第4話 決行
「本日はお時間をいただきありがとうございます」
「我が王の頼みですから」
汗を拭き、低い腰のまま頭を下げる男にシェリアは素っ気なく答える。
本音を言ってしまえば時間など与えなくない。
しかし、王の頼みならば応じないわけにもいかないのだ。
「アルガット卿の相談はアルガット領の隣にある森の魔物問題ですね」
「なぜ……!?」
目を見開く男。
……そんなことも分からないと思われていたのか。
フッと口から出そうになった悪態を飲みこみ、代わりに笑顔を装った。
「簡単な推理ですよ、アルガット卿。最近、貴方に流れているお金の流れ……ああ、これは別に責めているわけではありません。自領を守るために必死なのは分かりますから」
徐々に青くなっていく卿の顔色を無視し、続ける。
「白金貨一二五枚……よくもまあ、ここまで集めたものです。あっ、申し訳ありません。簡単に計算したらつい口から出てしまいました」
口角を上げ、男を見やる。
すでに男の顔色は青を通り越して土気色になりそうだ。しかし、王に言われた以上は止めることも出来ない。
「我が王には金額までは告げていません。しかし、そこまでなる前に相談してほしいと言っておられました……これ以上は分かりますね」
言外に意味を込め、シェリアは男に笑みを送る。
その効果はあったようで、彼は額から次々と流れてくる汗を拭うのに必死なっていた。
「さ、さすが、歴史上最高の司書とうたわれたシェリア嬢ですな……その知識と、扱うための知力……いやはや、恐れ入り——」
「そういった称賛は受け付けていません。それよりも本題を」
「し、失礼しましたっ!」
対面する間に設けられたテーブルに、頭をぶつける勢いで貴族の男は頭を下げる。
彼は即座に頭を上げると、一度汗を拭いてから口を開いた。
「実は——」
男の抱える問題。
男が話す言葉を一字一句聞き逃さない。
それは、シェリア自身の能力であり、司書に求められる能力だ。
本に文字を書けば、その文字が本に残るように。
シェリアは見聞きした知識、情報を失うことはない。
「——そのほとんどがオオカミ型の魔物です。そのため、足の遅いものでは翻弄されてしまい、経験のないものは返り討ちになる始末……代わりとして良い武具を集めているのですが……」
視線を落とし、世界の終わりでも告げるかのような男。
目を閉じてその言葉を聞いていたシェリアは、数秒の時を置いてから目をゆっくりと開いた。
「アルガット領の兵の数はおよそ千……近隣の領の冒険者を集めても千五百。森の広さ、動植物の規模を考えれば魔物の数はおおよそ五千ほどか……」
瞳に再び土気色となった男を映しながらも、シェリアは男の存在を知覚しない。
書架に繋がり。
必要な情報を引き出し。
自身の知力をもって答えを導き出す。
自身の能力全てをそのことだけに使うからこそ、男の存在を無視するのだ。
「キャオの実とカネギを混ぜたものを作りなさい。そして、兵の鎧に塗りなさい」
「えっ?」
呆ける男。
だが、シェリアはそれを無視して続ける。
「一つではたいしたことはないわ。でも、混ぜることでそれなりに効く毒となる。もちろん完全ではないけれど、鼻が良いオオカミ型なら距離を取ろうとするわ。それを囲いなさい」
額から流れる汗も認知せず、ふらつきそうなほど疲労した体も自覚しない。
無限の知識をこの世界に引き出すには、それ相応の代償がいる。
あの世界で読むのではなく、あの世界から取り出すからこその代償。
心配げに見つめる男の姿もシェリアには見えていない。
「出来るだけ足の速い者を……囲う役につかせなさい…………それで……足の遅いものはトドメ……を……」
ぐらりと揺れる意識。
外に出ないシェリアの体力が限界を迎えたのだ。
力が入らず、腑抜けた体が前方へ揺らぐ。
その姿に男が駆け寄ろうとするも、その前に優しくシェリアを抱き寄せる者がいた。
「アントン卿……」
「申し訳ないアルガット卿……少しだけ時間をいただきたく」
「そんな、顔を上げてください! 頭を下げたいのはこちらです!」
そんな二人の会話を耳にしていても、シェリアは何の反応も返すことが出来なかった。
意識はある。どうにかではあるが。
だが、体を起こす余裕はない。
少し時間を置き、ようやく声を出せるほど回復したのち、シェリアはアントンに小さく言葉を送る。
その言葉のまま彼はシェリアを座る椅子に寄りかからせ、その場を離れた。
そして、さらに時間を置き。
「申し訳ありません。醜態をさらしてしまって」
「いえ! そんなことは! シェリア嬢には感謝しかありません!」
深く頭を下げるアルガット卿。
その姿に、ようやくシェリアの口元にも笑みが訪れる。
「頭を上げてください。我が王の頼みを答えただけです」
その笑みは男に向けたものではない。
ただ、ようやく終わったと安堵の笑みだ。
しかし、それを知らない男は感極まった表情で再び頭を下げた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……! この恩は必ず! 必ずかえしますゆえ……!」
何度も、何度も頭を下げる。
そして、男の瞳から雫がこぼれ、床に落ちたその時——
「なに……?」
「ひえぇぇ!?」
「…………」
突如響き渡る爆発音。
その音にシェリアは眉を寄せ、アルガット卿は悲鳴を上げ、アントンは剣に手をかけた。
次第に兵の駆ける音が大きくなり、怒声が耳を叩く。
そんな中、シェリアの脳内には違うことが浮かび上がっていた。
(今の音……火炎石ね。でも、魔法が主流となって廃れた化石を誰が……?)
城の兵は全て第二位階以上の魔導士だ。
下から二番目とはいえ、火炎石を使うくらいなら自分で魔法を放ったほうが強い。
(なら誰が……? 音の大きさを考えると樽一つ分かしら? それくらいな備蓄として城に置いてある。ただ、それは災害が発生した時に魔法を温存するためのもの)
貯蔵庫に保存されたものを誰が……?
シェリアの脳内では、その犯人の像が徐々に結ばれていく。
(魔法を使えない者……もしくは使わない、温存したい者……そして、最近あった異常といえば——)
近年、王国は帝国と並ぶ武を誇り、平和が維持されている。
そして、そんな国に喧嘩を売る愚かな国も考えられない。
(外じゃない……なら、内?)
……どうしてだろう?
なぜか、ある男が頭に浮かぶ。
……どうしてだろう?
その推理に確信がある。
……どうしてだろう?
「失礼するよ……」
推理が正解だったと告げる男の声。
扉が開き、その男の姿を認めた時、シェリアにはある感情が浮かび上がっていた。
それは国を乱した憎しみではない。
それは——
「君を迎えに来た……」
耳を揺らす第三王子の声。
その声に感化されたのは、好奇心だった。
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