第2話 第二書架(コクマ・ライブラ)
無数の書架が並ぶ空間の中央にポツリと設けられたベッド。
周囲には同じく無数の本が宙を舞い、重力など存在しないとでも言わんばかりに漂っている。
そんな世界とは隔絶された空間で。
「なんだったのあの王子!」
胸で再燃したモヤモヤを、シェリアは拳を持ってベッドに叩きつける。
ボフッと音が鳴り、明らかに高級品だと分かる弾力が拳を優しく受け止めるも、苛立ちは収まらなかった。
「経験が大事? そんなも手遅れになったら意味はないわ!」
手遅れにならない為の知識だ。
何が起きても迅速に対処するための知識だ。
……何も知らなければすべて後手に回るだけ。
それを第三王子は分かっていない。
「そもそも! 私のおかげで貴族間のパワーバランスが取れているのが分かっていないの!?」
シェリアを動かせるのは王だけだ。
依頼を受け、貴族に知識、またはそれから導き出した結果を伝えなければ、欲を塗れた貴族社会など瞬く間に破綻する。
それが分かっているからこそ、王はシェリアにこれ以上ない待遇をし、多大の資金をかけて世界中の本を集めているのだ。
聖国の医療技術……。
帝国の武術……。
果ては地下に存続しているというドワーフの鍛冶技術まで……。
あらゆる知識を集め、その知識を無条件に引き出すことが出来るシェリアの地位は高い。
それこそ、役立たずと評判の第三王子などとは比べ物にならないほど——
「うう……思い出したらもっと腹が立ってきた……! あんな奴が意味の分からないことを言ってくるから……」
何度も叩きつけた拳を緩め、仰向けに転がる。
体の重みに沈んだベッドがシェリアの体を包み込み、荒ぶった心を落ち着かせようとするも、頭に浮かぶのは得意げな男の表情だけ。
「はぁぁぁぁぁ…………」
深い、深いため息。
早朝から始まった貴族との相談事。
件数にして三件ものやり取りは、いまだ少女の肉体に疲労を蓄積させている。
本来ならば、ゆっくりと本を読み、微睡むように知識の海に体を委ねるのがいつもの日課だ。
なのに——
「ううう……」
傍らに浮かぶ一冊の本。
その本にすら手を伸ばす気になれない。
体は知識を求めているのに。
頭は知識を求めているのに……!
どうしても、今は本を読む気になれなかった。
「とはいっても、眠れる気もしないのよね……」
落ち着く為に紅茶でも嗜みたいところではあるが、あいにくアントンは翌日の予定をまとめるのに奔走しているだろう。
屋敷も無く、この空間を居としているシェリアにとって、たった一人の従者であるアントンの価値は他に比べられるものではない。
彼がやりたいというから任せているが、彼自身
本来ならば他に使用人を雇って、彼には老後を楽しんでもらいたいのだが。
「しょうがないわ……我慢するとしましょう」
この空間から出れば、勘のいいアントンは気付いてしまうだろう。
それだけの実力を彼は備えている。
とはいえ、ここには紅茶を入れる施設などありはしないし、シェリア自身に紅茶を淹れる技術は無い。
「はぁ……」
短くため息をこぼし、近づいてきた本を手に取る。
——『■魔■全』
一度目を通した一冊だ。
その本をベッドに置き、手のひらを果ての無い
「第六八頁の六——『
刹那。
手のひらから赤い雫が生まれ、重力に逆らって天へ上る。
そして、空中に波紋を落とし、平がった波紋が本へ触れた瞬間。
——ゴウッ!!!
無数の本が炎に包まれた。
それは終わりなく広がる波紋に触れるたびに起こり、本だけでなく書架までも対象とし、辺りを炎で包んでいく。
無事なのは、シェリアと横たわるベッドだけ。
本来ならば。
時間にして数秒程。
それほどの時間を置き、次第に炎が力を弱めていった。
そして残ったのは無傷の本と書架。
たった一つの魔法。
しかし、その一つで国を焼くことが出来る魔法を受けてなお、この空間は壊せない。
いや、もともと壊そうなどと思っていない。
壊れないと知っているから放ったのだ。
「これで少しは眠くなるといいんだけど……」
全く感じない疲労感に眉をひそめ、独りごちる。
最悪、脳内に映る第三王子の姿が焼けてしまえばいいと思ったのだが、そうは上手くいかないらしい。
シェリアは、瞼の裏に映る憎たらしい顔に三度目のため息を吐き出した。
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