宮ノ守奇譚 半宵の月 -2

 女の鬼と会った日を最後に、街には大量の血痕が残されることはなくなった。あれからしばらく、退治屋としてはたいした仕事は無い。今日は穏やかな日差しが降り注いでいて、ここ最近の身を切るような寒さを忘れて、秋良あきよしは機嫌良く歩いていた。

 鷹晴たかはるの家の前、顔見知りの門番に声を掛ける。貴族の鷹晴の家は広い。門番に通してもらい、これまたすっかり顔見知りの、ゆかり、という名の女の使用人に鷹晴の部屋へと通された。ゆかりは噂好きな女たちが多い中で口数が少なく余計な事は言わない。その性質を表すようにすっきりした目元の美人だ。   

 本来なら秋良は鷹晴の屋敷に軽々しく入れる身分ではない。しかし家主の鷹晴がこだわらぬ為に咎められることは無かった。通常なら主人と面通りを許されない下働きも当たり前に鷹晴の顔を知っていた。鷹晴がふらふらと敷地内を歩き回るため、遭遇することが多いのだ。


「鷹晴~、借りてた書物返しに来た」


 文机に向かっていた鷹晴は筆を置いて顔を上げた。


「最近は、静かだね」


秋良から受け取った書物を片づけながら鷹晴が言う。怪異の話もこれといって聞かず、人の世でも大きな事件は起きていない。鷹晴と違い芸事の才能も無ければ興味も無い秋良でさえ、詩歌にでも興じてしまおうかと思うくらい落ち着いたものだ。


「人食い鬼もあれきりいなくなったみたいだし、平和でいいよな」


秋良がうーんと伸びをする。


「呼んだ?」


その時どこかで聞いた声がした。明らかに鷹晴のものではない。嫌な予感に秋良が振り返ると、たった今噂をした鬼が御簾みすを上げて顔を出した。

 赤味を帯びた薄い琥珀の瞳が笑みを作る。月明かりの下遭遇した鬼は、昼日中に見るとさらに整った顔をしている。髪の色は収穫前の麦のような明るい薄茶だ。一瞬呆けたが、我に返った秋良が吠えた。


「お前、何でここにいる!?」

「何って……別に用はない。しいて言えば暇だったから、かな」


こともなげに言った鬼に秋良の額に青筋が浮かぶ。


「まともに答える気がないのなら質問を変えてやる。なんでこの屋敷を知ってるんだ?」

「酷いな。私は至って真面目に答えたのに。たまたま君を見かけたから後をつけてきたんだ」

「……鷹晴。こいつ殴っていいか?」


笑顔を崩さない鬼に、どうにか最初の怒りをやり過ごした秋良が拳を握る。鷹晴は宥めるように秋良の背をぽんぽんと叩いた。


「まあ、いいじゃないか。悪さをしに来たわけではないみたいだし。それに秋良もこういうのが嫌なら簡単に後をつけられたこと反省しないといけないよ」


もっともな意見に秋良の視線が泳ぐ。少し怒りが収まった秋良を見て、鷹晴が穏やかに言った。


「おそらく私も後を追われても気付かなかっただろうけれどね。人のことは言えないな」


秋良を励ましてから鷹晴が鬼に向き直る。


「それで、貴方は本当は何の御用ですか?」

「だから、暇つぶし、っていうか遊びに」

「本当にそれだけ?」

「そう」


退治屋は鬼にとっては天敵のはずだ。こうもあっさり言われるとさすがに拍子抜けする。馬鹿にされていると思ったのか秋良の機嫌がまた急降下した。


「お前、女のくせになんでそんな格好してる?」


今、鬼が身につけているのは水干だ。これは男性の衣装で、芸人など一部の例外を除いて女性が着るものではない。


「なんでって、男だからだよ。そもそも何故女だと思ってるんだい?」


不思議そうに答える鬼に、秋良の眉間の皺が深くなる。線の細い顔は男女どちらとも判別し難いが、よくよく見れば女性特有の柔らかさは薄く、女性にしては低いと思っていた声は確かに男性のほうがしっくりくる。


「そりゃ、女の服着てたからだろ。なんでこの前はあんな格好してた?」

「ああ、そうだったっけ? 服を汚した時は適当にその辺から調達してるんだ。その時近場にあったのがたまたま女物だったんだろう」


言われてみれば、鬼が今着ている衣服も高級な布を使っている。水干は庶民の服装だが、おそらく貴族の男がうちうちに誂えたのだろう。少なくとも秋良のような身分の人間に簡単に手に入るものではない。


「それは盗んできたんじゃないのか?」

「平たく言えばそうなるね」

「お前が男だって知ってりゃ手加減なんてしなかったのに」


不機嫌が最高潮といった体で鬼を睨みつけた秋良に、鷹晴が苦笑した。


「あの態度で、手加減してたの、秋良?」

「お前はっ、すぐ鬼の味方する!」


秋良は鷹晴を睨み付けてそのまま御簾を叩き落とさんばかりに開けて出て行ってしまった。地響きのような足音が遠ざかるのを聞きながら、しまったなぁという風に鷹晴は指先で頬を掻く。


「あぁ、行っちゃった」

「私のせいか、あれ」


秋良が出て行った方を指さして鬼が呟く。


「秋良はすぐ怒るけどすぐ忘れるから大丈夫ですよ。それに半分は私のせいですしね。ちょっとからかいすぎました」

「そうか。まあとりあえず、悪かった。でもあんなに気が短くてよく退治屋が務まるな」

「秋良は退治屋としては私より余程優秀なんですよ。ただ、気分に左右されるところがあるから本人は自分が不出来だと思っているみたいですけれど」

「ふぅん、まぁ単純で解りやすくて良いね」

「ですからあまりからかわないであげてくださいね」


さっきは私もやりすぎちゃいましたけど、と鷹晴がバツが悪そうに笑う。

 特段追い出す理由も無いため、鷹晴が鬼に座るように促すと彼は目を丸くした。


「自分から来ておいてなんだけど、追い返されると思っていた。ちょっと変だよね、君」

「変とは心外ですね」

「いや、悪い。一応褒め言葉のつもりだよ」


まったく敵意を感じさせない鬼に、鷹晴は少し緊張を解いた。見たところ武器の類は持っていない。屋敷には対妖用のまじないも施してある。いざとなれば対応は出来るはずだ。


「貴方、お名前は?」


本当は秋良の為に用意させた白湯をすすめながら尋ねる。茶碗を受け取って鬼は意味ありげに鷹晴を見た。口を付けようとしない鬼に少しの間考えて思い当たった。


「大丈夫、何も入ってやしませんよ。なんなら私のものと交換しますか?」


鷹晴が自分の茶碗を差し出すと、鬼は首を振った。


「いや、いい。悪かったね」

「いえ、お気になさらず」


鬼は白湯で口を湿らせて、ひとつ息をついた。そうして脇に茶碗を置く。


薄墨うすずみだ」

「え?」

「名前」


呆けた鷹晴に鬼が続ける。少々面食らったが名前を尋ねたことを思い出す。


「失礼ですが変わったお名前ですね」


不要になったふみを水に溶いて漉き直すと墨の色が残り薄い黒色の和紙となる。その再生紙を『薄墨紙』と呼び、名前につけるとはあまり聞かない。


「親が勝手につけた名だ」

「親御さんがいらっしゃるので?」

「君は、私が木の股から産まれたとでも?」


どこか苛ついた様子の鬼に、鷹晴は失言を悟って頭を下げる。


「いえ、深い意味は無く。今まであまり人では無い方と語らったことがないので少し不思議で。申し訳ありませんでした」


その鷹晴に、薄墨は驚いたように瞬いた。そのあと、声を立てて笑い出す。


「そんなに可笑しなことを言いました?」

「いやいや、可笑しく無いよ。でも君は本当に面白いな」


きょとんとしている鷹晴にいまだ笑いの端が残る薄墨が言った。


「信じて貰えないかもしれないが、私の親は君たちと同じ普通の人間だよ」

「それでは、もしかして貴方は大江山の酒呑童子やその仲間と同じ類の鬼なのでしょうか? 彼らも元は人間だったと聞きます」

「違うと思う。彼らは産まれたときは人間だろう? 私は産まれたときから鬼だった」

「そうなのですか? やはり鬼と言っても色々な方がいるのですね」

「むしろ見目麗しかったばかりに女たちの恨みに巻かれて鬼に身を落とす事になった彼らに同情するな」


 かの有名な大鬼、酒呑童子は彼に恋焦がれて死んだ娘たちからの恋文を焼いた煙に巻かれて鬼になったと聞く。鬼になり京を荒らす彼とその仲間を成敗したのが源頼光とその四天王だ。そもそも女たちの手前勝手な恨みで鬼に身を落とさなければ彼は退治されることなど無かった。


「人間の都合で鬼にして人間の都合で退治する、人とはなんて勝手な生き物だろうな?」


薄墨から皮肉交じりに送られた視線に返す言葉が無く黙る。


「本当ですね。申し訳ありません」


すまなそうな鷹晴に、薄墨は目を丸くしてまた笑い出した。


「君のせいではないのだから謝ることはないだろう。少し苛めすぎたね」


悪かった、と手をひらひらと振る薄墨に、鷹晴が少し笑う。薄墨がまじまじと鷹晴を見た。


「君と話していると調子が狂うね。秋良だけでなく、君もそんな風で良く退治屋が務まるな」

「自分でも、そう思いますよ」


感心したように言った薄墨に、鷹晴が僅かに目を伏せた。

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