第45話 私に似合う色


受賞者を確定させる学年末テストが、もうすぐそこまで迫っている。

オリビアは勉強会へ通い続けた。ハヤトはあれ以来図書館へ現れなくなったが、2人になってからというもの、たくさん褒めてくれるレイと過ごす時間が、わずかに楽しみになっていた。


(レイくんといると、理想の自分でいられる。ほんの少し言い過ぎる彼を優しく受け止められる自分も、なんだか大人みたいでいいじゃない。学年末テストが終わっても、勉強会を続けてもいいかも…)


しかし、なぜだか集中出来ない。ノートに書き込もうと羽根ペンを持った瞬間、黄色に染まる柔らかな羽根の輝きが目に入り、どうしても時間が止まってしまう。


──私は、振ったの?


「先輩?」


「あっ、ごめんね。どこだっけ」


オリビアはハッとして、笑顔を作る。


「………ここですよ」


「あ、ああ、えっと、ここは…なんだっけ。待ってね、ノート見るから」


「はい」


「………えっと、この説明で、分かるかしら…?」


「はい。要はこういうことですよね?」


「あっ、そうそう。ありがとう」


「さすがです。オリビア先輩」


オリビアのしどろもどろな解説を、レイがさらに噛み砕いて整理し、説明し返す。これではどちらが教えているのか分からないが、レイはなおも彼女に教えを請う。


「そろそろ休憩しましょ。喉乾いちゃった」


──早く、淹れてよ。


「えっ、また休憩?いいですけど、ついさっきもしましたよね」


「……?あ」


時計を見て気付く。いつもなら、タイミング良く差し出された紅茶で、ひと息ついている時間だった。


***


「それで…あいつがさ!こんな顔してたんですよ!!」


「ふふ」


オリビアは笑った。彼の話を聞いている時は、余計な事を考えなくて済む。レイはその見た目からドライな性格だと思っていたが、本当によく喋る。


「レイくんの学年、そんな感じなのね。面白いわ」


「そいつさぁ、普通科のくせに、バスケも上手いんですよ?信じられます?」


「そうなのね」


「僕何度やっても勝てないんですよぉ」


「レイくんは勉強だけじゃなくて、スポーツ面も努力しているのね。大丈夫よ、いつかは勝てるわ」


「そうですね。あいつに負けるなんて、トップクラスの恥ですから」


彼はたまにこういう話の仕方をする。レイは、特別進学科生であるという事が自慢なようだ。しかしそれだけならいいのだが、言葉の端々に、他の学科生に対する侮蔑が感じられる。


「…あなたは立派ね、特別進学科の名に恥じないように頑張ってるわ。でも、その子もきっと普通科に誇りを持っていると思う」


他の話ならまだ笑って流せるが、どうしても言いたかった。特別進学科をトップクラスと呼ぶのは、あの日以来やめていた。


──比べる必要は無いって、教えて貰ったから。


オリビアはレイに遠回しに注意したが、彼は首を振った。


「普通科は、落ちこぼれの集まりですよ」


「えっ?」


「あいつらは、他の学科に比べて勝てる所が何一つ無いんですよ?だってさ、専門学科でさえ、色んな分野のスペシャリストを目指す強みがあるでしょう?普通科って、何で存在するんだろう。恥ずかしくないのかな。あっ、でもオリビア先輩は別格ですよ?普通科の、希望の星なんですから!」


悪気なくにっこり笑う。


「……………ありがとう」


「……ね、オリビア先輩。先輩はどうして、トップクラスに入らなかったんですか?こんなに賢くて、実績出しているのに。普通科なんかで退屈しませんか?」


レイは心底分からない、という顔でオリビアを見た。


「……私は、入れなかったのよ」


「えっ?オリビア先輩が?頭良いのに?」


オリビアは一呼吸おき、話した。


「そう。中等部へ入学する前は、大して勉強出来なかったの。特別進学科は憧れてはいたけど、私には到底無理だった。普通科に入学してから少しずつ順位を上げて、1位にまで上りつめて、キープしてきたのよ。まぁ、今は抜かれちゃったけどね」


──私に遥かに差をつけて1位を取る天才魔法使いが現れたから。


「そうなんだ…オリビア先輩って、元々勉強出来る人じゃなかったんですね。イメージと少し違うなぁ」


グサリと来る。地頭が良くない事は、コンプレックスである。レイにまで、才能がある訳では無いとバレてしまった。


──だけど、努力は恥ずかしい事じゃないって、言ってくれたっけ。


「……確かに勉強は苦手だったわね。でもプロピネスでの授業は楽しくて、色々と学ぶ内に、1位を目指したくなったって事よ」


「そうですか…凄いなぁ。それで本当に取れるんだから。先輩には敵いません」


『僕には敵わないよ』

自信満々でニヤける坊主頭の男の声が頭の中で響く。


「ええ…」


「そういえば、このペン、綺麗ですね。黄色がお好きなんですか?」


レイはオリビアの黄色い羽根ペンを手にとった。


「あっ、これは普通科のクラスカラーだって…」


そう言いながら、さりげなく取り返す。


「ふーん。黄色ってちょっとバカっぽくないですか?似合ってませんよ。普通科のクラスカラーとしてはぴったりだけど」


落ちてきた灰色の髪を耳にかけながら、嘲笑するレイ。


「え?バカっぽい?」


「はい。オリビア先輩にはもっと、知的な色が似合いますよ。替えません?青とか、緑なんかどうでしょう。あ、そうだ、テストが終わったら、僕と一緒に買いに行きませんか?」


「レイくんと、買い物…羽根ペンを、買い替える…?」


「はい」


──いつもからかってくる人が選んだ、この色の羽根ペン。自分を褒め称える可愛い後輩との、買い物。


「…私、これで大丈夫よ。私にはしっくりくるから」


「そうですか?青色とかの方が、集中力が上がるって言うじゃないですか。黄色って、チカチカして気が散りません?僕が買ってあげますよ。もっと点数上がるかも…」


「そんな事ないわよ。これでやる気を出しているから。これでいいの」


──いいえ。これじゃないと、ダメなんでしょう?


「…分かりました」


「…あ、結構時間経っちゃった。さ、勉強しましょ!テストまであと少しだわ」


「はい、先輩」


レイが再び問題集に取り掛かり始めた所で、オリビアは羽根ペンをしまった。受け取った時の細長い小箱に毎回入れるため、少し角が擦れてきている。


(ああ、もう!)


楽しいはずの時間に、彼の面影のひとつひとつがいちいち水を差す。


オリビアは自分に言い聞かせた。問題はそこでは無いではないか。あの人の良い所なんて、よく知っている。それなのにあと一歩の所でチャンスを逃し続けてきたのは、向こうの方だ。あの強引な所さえ無ければ、とうの昔に受け入れていたかもしれなかった。自分勝手な所が苦手だ。何でもすぐに思い込む所が疲れる。それだけじゃない。あの人といると、嫉妬心でいっぱいになる。心が乱される!絶対に、目の前の彼の方が、一緒に勉強していて安らげるはずなんだ。


オリビアはその後もレイに教え、優しく焚き付けたものの、自分自身の手は全く動かなかった。


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