第38話 錯乱から救ったスパイス(※)



「んっ、あっ、あっ、ああっ」


ハヤトが激しく腰を打ち付けてくる。私には今のこの状況が、理解出来ない。


「オリビア、オリビア、好きだよ」


「わ、わた、しも、すきぃ」


彼の動きに合わせて口が勝手に返事をする。何も考えられない。とにかく燃えるように熱い。私は今何を口走った?今それを伝えていいの?自分で言ってて分からない。


「ほんとに?ほんと?」


ハヤトが腰を動かしながら、確かめるように頬を撫でてくる。分からない。どうでもいいから、もっと気持ち良くさせてよ。答える代わりに、頬に触れるハヤトの手を胸に持っていった。


いつもはあんなに余裕たっぷりな彼も、今は息を切らせて、額に汗を浮かべて、必死に私を求めている。彼に対する、ほんの少しの優越感を初めて感じて、私は彼の丸い頭を撫でた。


好きだ、好きだと何度も囁かれ、何度も奥を突き上げられて、私は簡単に果ててしまった。


「あ、あぁあ……っ!はぁ……は……」


「オリビア……ごめん、まだ……」


「うんっ、いいよ、ハヤトも、一緒に……」


体を密着させて腕を回してくる彼を抱きしめ返す。キスをして、舌を絡め合う。妬んでいたはずのハヤトの全てを受け入れる。


やがて、ハヤトの動きは早くなり、最後の瞬間を迎えようとしているのが分かった。


「くっ…オリビア……!」


「ん……あぁ……っ!!」


ハヤトが苦しそうにしている。なんだか、嬉しい。どくんと脈打つ感覚の後、私たちは同時に達して、繋がったまま抱き合った。


***


朝の柔らかな日差しが顔に降り注ぐ。いつもとは違う位置の窓からのそれに違和感を感じてオリビアは目を覚ました。ここがどこだか一瞬考え、ゆうべの事を思い出して飛び起きる。


(え…?)


信じ難い記憶を夢だと思いたくて毛布をめくると、何も着ていない自分の体が現れた。胸元には、消えかかっていた痕が再びくっきりと濃く浮かび上がっているのが見える。2日前、勝負した時につけられたキスマークだ。その赤い花はひとつだったはずなのに、無数に散らばって咲いていた。


「え?うそ?」


徐々に冴えてくる頭で、昨日の情事をひとつずつ思い出していくと、それに比例するように顔が青ざめていった。


「私、なんて事を…!!」


(ハヤトと…最後まで?どうして、抵抗しなかったの!?しかも、自分からも求めていた気がする…嘘だ、嘘でしょう?あれ、ちょっと待って、私、好きだって言っ…)


さらに顔面蒼白になって、大パニックのままベッドから転げ落ちるようにして降りた。床に散らばっている服の中から下着を探し当て、震える手で急いで身に付ける。


(そういえば、ハヤトは?どうしていないの?いえ、そんな事今はどうでもいいわ。それよりも昨日の私は、どうしちゃったの!?)


ピンク色のワンピースを一旦手に取るが、それを着ずにカバンから制服を引っ張り出す。


(あんなに長居しないって決めていたのに。私、ハヤトに抱かれたの?これは現実?ゴブリンに襲撃された後で、気持ちが高ぶっていたのかしら。ハヤトにほだされて、流されちゃった?)


スカートを履きながら、目をあちこちに動かす。どうして、どうして。


(ハヤト、どこに行ったの?いや、まだ帰って来ないで欲しい。彼になんて言おう。昨日言った事、した事、全部覚えてたらどうしよう)


オリビアは窓から外を見るが、ハヤトは見えない。


──昨日はなんだか、不思議な程何も考えられなかった。でも、あれが、私の本心?私、本当はハヤトとしたかったの?だけどそれにしたって、いくらなんでもあれは自分とは思えない。きちんとお付き合いを始めて、それから順番に段階を踏むべきじゃないの。それだけは嫌だったのに。先に体の関係を持つのだけは許せないから今まで彼を遠ざけ続けてきたのに。


居てもたってもいられずウロウロと歩き回っていると、彼のキッチンの紅茶セットが目に入った。

 

「…ちょっと、落ち着こう」


ティーポットには、昨日の紅茶が少し残っている。オリビアはカップに注ぎ、仕上げの材料を探した。しかし、近くには見当たらない。


「ハヤトが言ってたスパイスはどこかしら…」


勝手にあちこち開けるのも良くないか、と、そのまま飲み始める。スパイスが無くても、充分美味しい。


「…ふぅ」


座って、もう一度昨晩の事を考える。無理矢理ではなかった。いいと言ったのは自分だ。だから、責任は自分にある。

ハヤトは優しかった。何度も好きと言ってくれた。


──だったらもう、別にいいか……?


勢いで決めるのは良くない気もするが、これで断ったらハヤトを傷つけてしまう。まだ心に引っかかりが無い訳ではないが、もう答えを出す時が来たのかもしれない。


よし、ハヤトときちんと話そう。あんな雰囲気での言葉じゃなくて、冷静な今の自分の気持ちを伝えよう。オリビアがそう決意すると、タイミングよく扉が開いた。


「!!」


「あ、オリビア…おはよう」


彼の顔を見た途端、心臓が大きく跳ねた。


「どっ、どこに行ってたの?」


平静を装いながら質問する。いきなりは本題に入れない。


「あ、ああ、日課。ゴブリン狩り」


「え…今朝も行ったの?」


「うん。昨日オリビアを怖がらせた腹いせに」


「どっちが魔物よ……」


呆れていると、ハヤトはオリビアの隣に腰掛け、じっと顔を見つめてきた。


「…あのさ、オリビア」


「あっ!そ、そうだ、ハヤトも飲む?まだあったから」


立ち上がり、カップに注ぐ。わざと忙しなく動く。ハヤトに昨日の話をされるのが怖い。


「話があって」


緊張がピークに達する。


(待ってハヤト、心の準備が…!!)


「ねぇ、隠し味ってどれ?見当たらなかったのよ。クローブ?カルダモンかしら」


「オリビア、その事なんだけど」


「なっ、なに!?」


「──ごめん。スパイスなんか、無いんだ」


「………え?」


ハヤトは気まずそうな、申し訳なさそうな顔をして、膝の上で拳を作った。


「昨日僕が君の紅茶に入れたのは、魔法薬なんだ」


「……………な、なんの………?」


声が震える。聞くのが怖い。


「…体が敏感になって、性欲が増す効果のある……媚薬みたいなやつ」


「ほ、ほんと……?」


──確かに、昨日は物凄く体が熱くて…


「ごめん、オリビア。でも、ほんの少しだけなんだ。ちょっとからかうだけのつもりだったのに、まさか断られないと思わなくて……!僕、量を間違えたのかも」


「…最っ低………」


「本当にごめんね。やっぱり帰そうと思ってたんだけど、我慢出来なかった。すまなかった」


必死に謝るハヤトに向かって呆然とつぶやくが、オリビアは別の事を考えた。


(ハヤトが、量を間違えた?)


──確かに私はいつもと違った。魔法薬の効果もあったと思う。でも、たぶん、それだけじゃない。ハヤトはおそらく間違えていない。私はきっと、薬を飲んでいなくても……


「…オリビア?」


「えっ?あ、そ、そう!酷い!!なんて事してくれたの!?」


オリビアは、全てを魔法薬のせいにした。


「ごめん…怒るよね」


「も、もう!当たり前よ!!」


怒りながらも、心の底から安堵している自分がいる。良かった。自分の行動に説明がつかないまま彼と付き合う事になるのは、やはり避けたい。


「でも、幸せだった……」


(…これはこれで、問題だけどね…)


どちらにしろ合意していたかもしれないとはいえ、強制的に判断力を低下させられていたとなれば、やはり彼への怒りはゼロではない。


「ハヤト、ちゃんと反省してね。でも……なかった事にするなら、許してあげる」


「……それだけで許してくれるの?」


「ふん。その代わりもう二度としないでね」


「わかった。約束するよ……残念だけど」


「はぁ……じゃ、帰るからね…」


疲れたようにため息をつくオリビアだが、安堵感でいっぱいだった。


カバンを持ち上げ、ドアに向かう途中で異変に気付く。カバンの底が濡れている。開けてみると、さらなる絶望がオリビアを襲った。


 「オリビア、どうしたの…?」


「…ボトルの中身、全部出てる」


昨日ゴブリンに襲われた時だ。カバンを落としたから、そのはずみでフタが開いてしまったのだろう。これをハヤトから取り返すためにこんな事にまでなったというのに、全ての苦労が水の泡になる。


「……うちで作ってく?」


ハヤトの提案に、オリビアは黙って頷いた。



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