げ、シェリアの目線に合わせてアインは笑う。

 そんな彼の碧の瞳に映るシェリアの姿は情けないほど弱く映っていた。

 それは当然、映っていないシェリア自身も同じで


「…………分からない…………分からないの……」


 なんでこんなにも揺れるのか?

 なんでこんなにも胸を突くのか?


 未知の感情が心をざわつかせる。

 それでも、心に引いた一線が、壁が、外に出ることを嫌ってしまう。


「分からないのなら、私にそれを知る手助けをさせて欲しい。君に惹かれたんだ……君を導きたい……それが私の心からの願いだ」


 差し出される手のひら。

 その手は、出来損ないと称されるには似つかわしくないほど分厚く、つぶれたマメが痛々しかった。


 ……いいの?


 ……本当に手を取っていいの?


 自身に問う。

 しかし、その答えはシェリアにはない。

 彷徨う視線をそのままにアントンを見やれば、彼は目を閉じてシェリアの答えを待ってるようだった。


 アルガット卿の姿はいつの間にか消えており、この部屋にはシェリア、アイン、アントンの三人だけだ。

 つまり、この先の行方はシェリア次第ということ。


 一線を越えるか? 

 それとも越えないか?

 

 全てはシェリアに委ねられる。


「わ、私は……」


 自分でも驚くくらいに震えた声。

 しかし、その先を口にすることが出来ない。


 その時だった。


「「「「捕らえろぉぉぉ!!!!」」」」


 複数の怒声が扉を蹴破り、扉が吹き飛んだ。


 衝撃に倒れこむシェリアの体を、背後からアントンが支える。

 そのことを自覚し、扉へ目を向けた時にはすでにアインは捕らえられていた。


「「「「大人しくしろ!!!」」」」


 うつ伏せに組み伏せられるアイン。

 その表情は苦悶に歪み、額からは脂汗が流れていた。


「ぐっ……」


「……っ!?」


 苦痛を漏らすアインの姿に言葉にならない声が漏れる。


 それもそうだろう。

 すでに、アインの両手、両足は傷に塗れていた。


 右腕は焼かれて爛れ。

 左腕は凍らされ白く染まり。

 右足は感電したのか小刻みに震え。

 左足はおびただしい裂傷に血まみれになっていた。


「連れてくぞっ!!!」


 一人の兵の言葉でアインは強制的に立たされる。

 しかし、満身創痍の彼の体は倒れこもうと揺れた。


「ぐっ……」


「倒れるな!!!」


 響く打撃音。

 倒れこむアインを兵の一人が蹴り上げたのだ。


 その音は明らかに骨を折る音がした。

 だが、兵たちは容赦することはない。


「来い!!!」


 襟を掴まれ、アインが引きずられていく。


「あ……」


 その姿に声を漏らしたのは意識してなのか、それとも無意識か……。

 それはシェリアには分からなかった。

 しかし、彼には伝わったのか、ピクリとうなだれた顔を上げてアインはシェリアに笑みを送る。


 その笑みの理由は分からない。

 だからシェリアは動くことが出来ない。


 いまだ怒号が聞こえてくる部屋で、シェリアは意味も分からず立ち尽くした

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