第33話 口を滑らせて
「……また失敗だわ…」
オリビアは真っ黒になった調合鍋を見て、もう何度目かも分からないため息をついた。
「結構難しい課題だからね。仕方がないよ」
ハヤトが慰めるように言う。
「そういえば、どうしてハヤトは出来たのよ」
「僕は先生の手本見た時の1回で覚えたよ」
「………」
「あ、拗ねた」
「別に」
「可愛いな」
「はぁ……腹立つ…」
「もう1回やってみよう」
「……あなたは帰ってもいいのよ?私の課題なんか見ててもつまらないでしょう」
「何時間でも付き合うよ」
ハヤトは微笑んで答えた。
「………そう」
オリビアは照れを隠してわざとそっけなく答えて、鍋に向き直る。何度も同じ所でミスをするが、気付いていない。見かねたハヤトが、彼女の後ろから手を添えて、一緒に作業を始めた。
「や、やめてよ」
驚いて振り向く。
「いいから。ほら、今だよ。青い液体入れて」
「えっ、あっ、はい」
言われた通りにすると、今まで見た事のない状態に変化した。泡立ちが違う。成功の兆しが見えてきた。
「わ、凄い…」
「慌てず、しっかり混ぜて……」
ハヤトの手が、オリビアの手に重なる。
「こうすれば早く溶けるよ」
耳元で囁かれる低い声と吐息にドキッとしたオリビアは、慌てて言った。
「あっ、あとは自分でやるから」
「分かった」
ハヤトが手を離す。オリビアはホッとして、再び課題に取り組んだ。
***
「出来た……」
達成感を噛み締める彼女を、「お疲れ様」とハヤトは労った。2時間にも及ぶ作業になったが、アドバイスを受けてからは早かった。オリビアは、結局ハヤトに手伝って貰っていた事に気がつき、少し落ち込んだ。
「ハヤト…ありがとう。でも、最後まで自分の力でやりたかったわ」
「君は本当に真面目なんだな」
ハヤトがクスリと笑う。
「ハヤトに教えてもらわないと出来ないなんて、情けない。プライドが許さないのよ」
オリビアは拗ねたように口を尖らせた。
「そんなことないさ。何度もつまずくよりも、1度教わって次に行った方がうまくいく事もあるんだよ」
「…ええ…そうかもしれないわね」
そう言って、調合用の鍋からボトルへ液体を移していく。片付けを全て終え、残った紅茶を飲み干した。
「結構時間かかっちゃったけど、なんとかなって良かった。申し訳無いわね」
オリビアは、笑顔を見せた。ハヤトに教わるのはなんだか負けを認めた気がして、本当は嫌だった。それでも、最後まで付き合ってくれた事に感謝した。
「いいよ。じゃあ、帰ろうか」
「ええ。楽しかっ…………………」
ハッとして、口をつぐんだ。慌てて口に手を当てる。ハヤトが目を丸くした。
「………え、今なんて…?もう一回聞きたいんだけど…」
「なんでもない」
顔を赤くして否定したが、遅かったようだ。
「ねぇ、お願い。聞かせてくれないか?」
「絶対イヤ!」
必死に首を振るオリビアだが、ハヤトは諦めなかった。何度も聞いてくるハヤトに耐えきれなくなり、ついに折れてしまう。
「……もう!分かったわよ!楽しかったです!これで良い!?」
「ちゃんと言って。どうして?誰と何をして楽しかったの?」
「しつこいっ!だから、ハヤトと一緒に勉強したのが楽しかったのっ!もういいでしょ!!」
顔を真っ赤にしてヤケになって叫ぶ。
「うん。嬉しいよ。僕も楽しかった」
ハヤトは満足げな表情を浮かべた。
「はぁ……最悪だわ」
自分の発言を後悔し、おでこの汗を拭う。
「最高だな…あぁ、そうだ。まだ貰ってなかったね。早くちょうだい」
「え?何を?」
ハヤトはニヤリとして、自分の頬をトントンと指差した。
オリビアにその仕草の意味が分かってしまった。
「っ!!む、無理よ」
オリビアは急いで荷物をまとめて、ドアに向かって歩き出す。が、その前にハヤトが立ちはだかった。
「ダメだよ。ハヤト先生の授業料は高いんだよ」
「お礼は言ったわ…!それに、あなた他のクラスメイトには何でも教えてるじゃない!きょ、今日だって男子たちに宿題写させたり…!」
「野郎共のキスなんかいらないよ」
ゆっくり距離を縮められ、後ろに下がる。
「い、嫌よ。出来ない。楽しかったんだから、それでいいじゃない」
「してくれなきゃ帰さない」
「うぅ……」
「出来ないなら、僕からするよ。いいの?止まらなくなると思うけど」
背中に壁を感じ、それ以上下がれなくなった。ハヤトの手が伸びて、抱きとめられる。ハヤトは考える時間を与えてくれない。
顔を近付けられて焦ったオリビアは、観念した。
「待って!分かった!すっ、するから!!」
「やった」
ハヤトは嬉しそうに笑った。右を向いて、頬を差し出す。オリビアは意を決して、背伸びをする。わざとなのか、全くかがんだりしてくれないハヤトの肩に仕方なく手を添え、その頬にゆっくりと唇を寄せた。
(な、何で私がハヤトのほ、ほっぺに……!!)
ギュッと目を閉じ、一瞬触れ、すぐに離れる。
「はい!!これでいいでしょ!!」
オリビアはハヤトの胸を、下を見ながら押した。顔を見ることが出来ない。
「……ありがとう。凄く幸せ…意地っ張りなオリビアの課題に付き合ったかいがあったよ」
「う、うるさいっ」
「ねぇ、オリビア。明日の休み、デートしようよ」
「嫌。調子に乗らないで」
「じゃ僕の休日用の家来て」
「何それ?もっと嫌」
「僕のおかげで課題終わったのに?」
「それは関係ないでしょう」
「そんな事言うなら、これは預かるね」
ハヤトは杖を振った。オリビアのカバンから、先程苦労して作った課題提出用のボトルが出てきて、彼の手にふわりと渡る。
「あっ……ちょ、ちょっと返してよ!」
オリビアは必死に手を伸ばすが、ハヤトは高い所に持ち上げて、届かないようにする。
「返して欲しかったら、明日必ず来ること。分かったね」
「ふ、ふん。いいわ。もう1度作るから」
「へぇ、作れるの?僕無しで」
「………………うう…………」
オリビアは悔しそうに拳を作った。あれだけ難しい課題だ。ハヤト無しでは、同じくらいの出来で完成させる自信が無い。彼女は不機嫌そうな声で承諾した。
「分かったわ……行けば良いんでしょう」
「ありがとう。楽しみにしてる」
ハヤトがニッコリと笑って言う。
「……次から次へとよく思いつくわね」
「君といると楽しいよ」
「私は本当にうんざりしてるわ」
「あれ?さっき楽しかったって言ってたろう」
「……」
ハヤトには勝てない。オリビアはため息をついた。
「その代わり、今日はこれで帰るよ。ゆっくりおやすみ。さすがに3日連続はキツいだろうから」
「え?どういう事」
「ふふ……」
「ねぇ、嫌な予感しかしないんだけど」
「さぁ、どうだろうね」
「もういい。絶対行かない」
「そうか。じゃあオリビアは課題未提出でいいんだね。優等生のオリビアが、まさかそんな事をするとは」
ハヤトの意地悪な笑みに、オリビアはワナワナと震えた。
「もう、大っ嫌い!!」
「ああそう。その言葉、よく覚えとくよ。明日撤回させてあげる」
「えい!」
「おっと」
オリビアはふいをついてボトルをはじこうと魔法を繰り出したが、ひょいとかわされた。
「じゃあ、帰ろうか。はいこれ、住所」
ハヤトはオリビアに住所が書かれたメモを無理矢理持たせると、スタスタと図書館を出て、早足で歩き出した。
「ちょっと!待ちなさい!!」
「明日、教科書とかノートも持っておいでよ。一緒に勉強しよう。あ、君の大切な羽根ペンも忘れずにね」
オリビアは宿舎に着くまでボトルを取り返すべく奮闘したが、結局叶わなかった。
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