第40話 理想の後輩


図書館に現れ、オリビアの名前を呼ぶその見知らぬ男子生徒は、青みがかった灰色の髪を肩まで伸ばし、片側を耳にかけている。キリッとした、髪と同じ色の瞳からは、利発そうな印象を受ける。

オリビアは座ったまま、見上げる形で返事をした。


「はい…そうです」


「僕は、レイ・デスパレートといいます。高等部のトップクラス、1年生です。初めまして」


レイは礼儀正しく右手を差し出した。特別進学科のことを、自ら「トップクラス」と呼ぶ人はなかなかいない。少し気になったが、オリビアも立ち上がり、笑顔で握手する。


「ええ、こちらこそ」


レイの身長はオリビアと同じぐらいだった。彼は、オリビアの横に立つハヤトの事は目に入らないのか、無視しているのか、触れようとしない。


「オリビア先輩のお噂はかねがね伺っておりました」


「噂?」


「ええ、とても優秀な方だと」


「えっ……ありがとうございます」


突然の褒め言葉に戸惑いながらも、嬉しさを感じる。成績を褒められるとこの上なく喜んでしまうオリビアは、横で真顔のハヤトに照れた顔を見られている事に気付いていない。


「あの…これ、見たんです」


そう言ってレイは、自分の持つ成績上位リストをオリビアに見せた。


「僕、去年もオリビア先輩の名前が載っていたのを知ってて」


オリビアの名前をトントンと差す。


「ここ数年、上位成績者は男子ばっかりでしたので、女子は珍しいと思ってたんです。どんな方なんだろうって。表彰式は覚えてないんですよね。で、今年は写真付きでリストに載ってるのを見たものですから」


「はぁ……」


「一度お話してみたくて教室へ行ったら、図書館にいるんじゃないかと教えて貰って、ここへ来ました。驚きですよ。こういう人って、もっと地味な感じのイメージだったので、思っていたよりは綺麗で」


レイがオリビアの容姿に触れた瞬間、ハヤトは彼に鋭い視線を送った。


「あ、ありがとう」


オリビアは、お世辞と受け止めた。 

 

「とにかく、凄く憧れてたんです。2年連続表彰候補って、なかなかいませんよね。しかも、普通科で」


「ええ……!」


(そう。そうなの。いないのよ。誰も言ってくれなかったけど、2年連続は、珍しいの!これよ、これ…!)


──ついにこの時が来た。憧れていると言われてみたかった。私がマリア先生を慕うように、私を慕ってくれる人が後輩にいたなんて。


「オリビア先輩は、どうしてこんなに凄いんですか?やっぱり人一倍努力なさっているとか?何か目標でもお有りなんでしょうか」


レイの問いに、オリビアはにっこり笑って答える。喜びを隠しきれない。


「いえいえ、全然。私は何も……」


今までのように、これは才能だと言わんばかりに返そうとするが、ハヤトが横にいることを思い出し、コホンと咳払いをした。


「……ううん、結構、頑張って勉強しているわ。それは、憧れの人みたいになりたいっていうのもあるけど…私、魔法学の先生を目指してるの。小学校のね」


「へぇ、初めて聞いたよ」


ハヤトが横で呟いた。


「うん、そうなの」


彼を見上げて微笑む。


「なるほど…かっこいいですね。さすが2位に君臨なさっているだけの事はある。2位という順位に甘んじる事無く努力していらっしゃるなんて素晴らしい」


2位、2位と言われて、オリビアは複雑な表情を浮かべる。


「ありがたいけど、私は今の順位に満足してないのよ。1位との差はまだありそうだし…」


「そんな!確か1位は、男でしょう!?という事は、女子ではオリビア先輩が1位なんですよ!」


「あ、それは確かに、そうね」


オリビアはレイの前向きな考え方に、素直に顔をほころばせた。


「1位なんて、すぐですよ。しかも、オリビア先輩は見た目も悪くない上に、優しそうだ。きっと、1位の男なんて地味な頭でっかち野郎に違いありません。猫背で、髪もボサボサで、どうせ性格も偏屈だ。総合では先輩が1位ですよ、きっと」


レイは、成績優秀者への見た目のイメージにかなり偏りがあるようだ。決めつけが、激しい。


オリビアがおずおずと口を開く。


「あの…私の隣にいるのが、その1位の人なんだけど…」


「えっ」


レイは驚いて、ハヤトの方を見る。背が高く、坊主で、薄い顔立ちのハヤト。制服も着崩していない。見た目こそ派手では無いが、それがかえって彼の自信を表していた。背すじをピンと伸ばし胸を張っている。猫背どころかふんぞり返り、レイには自分を威嚇しているようにも見えた。


ハヤトは、後輩を冷めた目で見下ろしている。その視線の奥に感じる敵対心に、レイは震え、慌ててリストを確認した。確かに、高等部2年の1位の欄には、目の前にいる男の顔写真が載っている。特別進学科を表す、彼の緑色の名札には、リストと同じ名前の「ハヤト・ヤーノルド」が刻まれている。


「あっ、失礼しました!まさか、あなたが1位とは。いや凄いです。素敵なお方で」


慌てて笑顔で取り繕う。


「どうも」


ハヤトはぶっきらぼうに答えた。


「オリビア先輩、どうして一緒におられるんですか?この方とはお付き合いを?」


「いえ、ただの───」


「付き合っているよ。僕の彼女に何か用かい?レイくん」


オリビアの言葉を遮って、ハヤトが答えた。


「えっ、ハヤト!?何言ってるのよ」


「そうなんですね。1位と2位かぁ。お似合いですよ」


「レイくん、ちが…」


「オリビアは渡さないから」


「ハヤト!」


ハヤトの態度に、オリビアは声を荒げた。


「そんなつもりじゃ無いですよ。僕は純粋にオリビア先輩の実績に憧れていて……」


「そ、そうよ!失礼よ」


「オリビアは勉強で忙しいんだから、邪魔しないでくれるかな」


ハヤトにひたと見据えられ、レイはその威圧感に少し怯んだ。


「あ、あの、それなんですけど…、僕、お願いがあって来たんです。オリビア先輩、僕に、勉強を教えてくれませんか?」


「えっ?私が?」


「はい。最近、授業が難しいんですよ。今度の学年末テストも不安で。それで、憧れのオリビア先輩に教えてもらえたらなって」


「そ…そんな、私に務まるかしら…」


オリビアは緩む口元を手で隠した。初めて直接言われた「憧れ」という言葉に、先程からずっと照れっぱなしだ。

しかし、そこへハヤトが割り込む。


「レイくん、分からない所があるなら、僕が教えるよ」


ハヤトは笑顔で言ったが、目が笑っていない。


「いえ、オリビア先輩にお聞きしたいんです」


レイは、ハヤトの方を向かずに答える。


「そうだわ、レイくん。ハヤトは、教えるのも得意なのよ。私なんかより適任じゃないかしら」


ハヤトの様子がおかしいため、何とか穏便に済ませようと試みるも、レイは引かない。


「そうですか……でも、オリビア先輩がいいんです。教師を目指しているなら、なおさらあなたに教えて頂きたい」


「同じ学年の奴に聞けばいいだろう」


「無理なんです」


「何で」


「だって僕…1年生で1位なんです」


「えっ」


オリビアとハヤトは同時に、リストを確認する。


「本当ね……」


「そうなんです。だから、もう教わる人がいなくて。ひと学年上の、オリビア先輩に頼んでみようと思ったんです」


「先生は」


なおも食い下がるハヤト。

 

「嫌ですよ。忙しそうで、なかなか捕まらないし」


「なるほどね…私で良ければ、い…」


「ダメだ」


ハヤトが遮る。


「どうして?別に良いじゃない」


「どうしてって、君は勉強に集中したいんだろ。大事なテストだって言ってたじゃないか。それに、レイは男だよ。男と2人きりになるなんて危ない」


「大丈夫よ、そんな…」


(あなたじゃあるまいし)


ハヤトの言葉に、レイはにっこりと笑った。


「大丈夫ですよ、ハヤト先輩。僕、本当に憧れてるだけですって。心配しなくても、手を出したりなんてしませんよ」


レイは爽やかな笑みを浮かべるが、ハヤトは冷たい態度をやめない。


「どうだかね」


「ごめんねレイくん。ハヤトが変な事言って。私も復習しながらテスト勉強が出来るし、大丈夫よ。明日から、ここで勉強しましょう」


「あっ…ありがとうございます!」


「待て。だったら、僕もやる。僕も一緒だ」


「ハヤト…」


オリビアは呆れ、げんなりとハヤトを見る。


「まぁ、別にいいですよ。1位と2位の先輩方に見て頂けるなんて、贅沢だ」


レイはあっさりと応じて、明日からよろしくお願いします、と去っていった。


浮かれるオリビアと不機嫌なハヤトが、その場に残された。


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