霧の中、君は何処・2

 麻来たちは無言で歩く総監の後にただついていく。

「ツィヨウ」

「何」

 麻来は一番話しかけづらい相手の肩をつついてみる。案の定冷たい声が返ってきて少し怯みはしたが、最悪無視されることも考えていたので話をしても構わないということだろうと前向きに考えることにした。

「ニヌガルのこと、ありがとう」

「…………」

 ツィヨウはそこで初めて麻来の顔を見た。何を言っているんだこのガキは、と聞こえてきそうな呆れ顔ではあったが。

「生物・生命体開発の研究をしてるんだから、人体にも詳しくて当然だろう。それに俺がやらなくたってどうせこのばあちゃん、最終的には自分でやってたじゃないか」

「その通り」

 水尾に支えられながら少し後を歩いているニヌガルが水を差してきて、ツィヨウが鬱陶しそうに睨む。

「麻来、あんたは礼なんて言わなくてよかったんだよ。あんたは本来、この件とは無関係のただの娘なんだから」

「…………」

 麻来は納得がいかない顔をして黙り込む。ニヌガルはその頭をくしゃくしゃと撫でた。

「だけどツィヨウ、あんたが人の手当てをするなんてね。……いや、そもそもできるとはね」

「いや、意外とこいつは医師資格も持ってるんだ。どうせ研究用知識のためだけどな」

 麻来の泣きそうな顔に負けてニヌガルを支える役を引き受けた水尾は特に興味がなさそうだが一応擁護した。

 それに、と急にニヤニヤし始めたツィヨウが付け足して言う。

「それにちょっと楽しくなってきたかな? 自ら味わうスリルってのもなかなか……」

 ツィヨウの血迷った言動に、うえ、とえずくふりをして水尾が顔を顰める。

「おい。振り回され過ぎて気でも狂ったか? 俺はごめんだね、こんな毎回寿命を縮められるような目に遭うのは」

「お前はそうだろうよ。それにもうとっくに寿命は終わっている。何度言えば実感するんだろうか」

「うるさい。うっ、やめろ!」

 ツィヨウに背中を強めに突かれて、ニヌガルを支えているのにのけぞったせいでバランスを崩してたたらを踏む。

「そう言うけど、あんたたち二人が今回の騒動のトリガーと言っても過言じゃないよ。反省しな」

 ニヌガルが咎めるのを特に反応せずにツィヨウは止まらない話を続ける。

「ヤナギは自前の死体。アウラ、あんたは俺の作った人型エーテルボックスの試作品」

「何それ」

「殻だよ。魂の姿に応じて無理矢理実体を作る。死んだ体に入るよりよっぽど保管性能はある……自分の身体に戻っても、それが安全だとは言い切れない。どう転んでもこいつは死者だ。やっぱり流れには逆らえんのかねえ」

 よく分からない。

「麻来、こいつの話にいちいち耳を傾けてたら脳が破裂するぞ」

「だあから、その脳がないんだっての」

 二人のテンポのいい掛け合いに、麻来はつい吹き出した。

 ニヌガルはそうやって遊び転がるような三人を横目に見て、シンの背中へ視線を移す。

 歳を食ってかわいそうなくらいやつれてしまったが、昔は素直な少年だった。しきたり通りに神に祈り、儀礼に参加し、慎ましやかにただ過ごしていく日常を大切にするただの男の子だったのだ。あの頃の全てはこの目で見守っていたからわかる。それが一族郎党バラバラになり、手の届かない厳しいところで生きて来たのだろう。

 小さな民族で生まれて細やかに人生を終えるはずだった彼が今はこんなところで総監をやっているのだから本当に色々なことを経験したのだ。

 誰にも聞こえない声で、彼に祝福を唱えた。

 あの頃と何ら変わらない彼の切なる願いを、この大地に行き渡るよう。

「——わかるよ。わかっているよ。……こういうのを守りたいんだね」



「……ニヌガル?」

「なんだい」

 麻来に声をかけられ、ニヌガルは少しミクを思い出した。

 麻来はニヌガルのその何気ない仕草に少し郷愁を覚える。ミクとニヌガルが師弟として暮らしていたほんの短い数年を……遠く離れて今は健康で暮らしているかもわからない、麻来自身の母親を思う。

「神様って本当にいるの?」

「まあ、いるよ。あんたの考えてる神がどんな姿をしているのかは分からないけどね。他の生き物とはちょっと違うだけで、確かにいるんだ。いつも願いを叶えて守ってくれるようなものじゃないけど。体は一つだから」

 麻来が首を傾げるので、ニヌガルは頭を掻いて言い換えた。

「……知り合いに一人いるのさ、万能とか言われがちな神というには全然器用じゃなくて、威光もない。そのくせちょっと傲慢で、愛情深い。優しい優しい神様がね」

「へえ……」

 ニヌガルは愉快そうに片眉を上げて笑った。

「あんたも知ってるんだよ」

「え?」

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