四時話集
藤名
宮ノ守奇譚 半宵の月 -1
――――もっと早くに気付くべきだった、とうに狂っていたということに
月光で全てが見通せそうな初秋の夜だった。ここ数年、疫病も飢饉もなくその平穏な時勢を凝縮したかのような静けさだ。そんな中、上役から人食い鬼の退治という、大役、という建前の、とんでもない外れ
京の都では鬼退治は有能な武士が行うらしいが、悲しいかな此処はただの地方都市。たまたま
世の中に寺や神社が山と有れど、妖を退治できるほどの力を持つ者を抱えているのは一握り。そもそも大半の人間には妖の類はその目に映らない。見えないものを退治するなど出来るはずもなく、怪異に手を焼いた貴族が寺や神社に頼み、結局は収まらなかった怪異が廻り廻って辿り着くのがこの退治屋という組織だ。
正直なところ秋良はこの仕事が好きではない。わざわざ妖に立ち向かって怖い思いをするのも、痛い思いをするのも御免こうむる。しかしこの特別な目とそれなりに修行して身につけた怪異を収める力のお陰で生活ができていると思えば続ける他なかった。この仕事がなければ日々の食事にも困るような身であることを考えれば、十分成り上がったともいえる。
秋良は隣を歩く人物に視線を向けた。秋良より背が高いためやや見上げる形になる。月の蒼い光に照らされた整った横顔に今は特別な感情は浮かんでいない。退治屋として秋良よりよほど優秀なこの男は、かの有名な陰陽師、安倍氏に連なる血筋らしいが、その話を振るとやんわりと話を逸らされる。
この組織に属している人間は皆、何かしら人に言えない出自や経歴を持っている。とはいえ良いのか悪いのか秋良自身は口にできない秘密など見当たらないが。秋良の視線に気がついたのか隣の友人、
「何?」
「こんなに静かなのに、本当に人食い鬼なんて出るのかね?」
巷を騒がせているのは、人を丸ごと食べる鬼だという。
一年ほど前から大量の血痕と血濡れの衣服が残されるという怪異が続いていた。服の持ち主は行方不明。はじめは夜盗に襲われたと思われていたそれは、しばらく前に目撃された証言によって一変した。血溜まりの中、恐ろしい鬼が人を頭から食らっていたという。怪異の仕業と知り人々は戦々恐々、そうして退治屋のところに依頼が回ってきた。
秋良と鷹晴がこうして深夜に街を見回るようになって数度、今のところ特に変わった様子はない。
「怪異は、月が満ちる周期と重なっている。今日みたいに、満月の時は鬼が出やすいと思うけどね。でもさすがに人食い鬼の気持ちはわからないな」
のんびりと鷹晴が言う。これから鬼退治をしようという緊張感はない。気の短い秋良と違って、もともとの性格が物静かで穏やかな彼はあまり感情の揺れを見せない。付き合いの長い秋良でさえ、鷹晴が声を荒げているのを見たことがない。あまりにも平時と変わらない友人に拍子抜けする。秋良は知らず緊張していた体から力を抜いた。
その時、鷹晴が小さく声を上げた。秋良がその視線を追うと、少し先に人の姿があった。頭から布を被っているため顔形は判別できないが、衣服から女性と判る。どんな事情か知らないが、こんな夜更けに一人で出歩いていては鬼に食ってくれと言わんばかりだ。
「なぁ、お嬢さん」
秋良が小走りに近づいて声を掛ける。顔を上げた女性を見て動きを止めた。
まず目を引いたのは布の端から零れる髪だ。まるで雀の羽の様な色だ。そして月明かりに照らされた顔は若く美しかった。白い頬は月の蒼い光を反射し、目は射抜くように鋭い。その瞳の色は夜の闇の中でも不自然に薄い。作り物めいたその人物に驚いて立ち尽くした。
「秋良!」
鷹晴の大きな声に我に返る。同時に、微かな臭いが鼻についた。
「……血」
職業柄、よく怪我をする秋良には嗅ぎ慣れた臭いだ。その呟きが届いたのか、女の口が笑みを作った。背筋にいいようのない怖気が走る。瞬間頭を過ったのは今自分が探している存在だった。
「まさか、人食い鬼……?」
「そうだ、と言ったらどうする?」
零れた声に答えたのは女だった。女にしてはやや低い声は明らかに笑いを含んでいる。こちらの反応を楽しむようなそれに秋良は警戒よりも不快が先に立った。
「貴方が本当に鬼であるなら、私たちは貴方を退治しなければなりません」
追い付いて隣に並んだ鷹晴が言う。口調は穏やかだが油断なく女を見据えている。
「へぇ、何故?」
「何故、って。お前が人を食うからだろ!」
女の馬鹿にした問いに秋良が吠える。食ってかかろうとした秋良を鷹晴が左手で諌めた。女がくすりと笑う。
「君たちが食事をしなければ生きられないように、私だって人を食べなければ生きられない。君達と一緒だ。それは仕方のないことだろう?」
二人に同意を求めるように女は目を細める。秋良が苛立って答えた。
「仕方ないわけあるか! 人を食べるような鬼を放っておけるか!」
「何を言う。人だって簡単に殺しあうではないか。斬られて捨て置かれた盗人や、彼らに襲われた人間達をこれまで山と見たぞ。ひとたび戦が始まれば死人は千を軽く超す。それなのに私が一人、二人食ったところでとやかく言われる筋合いはない。捨てて腐らせるより私の血肉にしている分親切だろう」
「そういう問題じゃない!」
「ふぅん、ではどういう問題だ。たとえば山で野犬に人が食べられたとして、君たちは山狩りをして野犬を全て退治するのか? しないだろう? 野犬に襲われるような場所に不用意に立ち入ったのが悪いと言うはずだ。野犬は退治されないのに、私は退治される。それは不公平ではないのか?」
「あーーもう! いちいち御託並べんじゃねぇ。とにかくお前が人を食うのが悪いんだよ」
声を荒げた秋良に、女が呆れたように眉を寄せる。溜め息をついて腕を組んだ。
「話にならないな。意に沿わぬもの、気に食わないものを問答無用で斬り伏せる、それは君たちの嫌う夜盗や山賊とどう違うんだ?」
「なっ」
秋良が二の句が継げずに黙る。今の女の言葉の意味が理解できないほど愚かではない。
何と反論しようか考えているうちに、隣から小さな笑い声が聞こえた。本人は抑えているつもりらしいが堪え切れずに声が漏れている。秋良は鷹晴を半眼で睨んだ。
「何笑ってんだよ」
「いや、ごめん。なんというか、どれだけ話しても秋良は口では敵わなそうだと思って」
「お前、どっちの味方だ?」
「もちろん、秋良だよ。けれど、鬼の言うことももっともだとは思う」
笑いを収めて、鷹晴が鬼に目を戻す。女は興味を引かれたように鷹晴を見た。
「貴方は、満月の夜にしか人を食べないのですか?」
「ああ、空腹を満たすにはそれで十分だ。だから、月につられてふらふら出歩いている貴族を狙っている」
「何故貴族なんです?」
「警戒心が薄いし、あっさり騙されるからだな」
確かに日々鍛錬を積んでいる武士や、普段から田畑を耕し肉体労働に従事する農民よりも貴族の方が捕らえやすいだろう。
「なるほど、貴族の方が簡単そうですね……って痛い!」
納得している鷹晴の頭を秋良が引っ叩く。何をするんだ、という顔で振りかえった鷹晴に、秋良はその頬を思いきり引っ張った。
「何、当然のように話してんだよ、お前は!」
「わくぁった、わかったから放して」
痛みに顔を歪める鷹晴に満足して、秋良が手を放す。頬をさすりながら鷹晴が息をついた。二人を面白そうに見ていた女に向き直る。
「ねえ、貴方。申し訳ありませんが、この街から出て行ってはもらえませんか。貴方が此処に居る限り、私たちは貴方を退治しなくてはなりません。それに私も友人や知人が食べられるのは遠慮願いたいですから」
「はあ? なに言ってんの、お前」
鷹晴の提案に、まっさきに反応したのは秋良だった。昔から鷹晴はどこかずれた所があるが、ここまでとは思わなかった。鷹晴の胸倉を掴んで引き寄せる。
「それって、見逃すってことか?」
「だって、秋良だって言い返せなかっただろう?」
「そうだけど! だからって放置するのかよ」
「冷たいようだけど、私は見知らぬ土地の名も知らない誰かが一人、どこかで死んだって苦にならない。それより、今こうして話をすることができる鬼を退治する方が心が痛むよ。秋良は違うのかい?」
冷静に訊かれてしまえば、秋良も黙る他は無い。多少気に食わないが今こうして理路整然と会話のできる鬼と、どこかの知りもしない貴族を比べて、天秤が貴族に傾くことはなかった。
秋良は鷹晴以外の貴族が好きではない。昔は「大嫌い」だったが鷹晴と出会って「嫌い」に昇格したくらいだ。貴族にも鷹晴のように良い奴はいる。まして怪異だからといって「全て悪」と退治するほど秋良は仕事熱心でもなかった。
鬼の方に目を向ければ現状を見守ることに決めたのか黙って二人を見ている。秋良は鷹晴から手を放し、鬼に向き直った。
「おい、俺達はお前と出会わなかったことにするからどっか行け」
もう面倒臭くなってしまった。見ない振りをして万事が終わるならそれに越した事は無い。
「君、なんだか上からだから断る」
「ああ?」
秋良の眉間に皺が寄る。先ほどの冷笑とは違って楽しそうな鬼に、秋良の顔が不機嫌に歪む。同時に吹き出す音が聞こえた。もはや隠してさえいない笑い声に秋良は鷹晴を睨みつける。
「秋良、顔が怖い。これではどちらが鬼かわからないね」
「誰の所為だ! だからお前はどっちの味方なんだよ!?」
「秋良の味方だって言っているだろう」
今度は鬼の方から笑い声が聞こえてきた。仕舞いには笑いすぎで息の切れている鬼に秋良が射殺せそうな視線を向ける。鬼がわざとらしく身を竦めた。
「おお怖い。でも面白かったから君たちに免じて身を引くよ。もうこのあたりで人は食べない。それでいいだろう?」
「それは助かります。ありがとうございます」
「おい、こんな奴に礼なんか言う必要ない!」
怒鳴りつける秋良にひらひらと手を振って、鬼は宙に身を躍らせた。一飛びで近くの太い木の枝に移る。その身のこなしは明らかに人のものではない。被っていた衣が落ちて、無造作に結わえた髪が背中で跳ねる。そのまま飛ぶように去っていった鬼を、秋良は不機嫌に、鷹晴は感心したように見送った。
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