約束小道 -5

 茂みを抜けて一人の青年が顔をだした。黄色と、赤と、橙と、夕陽で染め抜いたような葉が、普段は土が剥き出しの地面を飾っている。ぼんやりと紅葉を見ながら歩いていた青年は、視界に映った大きな獣を見て瞬いた。


「こんな時間に来るとは、珍しい客だな」

「しゃ、しゃべった?」


狼が声を掛けると、青年はしばらくぽかんと口を開けていた。やがて興味深そうに狼の側に寄る。


「遊園地のアトラクションのわりには良く出来てるな。木も犬も本物みたいだ」


 青年がぺたぺたと狼に触れる。スピーカーはどこだ、とか、感触がめっちゃリアル、とか呟きながら撫で回す青年を、狼は前足でやんわりと遠ざける。


「アトラクションでもなければ作り物でもない」

「え? だって俺、遊園地の小道に入ってここに」

「その前は何処に居た?」


狼の質問に、そういえば、と青年が口を閉じる。どうして遊園地にいるのか思い出せない。


「そういえば、俺、さっきまで病院に居たはず?」


改めて思い返してみれば、遊園地の前の記憶は病室で途切れている。最後に聞いたのは、主治医の何事か指示を出す声と、ベッドに縋って泣く母の声だった。

 重たい体がふっと楽になった後、気がついたら見慣れた観覧車が目に入った。ジェットコースターのレールが走り、少し遠くにメリーゴーランドが見える。アトラクションには代金が掛かるが入園は無料のこの遊園地は、時々近くを通るためその度にはしゃぐ子供たちを見ていた。


「そっか、俺死んだんだな。もしかして幽霊ってやつ?」

「随分と物分りがいいな。そうだ、ここには心残りの有る人間が集まる」

「まあ、死んだ方がマシ、なんて思ったりもしたし」


苦く笑った青年は、しばし考えるように腕を組む。


「それにしても俺、心残りなんて無……いや、あるな」


青年は狼の言葉を否定しようとして、すぐに首を振る。小さく溜め息をついた。


「なあ、お前はなんでここにいるんだ?」

「私はここの管理人のようなものだ」


ふーんと呟いて、少しの間狼を見つめた後、青年が狼の隣に座った。


「幽霊になるほど後悔しているとは思わなかったけど。どうせ死んだんなら、ちょっと俺の話聞いてよ、わんこ」

「それは構わんが。私は犬ではない、狼だ」

「そーなの? 俺、狼初めて見た」


軽い口調で切り出した青年に狼が不機嫌に答える。悪い悪い、とさして反省をしていない謝罪を返して笑った青年に、怒る気の失せた狼は話の続きを促した。


「一年くらい前に彼女と別れたんだよね。そんとき酷い振り方しちゃって、ちょっと後悔してる」


話し出した青年に、狼は耳だけを傾ける。青年もはじめから本気で聞いてもらう気はないのか、狼が無反応でも気にした風はない。


「自分が病気だって知る前、毎日すっげーだるくてさ。そのとき彼女も面倒くさくなって大した理由もないまま一方的に別れたんだ」


青年は無意識なのか狼の長い毛を指先で遊ばせている。立てた膝に顔を埋めて話すその様は小さな子供のようだ。


「死ぬ前に謝りたかったな。ちゃんと好きだったのに」


落ち込む青年に、狼は慰めるようにその頭に前足を置いた。その感触に青年は気まずげに顔を上げる。


「それなら今から夢枕にでも立ってくればいい。どうしてもその娘にお前の言葉が伝わらないのなら、その時はその後悔ごと私がお前を消してやろう」

「消すってどういう?」

「足から齧って食べる」

「……マジで?」


座ったまま器用に後退さる青年に、狼は喉を鳴らして笑う。しかし狼に害意が無いのを感じ取ったのか青年が両手で服を払いながら立ち上がった。


「ん、わかった。いや、本当はよくわからんけど、とりあえず彼女んとこ行ってみる。聞いてくれてありがとな」


軽い笑みを残して去って行った青年を見送り、狼はいつものように眠りについた。




「ただいま」


 聞き慣れない言葉に狼は顔を上げた。先日の青年がまた紅葉の隙間から顔を出した。そのまま狼の隣に腰を下ろす。先日の軽い調子とは打って変わって続く沈黙に狼が目を細めた。


「帰ったら、俺のお通夜で、泣いている母さんと、その母さんを慰めてる彼女がいんの。俺、あんな酷い振り方したのに」


俯いている青年の顔は見えない。だがその声は鼻に掛かって掠れている。


「せめて謝ろうと思って何度も話し掛けたけどダメだった。家族が泣いているのも彼女が赤い目で慰めてるのも全部俺のせいだと思うと、なんか」


立てた膝に顔を埋めてしゃくりあげはじめた青年に、狼はその背を前足でぽんぽんと叩く。


「人間は子供も大人も変わらないな」

「何?」

「なんでもない。独り言だ」


顔を上げた青年の頬を狼がぺろりと舐める。青年は目を見開いて、そして子供のように大きな声で泣きだした。

 

「動物の、くせ、に、そん、な優しい、目する、な」


しばらく泣き止みそうにない。狼は青年の背を温めるように大きな体を伏せた。

 やがて泣き疲れて鼻を鳴らすだけになった青年は、そのまま上半身を倒して狼に凭れた。空を見てぽつりと呟く。


「俺、このままだと成仏できないんだよな。狼、ほんとに俺のこと消せるの?」

「お前の心残りを断ち切ることは可能だ」

「それなら、俺ちょっと昼寝するからその間にぱぱっとやっちゃってよ」

「私はお前の記憶と意識を消すんだぞ」


青年はしばし考えるように目を閉じて、その後ごろりと体を横に向けた。狼と視線が合う。


「死ぬ前に、ていうかもう死んでるんだけど、お前と話せて良かった。ありがとな」


じゃあ、と軽い挨拶を残してすぐに眠りについた青年の頬を、狼はもう一度舐める。起きる気配のない青年に狼は溜め息をついた。




「う……」


 小さく呻いて青年は目を開けた。起きぬけの定まらない焦点に瞬きをする。目に映る赤色に夕暮れだと思ったが、紅葉の木だと気付いた。背中の柔らかな感触と頬にあたる長い毛に意識が覚醒する。辺りを見回すと眠りにつく前と変わらぬ光景が広がっていた。


「よく寝てたな」

「え、なんで?」


昼寝から起きた子供に声を掛けるような狼に、青年が目を瞬く。もし死後の世界が存在するのなら次に見るのは地獄だと思っていたのに。


「お前のように正常な自我を保ってここへ来る人間は少ないんだ。大抵は妄執のみを残した狂人のような状態でここへ来る。私が食うのはそういう人間だ」

「そうなの? でも俺だって誰とも話せないまま幽霊してたって意味無いし」

「お前は稀有な存在だ。前例がないのだからまだ生きている人間と話せないと決まった訳ではないだろう?」

「それは、そうだけど」

「だったら気が済むまで謝ってこい。いつかは伝わるかもしれない」

「けど……」


俯いてしまった青年に狼はわざと大きな溜め息をつく。びくりと青年の肩が震えた。


「もし気が狂いそうになったらもう一度ここへ来い。その時は四の五の言わずにお前を食ってやる」

「そういえばさ、彼女と二人でよくこの遊園地に来たんだ。思い出の場所ってやつ」


突然変わった話の内容に、狼が首を捻る。ゆっくりと狼の背を撫ではじめた青年は、いくらか纏う空気を変えた。


「ここが思い入れのある場所なのも、狼がここにいるのも、俺が珍しい幽霊だってのも、きっと何か意味があるんだよな」


噛みしめるように頷き、そして青年は吹っ切れたように顔を上げた。


「みんなに、伝わるまで話しかけてくる。どうせ死んでるんだし、時間はたっぷりあるよな」

「私は当分ここにいる。お前より先に消えたりしないさ。安心して行って来い」

「ん、サンキュー」


 じゃあ行ってくるな、と立ち上がった青年は、ひとつ伸びをする。それから三歩離れて振り返った。


「俺、陽介っていうんだ。覚えといて」

「ああ、お前が二度と来ないように祈っている」

「それは、ちょっとさびしいかな」


笑って手を振る青年に、狼は尻尾を一振りした。足取り軽く歩き出した青年を見送って、狼は空を見上げる。いつの間にか傾いた陽の光が赤い木の葉を黄金に染めている。


「待たなくていいのもたまには良いな」


狼は小さく呟いて、まだ昼間の暖かさの残る空気を吸い込んだ。

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