宮ノ守奇譚 半宵の月 -3

 腹を立てて鷹晴たかはるの屋敷を飛び出してから数日が過ぎた。頭が冷えればさすがにあの態度は大人気なかったと秋良あきよしも思う。本当はもっと早くに訪れたかったが、なんだかんだと用をこなしていて遅くなってしまった。ゆかりに案内され、鷹晴の部屋の御簾をくぐる。


「よう、鷹は……げっ」


家主に挨拶をするよりも先に、視界に入った薄茶色に顔を歪めた。その声に振りむいた白い顔は秋良を見て笑みを浮かべた。


「なんでまたいるんだよ?」


先日の喧嘩腰を反省したばかりだ。今回は努めて冷静に問えば鬼は人懐っこく笑った。今までの人を食ったような笑みではなく、普通に笑っている、ように見える。


「げっとは、ご挨拶だな。ほら、君も食べなよ」

「薄墨が持ってきてくれたんだよ」


鬼は彼と鷹晴との間に置かれた物を指差す。鷹晴は秋良に隣に座るよう促した。

 床には焼いた炭を入れた火桶が置かれていて温かさを伝えている。その隣の包の中に椿餅が並んでいた。餅粉を甘葛あまづらの汁で練って椿の葉で包んだこの菓子は貴族が食べる高級品だ。以前、一度だけ鷹晴のつてで食べたが、こんなにも美味いものがこの世にあるのか、と感動したのを覚えている。


「どうやって手に入れたんだよ、これ」

「貰ったんだよ」

「こんな高級品、そう簡単に貰えるか。盗んだのか?」


衣服を盗んでも平然としている鬼の事だ、その可能性はおおいにある。よく見れば、今鬼が身につけている衣装も以前とは違う。これも「その辺で調達してきた」のだろう。


「違うよ、これは本当に貰ったんだ。世の中には私のような者に優しくしてくれる物好きが君たちの他にもいるんだよ」

「俺は別に優しくしてない。というかお前にくれたのって……女か」

「さあ、どうだろうね?」


とぼける鬼を睨みつけるも効果は無い。悔しいが、性格はともかく目の前の鬼は顔だけは美形だ。多少毛色が違くとも、慢性的に時間を持て余している貴族には格好の娯楽だろう。ましてそこらの女よりも美しいとなれば男も落ちるかもしれない。今時の上流階級では男色も珍しくない。


「食べないの?」


訊かれて、秋良は椿餅に目を戻す。そうそう口にできるものではない。見れば、鷹晴もすでに食べている。鷹晴と、鬼と、順番に視線を巡らせてもう一度餅を見る。


「……食べ物に罪は無い」


誘惑に負けて鷹晴の隣に腰を下ろす。たくさんある餅の中から一つ手に取った。口内に広がる甘みに頬が緩む。あっという間に平らげてしまった。目の前の器にはまだまだ並んでいる。


「なぁ、これもっと食べていいか?」


鬼が頷くのを確認して秋良はもう一つ餅を手に取った。口に入れる前にふと思い立って尋ねる。


「なあ、そういえば『薄墨』ってお前のことか?」

「……そうだけど」


薄墨が固い声で頷く。椿餅に夢中の秋良はそれには気付かず上機嫌に言った。


「変わった名前だな。けど、『うすずみ』って言葉の響きは綺麗だよな。お前にぴったり」


あからさまに鬼が驚いた顔をしている。その反応に何か可笑しなことを言っただろうかと思うが、それよりも隣の人間が気になった。


「鷹晴はなんで笑ってんだよ」


先ほどから鷹晴が声を出して笑うのを堪えている。


「だって秋良、さっきまであんなに敵対心丸出しだったのに薄墨の事綺麗って」

「べ、別にこいつが綺麗とは言ってない。名前が綺麗って言っただけだ!」


言われてみれば確かに、口に広がる甘さと比例して、鬼に対する警戒心が緩くなった自覚はある。


「まるで口説き文句だよ」

「だから違うって!」

「ふぅん、どうやら気に入ってもらえたようだね」


どこか嬉しそうな鬼に顔が熱くなるのを感じて、秋良は慌てて渋い顔を作って睨みつけた。




 薄墨は時折鷹晴の元に訪れるようになった。大抵は手土産に菓子を持ってくる。たった今、彼が持ってきたのは唐菓子だ。小麦粉や米粉を練って揚げた菓子で唐から伝わってきたものだ。これもまたそう簡単に口にできる物ではない。どこの貴族か知らないが相当薄墨に入れ上げている。


「梅枝ですね」

「ばいし?」


鷹晴の言葉を、薄墨が不思議そうに繰り返す。


「米の粉を練って茹でてから梅の枝の形に整えて揚げたものです」


ふぅん、と呟いて薄墨が手に取った菓子を見る。小袿こうちぎと呼ばれる艶やかな女物の衣装を羽織る彼は、一見すると女性のようだ。薄茶の髪に赤み掛った琥珀の瞳は他に無い色であるのに不思議と違和感は無かった。


「鷹晴、口開けて」

「え?」


疑問に空いた口の隙間に菓子を差し込まれる。思わず歯を立ててしまい、折れた菓子がぽとりと膝に落ちた。


「あー落ちた。ごめん、驚いた?」


軽い調子で謝る薄墨に、首を捻る。


「貴方、お菓子が嫌いなんですか?」


思い返せば持参した菓子を薄墨が口にしているのを見たことがない。何度か共に食べるよう勧めたが断られていた。単に自分が持ってきた物だから手を付けないのかと思ったが、さすがに一度手にとったものを人に食べさせるというのは少々度が過ぎている。


「人の食べ物は味がしない」


聞いた言葉を、理解するまで数秒かかった。ようやく鷹晴は彼が「毛色の違う人間」では無いことを思い出した。考えてみれば、見る度薄墨の服が変わっているのも彼が人間では無いからに他ならない。

 以前、薄墨は汚れたから服を変えると言っていた。彼は明確に口にしなかったが、それはおそらく返り血の為だ。薄墨がこの街で『食事』をしていた時には、死体の無い血溜まりが頻繁に見つかっていた。今も、どこか鷹晴の知らない場所で同じように血溜まりができているに違いない。


「どうした、どこか痛いのか?」

「……え?」

「顔色が悪いぞ?」

「ああ、いえ、そんなこと無いですよ」


心配気に眉を寄せる薄墨に、慌てて否定する。誤魔化すように膝に落ちた菓子を拾って口に入れた。飲み込んで笑みを作る。


「この唐菓子、秋良にもお裾分けしていいですか?」

「構わないよ」


上手く笑えたのか、様子の変わらない薄墨に安堵する。美味しいです、とは言ったものの菓子の味など皆目解らなかった。




 風の無い、よく晴れた日だ。御簾を巻き上げた向こうで名も知らぬ小さな鳥が戯れるように地面をつついている。鷹晴は何をするでもなくぼんやりと庭を眺めていた。薄暗い室内に、昼の光は少々目に染みる。ひとつ、長い息をついた。


「なに溜め息ついてるんだい?」


 目の前が陰り、濡れ縁に人が現れる。逆光で詳細は見てとれないがその声は既に聞き慣れたものだ。屋根から音も無く着地した薄墨に、庭の小鳥たちは気付いた様子もなく遊んでいる。


「いらっしゃい、薄墨」


こうして出迎えるのももう両手で足りないくらいになった。初めて出会ったときは初秋であったのに、今はひと巡りして夏に差し掛かろうとしている。


「お邪魔します」


律儀に挨拶をして薄墨が近付いてきた。室内に入り、ようやくその姿が明確に見える。同時に鷹晴は息を飲んだ。薄墨が鷹晴の態度に気付き首を捻る。その拍子に薄茶の髪が肩に落ちて揺れた。衣の深い紫と色素の薄い彼の対比が美しい。しかしそんな余韻に浸る間もなく鷹晴は立ち上がった。

 開け放していた御簾を降ろし、外から見えないように衝立ついたてを置く。一層薄暗くなった室内と鷹晴の慌てた様子に薄墨はしばし呆けていたが、鷹晴が落ち着いたのを見計らって言った。


「急にどうしたんだい?」


鷹晴は問いには答えず、少し待つように言って部屋を出た。薄墨は仕方なくその場に座り込む。鷹晴は手に布を抱えてすぐに戻ってきた。


「これを差し上げますから、すぐに着替えてください」

「なんなんだい、やぶからぼうに」


薄墨が差し出された布を広げると薄い青色の狩衣だった。狩衣は貴族の日常着だ。唐突に着替えろと言われる理由が解らず鷹晴を見上げる。


「とにかく着替えて下さい。訳はあとで話しますから」


いつになく強い口調の鷹晴に、薄墨は大人しく従うことにして上着を脱ぐ。鷹晴はその脱いだ深紫の衣を持ってまたどこかへ行ってしまった。困惑した薄墨をよそに、しばらくして鷹晴が戻ってきた。


「お待たせしました」

「なんだったんだ、一体?」


硬い表情の鷹晴に薄墨が眉を寄せる。薄暗い室内のせいか鷹晴の顔色は冴えない。


「貴方が、今着てきた色は禁色きんじきです」

「禁色?」

「衣服に紫を使うのを許されるのは公卿のみ。つまり数多居る貴族の中で、国政を担う最高幹部のみです。そんな色の服を着ている人間などこのあたりには居ません」

「ふぅん、それは確かに見つかったら面倒だな」

「もっと深刻ですよ。もし貴方がその服の持ち主の公卿か、もしくはその側近を食……いえ、居なくなったのが解れば確実に大騒ぎになります。情報はこの街にも入るでしょう。まして、居なくなった原因が人間の仕業ではないとわかれば退治屋に依頼が来ます。都にも優秀な退治屋は居ますが、この街には前例がありますからね」

「つまり私の仕業だとわかったら私の退治を君たちが依頼されるかもしれないということか?」


鷹晴が頷く。


「心配しなくても私は君に退治されるほど弱くはないよ」

「そうだとしても私は貴方と敵対したくは無いのです。ですから、どうか私たちに貴方を退治させないで下さい」


居住まいを正し鷹晴が深く礼をする。

 祈るように、縋るように紡がれたそれに、言葉を返せないまま薄墨は鷹晴を見た。しばらくして顔を上げた鷹晴は薄暗い部屋でもはっきりと分かるほどに青白かった。

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