第1話 司書と呼ばれる少女
「——ここ最近のエズワール領の稲の値段。その増加は少量です。正確な数字は伏せますが、三パーセントほどでしょう」
「では、エズワール男爵の言う不作というのは……?」
「まず嘘でしょうね。おそらくですがアントマ伯爵に流れているかと……これ以上は我が王に止められてますので」
貴族の服を着て、ふっくらと太った男を無感情な目で見据える少女——シェリアは、これ以上は言えないと目を閉じて黙秘を主張した。
目の前の脂ぎった中年の男を遮り、わずかではあるが不快感は軽減する。
正直、苦痛だ。
年の離れた男と二人きりという状況がではない。こんなことに時間を取られている状況自体が苦痛だった。
「分かりました……シェリア嬢には感謝しかありません。では、私は失礼します」
ガタリと椅子の動く音。
少し経って扉が開き、パタンと静かに閉められる音を聞き届けて。
「はぁ……いい加減貴族の揉め事に巻き込まれるのは勘弁してほしいわね」
ゆっくりと目を開き、大きくため息。
「ははは、そう言われず……お嬢様がいるからこそ我が王は貴族間の力をコントロールし、我が王国は繁栄を極めているのです」
「そうは言ってもね……」
背後からかけられた声に肩をすくめる。
アントン=エンスワイア
きっちりと着こなした執事服に、白髪をオールバックにしたシェリアの従者だ。
彼は老人にしては真っ直ぐな姿勢を保ち、ティーセットの重みを感じさせない足取りでシェリアの元にやって来る。
「今日の予定はこれで終わりです。お嬢様はごゆるりと休まれては?」
「それよりも本が読みたいわね。まあ、いつも通りだけど」
足を伸ばして力を抜くシェリアに、アントンは微苦笑を浮かべて隣へ。
カップが眼下に置かれ、注がれる紅茶の香りが鼻に抜けていく。
「一休みされてからお戻りください。片づけはしておきますゆえ……おや?」
「どうしたの?」
「客人のようです」
紅茶を入れ、視線を正したアントンの視線が鋭く扉へ向けられた。
その十秒後、コンコンと扉のノックする音が響く。
「誰かしら?」
「失礼するよ」
聞こえてきたのは男の声。
返事を待たずに室内へ入ってきたことに眉をひそめるが、男はなんてことないようにシェリアの元へ歩み寄ってきた。
「勝手に部屋に入って来るなんて、躾がなってないわね」
「それは失礼。答えを待っていては会ってもらえないと思ってね」
吐いた毒を涼しい顔で受け流す男。
華やかな衣装を身にまとい、金の髪をなびかせてシェリアとの距離を詰める男にアントンが割って入る。
「お戯れをアイン王子……第三王子である貴方がシェリア様に勝手に謁見するとは何事ですか?」
厳しくも静かな叱責と共に、年齢として百を超えた老人が出せるようなものではない闘気が部屋に迸った。
心臓を掴まれるような感覚。
主たるシェリアには向けられてはいないそれは、余波だけでその感覚を感じさせる。
向けられてはいないシェリアでも鳥肌が立つほどなのだ。
直接向けられている彼は、気絶でもしてしまうのではないか?
そう考えるも、意外にも第三王子——アインは受け止めていた。
形のいい眉が歪み、苦痛に一歩下がりそうにザリッと音が鳴るも、その眼差しはアントンから離れない。
「今日はね……『司書』である貴方に言葉を送りに来たんだ」
ピクリと、アントンの腕が動く。
その一瞬後には、閃く銀の剣がアインの首筋に添えられていた。
「言葉次第では、第三王子でも切りますよ?」
「おお怖い怖い……さすが元騎士団長殿だ。前線を離れてなお、その剣筋は衰えてないと見える」
両手を上げて飄々と言ってのけるアイン。
そんな彼の姿に、アントンの目が細められた。
「そんな貴方こそ、武も知もない出来損ないとは思えませんが? いったい、何の用で……いや、用は言っておられましたな」
カチンと剣をしまい、アントンの視線は振り返ってシェリアの方へ。
「お嬢様、どうなされますか?」
「そうね……」
たった一人の従者であるアントン。
彼がシェリアを大事にしていることは、自分がよく知っている。
そんな彼が剣をしまったということは、第三王子が敵では無いと証明しているようなものだ。
それなら聞くに値する。
「手短にお願い」
「いいのかい?」
不思議そうに顔を伺ってくるアイン。
その表情は、まさか了承してくれるとは思っていなかったと言わんばかりだ。
しかし、今は邪魔でしかない。
「良いと言っているのだけど……それとも、今の言葉が送りたい言葉なの?」
わずかな侮蔑を込め、アインを見据える
すると、微笑を携えていた彼の表情が抜け落ち、パチパチと目を瞬かせた。
「…………」
「なにか言いなさいよ……」
何も言わない彼の様子に苛立ちが増してくる。
時間にして五秒程だろうか、沈黙に耐えられなくなって席を立とうとすると。
「ふふふ……ははははははっ……!!!」
突然、第三王子が狂ったように笑い出した。
彼は腹を抱え、王子としての威厳を感じさせないほど笑い転げる。
さすがにその姿にはシェリアもポカンと口を開けることしか出来ず、アントンも奇妙なものを見たかのように眉を寄せてしまっていた。
「ははは……はは……ふぅ…………すまないね」
ようやく落ち着いてきたアイン。
彼は赤くなった顔を隠すように髪をかき上げ、それに合わせて金の髪がキラキラと宙に舞った。
「シェリア嬢に伝えたいことだったね。すまない、時間を取らせてしまった。では、言うとしよう」
そう言って、アインの視線がシェリアの方へ。
金の髪の奥、碧の瞳がまっすぐにシェリアを捕られ、その瞳の力強さに無意識に体が強張る。
そして、ゆっくりとアインの口が開いていき。
「知識だけじゃない、経験だって大事さ」
「は?」
その言葉の意味が分からなかった。
それは、知識の権化でもあるシェリアには許せないことだ。
「いったいなに——」
「失礼します!!!」
問いただそうとした最中、その問いは開け放たれた扉の音に阻まれた。
「こちらに第三王子がいると……! アイン! 何をやっている!!!」
「ぐえっ!?」
気迫のある男の声。
その声の主がシェリアの前に立つアインの姿を捉えると、男は俊敏な動きでアインの首根っこを掴む。
首が絞められ、王子らしくない声を出すアインはそっちのけだ。
「本当にすいませんでした! こいつはかなりの自由人でして! 不機嫌にさせてしまったのならお詫びします! 私からもきつく言っておきますので!」
「ちょ!? 引っ張らないでくれ……息が……?」
グイグイと引かれ、顔を赤くするアイン。
彼の抵抗は完全に無視され、果ては扉の外まで引きずられて。
「本当に……失礼しましたっ!!!」
バタンッ! と大きな音をたてて扉が閉められた。
その一幕に呆気に取られていたシェリアは、我に返るとアントンを見やる。
しかし、「敵意がありませんでしたので」と涼しい顔で返すのみだ。
「いったい、何だったの……?」
突然やってきて、嵐のように連れ去られた男——アイン。
彼の言った言葉の意味は分からず、彼の意図も分からない。
椅子に座るシェリアの銀の長髪。
その髪が今の気持ちを表すように、一房だけ肩から落ちた。
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