宮ノ守奇譚 半宵の月 -4

 ここ数日の怪異話を土産に秋良あきよしは友人の屋敷を訪ねた。しばらく退治屋の仕事で街を離れていたので、鷹晴たかはるに会うのは久しぶりだ。


「よう、鷹晴」


貴族の鷹晴と違い、秋良には仕事が多い。時には街の外に派遣される事もある。お前は使い捨てだ、と言われているようで腹立たしいが文句を言ったところで飯は食えない。ならば粛々と仕事をこなすのみだ。


「おいってば!」


鷹晴は秋良のことなど目に入っていないように宙を見つめている。もう一度呼びかけると、ようやく鷹晴は顔を向けた。


「ああ、秋良。久しぶり」

「久しぶり、っていうかぼんやりしすぎだよ」

「え?」

「呼んでも全然気付かなかった」

「ああ、そうかな? それはごめん」


鷹晴はいつになく歯切れが悪い。秋良は対面に座って、今回の遠出の原因となった怪異の話を始めたものの、いつもは煩いくらいあれやこれや訊いてくる鷹晴の反応がやけに薄い。一応相槌を打ってはいるが、心ここにあらずといった様子だ。もはや聞いているのかさえ危うい。


「あ、そういえばさ、都の貴族に行方不明になった奴がいたらしくてちょっと話題になってたぞ」

「……っ、それ、詳しく教えて秋良!」

「えっ? あ、ああ。俺も詳しくは知らないけど」


退治屋の仲間との数ある雑談の中で小耳に挟んだ噂話に、鷹晴が反応した。ちゃんと話は聞いていたらしい。秋良にはさして興味のある話題では無かったため、記憶は薄い。


「たしか、少し前公卿の側仕えが一人、行方不明になったらしい。そいつはその公卿のお気に入りだとかで、騒ぎになったけどまだ見つからないってさ」

「その公卿って、誰だかわかる?」

「え、いや、どうせ誰だか解んないから訊かなかった」


秋良にとっては貴族の世界など別の国の話だ。名など知ったところで意味は無いが、やはり鷹晴には貴族同士の繋がりでもあるのかもしれない。


「行方不明以外に何か情報は?」

「いや、俺はそれしか聞いてないけど。気になるなら調べてみれば。この話、本部の則之のりゆきに聞いたぞ」


則之は退治屋の同僚の名だ。なかなかに耳が早く、このあたりで起きた事ならば彼に訊けば大抵はわかる。


「そうだね、ありがとう」


答えるなり、鷹晴はまた何事か考え込んでしまった。やはり秋良の事など目に入らなさそうな鷹晴に溜め息をつく。今日はもう何を話しても無駄らしい。


「俺、帰るわ」

「え、もう?」

「ああ、じゃーな」


部屋を出た秋良に、後ろから「ごめん」と小さな声が追いかけてきた。一度振りかえり、気にするなと言うように手を振る。すまなそうに鷹晴が眉を寄せたのが見えた。




 夜の闇に、麦色の髪が不思議と浮き上がって見えた。隣を歩いていた秋良がその名を呼ぶ。彼は秋良に気付き笑みを浮かべた。薄青の狩衣は以前鷹晴が渡したものだ。秋良が一足先に駆け寄る。瞬間、彼の白く細い手が閃いた。一拍遅れて、ことさらゆっくりと倒れた秋良の首からまるで彼岸の花のような赤が咲く。立ち尽くす鷹晴に、鬼が近付いてくる。胸に鈍い衝撃がはしり、同時に鬼の狩衣に花弁のような赤が点々と広がった。その手にはくり抜かれた心の臓が握られている。噴き出す鮮血の間から鬼の白い顔が見える。初めて会った時の皮肉で美しい笑みが彩っていた。鬼が心の臓に口付ける。同じ色の舌が味わうようにちろりと動いた。

 

 悲鳴を上げるより先に、目が覚めた。ひきつれた喉からひゅうと細い音が鳴る。まるで全力で走った後のような拍動が全身に響く。心臓が胸にあることに少しだけ安堵し、寝床から這い出した。到底寝直す事など出来ない。真夏の気温の所為だけでは無い汗を拭い、庭に面する濡れ縁に出た。

 温く弱い風だが大量の汗をかいた体には多少の涼を呼ぶ。煩いばかりの蝉の声が今はここが現実だと実感させた。空には真珠のような満月が浮かんでいる。常ならば風流だと称賛するところだが、とてもそんな気分にはなれない。

 どこかここではない場所で、今まさに薄墨は人を食らっているのだろうか。血のような赤い舌を思い出して背筋が粟立つ。我ながらなんて酷い夢だ。

 先日の行方不明の公卿の側仕えについて調べて解ったのは、公卿の名前だけだった。あれから日々は過ぎたがそれきり音沙汰は無い。噂では捜索は行き詰まり物盗りが原因の行方不明ということで話が纏ったようだ。真偽はともかく、少なくとも退治屋に依頼は来ていない。それは事実だ。

 深く、息を吐く。早鐘を打っていた心臓はいくらか収まったが、やはり眠れる気はしない。そのまま夜明けを迎える覚悟を決めて、鷹晴はまた空を見上げた。いつの間にか薄い雲が掛かり、月はぼんやりと滲んでいた。




 食事に数口手を付けて箸を止めた。自分の為に用意された食事だがどうしても食べる気がしない。膳を下げるように言い置いて、鷹晴は庭に出た。空は厚い雲に覆われている。先ほどまで快晴の空が強い日差しを注いでいたが、急に薄暗くなった。

 湿った風が雨が来るのを教えている。悪夢を見たあの日から既に幾晩を過ごしたというのに、今だ思い出す度体が震える。寝付きも悪く、眠る度に恐ろしい夢を見た。

 ぽつぽつと大きな水滴が地面を濡らした。重い体を引きずって室内へと戻る。日が沈む前だというのに、ほとんど夜と変わらない。油を入れた皿の芯に火を灯すと、小さな炎が揺らめいた。雨が本降りになるまでにそう時間は掛らなかった。


「悪いけど雨宿りさせてもらえるかな?」


 濡れ縁に影が落ちた。慌てているのかいつもより着地が乱雑だ。バタバタと珍しく足音をさせて入ってきた薄墨は頭と肩を雨に濡らしている。


「鷹晴?」


黙したままの鷹晴に薄墨が首を捻る。微かな空気の流れに揺れる小さな炎の元、薄墨から伸ばされた手に、反射的に身が竦んだ。


「どうかした?」


手を止めて、薄墨が訊く。弱い明かりの中、薄墨が怪訝そうに眉を寄せているのが見えた。


「いえ、なんでもありません。それより濡れたままだと体に毒です。着替え、持ってきますね」

「いいよ、そんなに濡れていないし。寒くも無い」


首を振る薄墨に、いけませんと声を掛けて立ち上がる。手燭に火を移し部屋を出た。

 動揺を、してはいけない。あの血塗れで笑う姿は己の夢が見せた幻だ。煩い心臓を押さえつけ深呼吸を繰り返す。心音がいくらか収まったのを確認して、鷹晴は着替えを手に薄墨の元へと戻った。

 薄墨が顔を上げた。その顔にはどこか不安そうな色が見て取れる。もしかしたら先ほどの自分の可笑しな態度に気が付いたのかもしれない。


「着替え、持ってきました」


手渡すと薄墨は何も言わずに着替え始めた。濡れた服を置く場所に迷っている様子に手を差し出す。受け取った上着に声が漏れた。


「これ、私の……」

「あ、そう。この前貰った狩衣」


 室内が暗く気付かなかったが、よくよく見れば青に見えた狩衣は濡れて色が濃くなった薄青だ。夢で見た血に汚れた染みなどどこにもない。それどころか薄墨の元に渡ってから満月を二度も過ぎたのに、服が変わっていない。偶然、かもしれない。しかし彼が今までに同じ服を着ているのを目にした事は一度も無い。これの意味するところは。


「洗濯したのが初めてで、少しよれてしまったんだ。ごめんな」

「何故洗ったのですか?」

「だって洗わないと汚いだろう?」

「そうではなく。いつものように服を替えれば良かったのでは?」

「だって友人に貰ったものは大切にするものだろう?」


聞いた言葉に息が詰まる。薄墨と鷹晴の関係を彼は「友人」と言った。それはとても心温まる表現だ。そう、自分も彼が何者であっても確かに友情を感じている。けれど同時に怖れてもいる。後ろめたい罪悪感が体中に巣を張っていた。




 雨は止む気配を見せない。濡れるから泊ってください、と言ってきた鷹晴に頷いたものの、当の鷹晴は先ほどから黙りこんでいる。暗い所為だけではない重苦しい空気に薄墨が身動ぐと鷹晴が顔を上げた。


「貴方のご両親はどういう方だったのですか?」

「なんだい、やぶからぼうに」

「いえ、少し気になったので。話したくなければ無理にとはいいませんが」


遠慮がちに口を開いた鷹晴には興味本位で揶揄するような色は見えない。薄墨は濡れて張り付いた前髪を掻き上げた。


「この赤味掛かった黄色い目と薄茶の髪に驚いて、産まれてすぐに山に捨てられた。だからこれと言って親について話す事はないのだけれど……」


薄墨は部屋の奥を見つめる。小さな炎では照らしきれず暗闇が果てなく続いているようだ。


「今でも覚えているよ。私を見た時の母親の驚いた顔と、父親の化け物を見る眼をね」

「貴方、産まれたときの事を覚えているのですか?」

「ああ。母の腹に居た時の事もうっすら覚えている」


鷹晴の表情が動く。その瞳にあの日の父のような侮蔑の色は無い。その事に内心安堵する。


「薄墨という名は捨てる時に母がつけたんだ。山の中なら野犬にでも食われて死ぬと思ったんだろう。どうせ捨てるのならば名など付けずに殺しておけば、こうして人を害する鬼になどならなかっただろうに」


 何の因果か自分は生き延びてしまった。一度しか会わなかった父を、泣き顔しか見せなかった母を恨んでいる訳ではない。待望の我が子が化け物だった父の怒りも、長い間重い腹を抱え苦しんで産んだ子が化け物だった母の悲しみも理解できる。まして自分は、大きな腹を撫でながら、柔らかく語る母の声をその中で聞いていたのだ。

 ただ、捨てるのであれば名などつけないで欲しかった。半端な思い出が傷など無いはずの胸を軋ませる。握った手のひらに力が入り爪が食い込む。その手に鷹晴の視線を感じて顔を伏せた。


「亡くなった方の書いた文章には魂が宿り、その手紙を漉き直した薄墨紙に写経すると故人の魂が救われる、と言われています。お母様が貴方に『薄墨』の名をつけたのは私には何か意味があるように思えますよ」


鷹晴が静かに語る声は雨の音と重なって耳に届く。叩きつけるようだった雨は少し弱くなった。どうしてか顔が上げられない。


「もし、そういう意図があったとして。子供につけるには趣味の良い名ではないな」


言葉が上手く形にならず、誤魔化すように軽口を叩く。らしくもなく動揺している自分に内心で舌を打つ。けれど単純にもあの母の涙が自分の為にあったのだと、そう思うだけでこんなにも温かい。


「望まぬ化け物の私でも、母にとって悼む価値があったのならば……嬉しいね」

「そうですね」


ふふ、と穏やかに鷹晴が笑った。今日初めての笑みだ。母の真実がどうであれ、今こうして隣の友人の穏やかな顔を引きだした。それだけでこの名をつけた母に感謝してもいい。

 しかしそれも束の間、すぐに鷹晴の笑みはなりを潜めた。暗い所為だけではない緊迫した空気に何事か口を開こうとしたところで、先を越された。


「貴方は自分を化け物だと言うけれど、私も貴方と同じです」

「え?」

「皆の手前口にはしませんが、普通の人間には映らない怪異を見る目、妖を退治する特殊な力、そんなものを持っている私はむしろ鬼に近いのかもしれません。人の腹から産まれ鬼であった貴方と、人の腹から産まれこの力を持った私と、どれほどの違いがあるといいましょうか?」

「でも君のは人を助ける力だろう? ただ人に害を為すだけの私とは違う」

「そんなものは些細な違いです。今、貴方と私はこうして話しているではありませんか」

「何が言いたいんだい、君?」

「貴方は私を友だと言って下さいました。私もそうありたいと思います。ですから私は見ず知らずの貴族より貴方に生きて、」


薄墨は思いつめた様子の鷹晴の口を右手で塞ぐ。鷹晴がくぐもった声を上げた。


「君、やっぱり今日はちょっと可笑しいよ。退治屋である君がそれ以上を口にしてはいけない」


目を覗き込むと、鷹晴はすぐに視線を逸らした。口を押さえていた薄墨の手を両手で退けて、そうですね、と呟く。


「雨の所為で少し気鬱になっているようです。すみません、忘れてください」


先ほどよりは声に張りがあるが、明らかに影が拭いきれていない。揺らぐ小さな炎の元でも分かる顔色の悪さに薄墨は眉を寄せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る