第43話 力では奪えない


勉強の遅れを取るのが大嫌いなのに、それでも登校を一瞬ためらった程に、ハヤトと顔を合わせる事が憂鬱だった。


屋外での魔法学の実習中、ハヤトは案の定こちらへ近寄り、声を掛けてきた。小声だが苛立ちが含まれている。

 

「昨日は楽しかったかい?」


「ハヤト…あのね、レイくん、やっぱりハヤトがいた方が理解しやすいって言ってたわよ…」


オリビアは嘘をついたが、効果は無かった。


「今日は絶対に行かせないからね」


そう言って、魔法弾コントロールの練習に使う的に向かって、ハヤトは思い切り杖を振った。直後に物凄い爆発音がして、的は粉々になる。


「最近森へは行ってないんだよ」


「…そ、そうやってレイくんも脅すの?」


足が震える。クラス中が驚いてハヤトを振り返るが、彼は無視している。


「オリビアはどうしたらいいと思う?」


「言葉でい、言ってくれると、嬉しいな」

 

先程まで的であった欠片を呆然と見ながら、出来るだけ穏やかに言う。


「そうか。オリビアは優しいね」


ハヤトは不敵な笑みを浮かべて、凄いと騒ぐクラスメイトたちの所へ去っていった。


***


放課後になってしまった。オリビアは2人のどちらからも逃げたかった。もう、耐えられない。


お願いだからどっちも来ないでと願っていたが、オリビアの普通科クラスに、先に来たのはハヤトだった。話し声を周りに聞かれるのが嫌で、オリビアはすぐに廊下へ出た。


「オリビア、一緒に帰ろう」


横を歩きながらハヤトが言う。


「ハヤト、私、今日は勉強会、行かない。その代わり、あなたとも帰らない」


「どうして?」


「分からないの?疲れたのよ」


もう振り回されたくない。2人に気を遣うのもうんざりだった。オリビアはハヤトから逃げるように歩くスピードを上げた。


「君と一緒にいたい」


「それはどうも。私は、いたくない」


思ったままを前を見て発言すると、ハヤトは足を止めた。無視して歩いていると、突然自分の足が鉛のように重くなった。夢の中で走ろうとしても上手くいかないように、前に出そうとしても、動かない。


(あ、あれ……まさか……)


肌が粟立つ感覚がして、恐る恐る後ろを見る。そこにはやはり、杖をこちらに向けているハヤトの姿があった。


「なに…したの…」


血の気が引いていく。


「オリビア、おいで」


自分を通り過ぎて前を歩き始めたハヤトを追いかけるように、意思に反して足が動き出す。


「嫌…いやだ、怖いよ、ハヤト」


ハヤトは学校を出て、宿舎へと真っ直ぐ歩いた。オリビアのではなく、彼の暮らす古い方の建物だ。


オリビアの足は止まらない。体が言う事を聞かない。どれだけ懇願しても、ハヤトは魔法を解いてくれない。黙って自分の部屋に向かって歩いていく彼の背中を追ってしまう。


「座って」


部屋に着くなり、ベッドに腰掛けるよう促される。オリビアが顔を真っ青にして操り人形のように従うと、ハヤトは目の前に立ち、彼女の頬に手を当てた。


「僕がレイから君を守るから」


「え……」


──何を言ってるの?


「動かないでね」


ハヤトにゆっくりと顎を持ち上げられ、視線を合わせられる。動くなと命令されてしまったから、抵抗は出来ない。そのまま彼に、唇を奪われる。かぶりつくように覆われて、すぐに舌まで差し込まれた。オリビアは息を苦しくさせながらも、頭の中は冷静だった。


──もうキスには慣れてしまった。これで何度目なんだろう。だけど、これ程の恐怖と……怒りを感じながらするのは、初めて。


最近は自分から抱き締め返したり、撫でたりする事でコントロール出来ていた彼の暴走を、止める事が出来ない。体の動きを魔法で封じられ、なだめられない。


「オリビアは、僕のだ」


その大きな手で黒髪をぐしゃりと乱しながら、激しく自分を求めるハヤトに、恐怖に勝った怒りを静かに募らせていく。


──ハヤトは、それでいいの?


ハヤトに押し倒される。額や頬に何度も口を付けられる。頭だけは動かせるため一応横に背けてみるも、すぐに手を添えられて前を向かされた。


「お願いだから…レイを信じないで…他の男に笑いかけないでくれ…」


切なさに満ち溢れた声で哀願するハヤトを、黙って見上げる。目にぐっと力を入れる。大きく息を吸いこむ。


「あの場所で君と勉強していいのは僕だけなんだ…!」


彼の手が制服の襟元にかかった時、オリビアは声を張り上げた。


「……いい加減にしてよっ!!」


あらん限りの大声で叫ぶと、ハヤトの手が止まった。魔法の力が弱まったのか、全く動かせられなかった体に自由が戻る。オリビアはハヤトの頬を思い切り、力いっぱい叩いた。パンッ、と、乾いた音が狭い部屋に響く。


驚いたハヤトを突き飛ばし、体の上から退ける。ベッドから降り、ドアまで逃げると、彼へと振り返った。


「だったら何でこんな事するのよ!!その魔力で私を好きに出来て、それで満足なの!?」


「……」


「レイくんとは何も無いって言ってるでしょ!?それに、彼がもし私を好きだったとして、それがなんなの!無理矢理キスしたり、触ってこない分、あなたよりよっぽどいい人だわ!私が彼を好きになっても、あなたに止める権利は無いじゃない!!」


「オリビア……」


「私の事が好きなら、こんなやり方しないで…正々堂々と来てみなさいよ!!」


オリビアはそう言うと、部屋から飛び出した。ハヤトは、追って来なかった。


「あぁ、イライラする!自分の力をあんな風に使うなんて…!」


オリビアは久々に明るい内に自室に帰った。今日は教科書もノートも見たくない。


「魔法を使わない方が上手くいく事もあるのにね!」


たまにはゆっくりしようと、実家から持ってきたポータブルテレビをつける。チャンネルを変え、大好きな魔法学会のニュースを見つける。数分ぼうっと眺めるが、すぐに消す。頭に入らない。


「……これで明日からもおんなじ事するようじゃ、もう終わりね」


翌日の最後の授業、緊張しながら入った魔法学クラスで、オリビアはギョッとして、足を止めた。


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