第34話 1人挑む彼の家


課題提出用のボトルが囚われていなければ、こんな所に来る義理はない。

オリビアはハヤトの家の前に立ち、不安げに扉を見上げた。


家というより、小屋だ。在学中にのみ使うつもりなのだろうか、こぢんまりとしている。しかし、粗末な感じはしない。綺麗に組み上げられた丸太の壁や屋根は、きちんと手入れが行き届いているように見える。


(…誰も一緒に来てくれなかった…)


ため息が出る。昨日宿舎に戻った後、友人のサラやナンシーたちに、ハヤトの家に着いてきてくれるよう懇願した。1人では不安だから、一緒にボトルを取り返しに行こうよ、と。しかし、彼女らはニヤニヤと笑ってオリビアを冷やかしただけで、1人で行きなさいと断った。これも全てハヤトの策略だろう。こういう時に、退路を絶つ事が出来る。


(ボトルを取り返したら、すぐ帰る。絶対、長居しない。何かされたら逃げる。絶対よ)


固く誓い、勇気を出して踏み込むつもりが、足が動かない。


(うう、緊張する…!それにしてもここ、魔物が出るって噂の森の近くじゃない…?何でこんな所になんか家を借りるんだろう。そもそも、ハヤトも宿舎住まいのはずでしょ?どういうこと…?)


悶々と考え始めしばらく立ち尽くしていたが、だんだんと怖気付いてくる。やっぱり無理だと踵を返して、その場を離れようとしたその時だった。


「あれ?入らないの?」


いつの間にか、ハヤトが玄関先に立っていた。初めて見る私服姿。シンプルな白のニットと黒のパンツスタイルが、彼の薄い顔立ちに悔しいほど似合っている。ニヤニヤしているこの感じから察するに、どこかから様子を覗かれていたようだ。


「絶対来てくれないと思ってたよ。まぁ、来ないなら迎えに行くまでだけど」


その声を聞き、今から彼の家に入る事が一気に現実味を帯びる。


「や、やっぱり帰る!!」


「えっ?どうして?」


「急に用事を思い出したの!」


「ダメだよ、ほら、入って。ボトル返して欲しいんだろ」


逃げようとするが、手を掴まれる。


「やだ!!もう未提出でいい!」


「はいはい」


わめいた所で敵わない。ハヤトに引っ張られ、そのまま家に引きずり込まれた。


***


扉の向こうには、住むための家というよりかは、学校の調合室のような空間が広がっていた。本来食事をとるためのテーブルには、魔法薬精製に必要そうな薬草や器具が並べられている。簡素なキッチンにも鍋やら釜が置いてあり、どれも日頃から使っているような形跡があった。


オリビアは瞬時に悟った。自分や他の生徒と違って、彼は魔法薬を日常的に作っている。彼の授業での手さばきの良さは、おそらく普段から作り慣れているからだろう。


「な、何で宿舎で暮らすのに家まであるのよ。しかもこんなの、まるで研究室みたい…」


辺りを見回してつぶやくと、ハヤトはさらりと話した。


「家は、転校してくる時に手違いで用意してしまったんだ。色々あってね。仕方ないから、魔法薬を作る場所として休みの日に使ってるんだよ。暇な時によくそこの森のゴブリンを狩りに行くから、その為の回復薬とか作り置いたり」


「へ、へぇ………え、ゴブリン!?あの、魔物の!?やっぱり出るの!?」


オリビアは目を丸くした。先生には、何かあると危ないからあの森には近づくなと指導されている。遠い地方には出たとの情報もあったが、見たことが無い。せいぜい本で知識として知っている程度だ。身近に本当に存在していたというのにも驚きだが、そのゴブリンを、この人は暇つぶしで倒していると言うのか。


「うん。調べてみたら、そこなら出るって書いてあったから。適当に狩ってるんだ。そうしないと、魔力が暴走しそうになるんだよ。いい運動にもなるし。だから家もここに決めたんだよ」


「暴走!?…そんなに凄いの」


「まぁね」


オリビアは2日前の勝負を思い出し、身震いした。彼に本当に本気を出されていたら、どうなっていたのだろう。


「……で、でも、大丈夫なの?危ないんじゃないかしら」


「おや、僕のこと心配してくれてるの?嬉しいね」


「べ、別にそういうわけじゃ……あ、運動したいなら、部活とかは入らないの?魔法ドッジボール部とか、ちょうどいいのがあるじゃない。あなたならいい戦力になるんじゃないかしら」


「いや、勧誘されて1回やってみたけど、向いてなかったよ。チーム戦が嫌いなんだ」


「…あ、そうなの…」


授業ではあんなに活躍していたのに、まさか嫌いとは。確かにあの日も、ハヤトは誰にもボールを譲っていなかった。


「じゃあ、個人競技は?」


「うーん…学生みたいなルールに縛られるのが嫌だから、好きじゃないな」


「学生が何言ってるのよ……」


「だからゴブリン狩りの方がいいのさ。大丈夫。僕、強いし」


ハヤトの私生活に衝撃を受け呆然としていると、彼はティーカップを乗せたトレーを運んできた。


「ここで話すのもなんだから、奥の部屋行こう」


「ええ……」


ハヤトに促され、オリビアは奥の部屋へ入った。こちらは普通の部屋で安心する。カーペットに直に座り、ローテーブルに出された紅茶を飲んだ。


「今日はちゃんと手で淹れたよ」


「本当だ…全然違う。スパイスも入ってる?このピリッとした味がアクセントになってるかも。美味しい…」


「そう、隠し味に。よく気付いたね」


(…なんか思ったより、普通かも)


想像もしていなかったプライベートに圧倒されてソワソワしていたオリビアも、知らずの内に楽しみになっていた彼の紅茶を飲んでようやく落ち着く。思ったより紳士的に迎え入れてくれたと思う彼女だが、無理矢理引っ張られて家に入った事は忘れている。


安心する一方で、ハヤトの魔力の高さに力の差を見せつけられた気になった。彼を知れば知る程、身の程知らずという言葉が脳裏をよぎる。


「ねぇ、何で制服で来ちゃったの?オリビアの私服姿、見たかったのに」


ハヤトはオリビアの向かいに腰を下ろし、服装に不満をぶつけた。


「えっ……だって、何着ていけばいいか分かんなかったし…」


オリビアは自分の服装を眺める。たしかに、休日なのに変だ。


「うーん、残念。ま、オリビアらしいね」


「どういう事よ」


ムッとして答えるも、すぐに笑顔に変えた──ボトルはもう少し、後でもいいか。


少しずつ肩の力を抜き始めた矢先、ハヤトは立ち上がり、クローゼットから何かを取り出した。


「オリビアの事だから、そんな格好で来ると思ってたよ。だから…」


「……?」


「僕が用意した服を着て貰おうと思って急いで昨日買ってきたんだ」


「え!?」


ハヤトが手に持っていたのは、女の子用の可愛らしいワンピースだった。淡いピンク色で裾にフリルがついている。


「い、嫌なんですけど…」


「はいこれ。今着替えて」


いきなりの洗礼に、顔がひきつる。


「……無理って言ったら?」


「確か介護用の着替え魔法があったはず」


ハヤトはにっこり笑って杖を取り出した。

どうやら自分に拒否権は無いらしい。オリビアは魔法をかけられるくらいならと、服をひったくる。


「着替えさせて貰います」


「やった。向こうは色々道具があって狭いから、ここで着替えてね」


「この、変態……せめて見ないで」


「分かったよ、シンデレラ」


何が紳士だ。心底楽しそうに後ろを向いたハヤトの背中を、思い切り睨みつける。


(やっぱり、一刻も早く取り返そう…)


彼が振り返らない事を確認して、制服を脱いだ。



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