水の彼方
霧の中、君は何処・1
柳水尾の家は没国の復興を計画していた。
その過程のひとつとして、同じく帝国を復興せんとする大きな組織、【呼水】について知ろうと当主は考えた。そこで一族の人間を幾人か選抜して調査に向かわせる。
あろうことか、まだ幼い自分の子供二人もその一行に加えて。海宮はこの時、齢七歳であった。その真意は今となっては問いただすことができないが、どうせ自分の子供だって使い捨ての駒としか考えていなかったんだろうと水尾は思っている。そうじゃなければ納得できない。齢十五の柳家の長男だった水尾はすでに父親に対して見切りをつけた。そうしなければ妹を守れないと思ったから。
「仕方がない。いくら気が狂ってても父さんには逆らえない。一緒に行動しよう。絶対離れるなよ」
水尾は妹と約束をして、前日の夜も一緒に眠った。
その予定が大幅にずれたのは、もとより兄妹二人が向かう場所が別々に決められていたからである。水尾は本部へ送られたが、海宮のほうは他の者と共に東支部へ向かったのだ。
到着したであろうと言う頃に同伴の者に頼んで支部に連絡を入れてもらったところ、妹は到着していないという報告が返ってくる。
柳と共にいた使節や間諜の者たちはまず当主である水尾の父親に指示を仰ぐ。すると父親はただ一言こう返してきたという。
『捨て置け』
妹は行方不明者として放置されてしまったのである。
【呼水】という組織は調べると最新の科学技術を応用したり、本来なら禁じられるような実験や開発を行っているようだ。ツィヨウの研究だって、人間の魂を利用したりするわけだから十分倫理観に外れている。この衰退した国が並ぶ時代に、いちいちこういう違反を掘り起こしたり咎めたりする余裕などどこもないのだ。
だが、柳水尾にとって外国のそういう事情はどうでもよかった。十五の少年には目先の目標で手一杯。柳水尾は父親に命じられた任務なんかより妹を探すことを優先して行動していた。必要なことを調べて報告、活動していることを証明しつつそれ以外はほとんど妹の行方を探すことに専念していた。その一貫として、ツィヨウの力を借りようと思ったのである。
「そういや妹を見つけたらどうすんの?」
ツィヨウにそう聞かれたことがあった。
「帰るよ。」
水尾は決めていた。だいたい、あんなに小さな女の子を、こんな組織に加えさせて何をしようっていうんだ。親に何を言われたって関係ない。
「ソレ、契約はどうなるんだよ」
「その時はほら、お前も来いよ。立派な研究所建ててやるって約束したからな」
それは叶わなかった。
どれだけ調べても、幼い海宮の消息が掴めなかったのだ。
「もう死んでるんじゃない」
時折そう縁起でもないことを言い出すツィヨウを投げやりになりそうな自分ごと殴り飛ばしつつ、何年も探し続けて。
数年経った頃に父親が危篤なため帰還するようにとの命令を受けて、もしかして妹も祖国に帰っているのかもとついでに没国に帰ってみれば、父親は水尾が到着する一歩手前で亡くなっていた。それはいい。しかし墓石に妹の名が刻まれているのを見つけた時には些かこたえた。
そうだ。あんな乾いた大地のど真ん中に置き去りにされて、無事に生きている確率なんてないに等しい。
麻来に出会ったのはちょうどその頃、入院していた父親の荷物を片付けに故郷の病院を訪れたときであった。
何してんの、と問うと顔を上げた、蒼白い顔。
「…………お医者さんに親指あげちゃったからせいで歩くの嫌になっちゃったんだよね」
途方に暮れたみたいに中庭の端でうずくまった女の子。どうして声をかけたのか今でもよくわからないが、気まぐれに話を聞いてみれば彼女はその靴の中に絶望を抱えているらしかった。
「お医者さんだってあんなのいらないだろうに、かわいそう」
手の指は五本全て揃ってるから、足の方か。病気か事故かで切断でもしたのだろう。
「捨ててるんじゃない? 取っとかないよ」
哀れとは思ったが、それに同情したわけではない。
「そ? じゃあいいか……」
適当に返すとぼんやりと納得したような相槌を打って、また黙り込む。膝を抱えてゆらゆらしているとバランスが取りづらいのか前のめりになって地面に手をついた。
「うおっと」
勝手に伸ばした腕が彼女の身体を支え、黒くて円い瞳が水尾の視界に飛び込んでくる。その一瞬、彼女の虹彩がありふれた色に染まって揺れた。
妹の行方で頭がいっぱいだった自分が、諦めかけた頃に出会った少女。
救いを求めたのは自分だったのかもしれない。
そしてそれを一度でも手放したのも自分だった。
「ふらっと戻って来やがったと思ったら、なんだその辛気臭い顔。仕事もできそうにないじゃないか」
没国を発って二年ぶりにいつもの研究所に顔を出すと、見慣れた動作で研究室の主が振り返るなり目を細めて言った。
「使えないなら俺はこのまんまここで好きに研究してんだから、ヤナギは別に全部諦めておうちに帰ってもいいんだぜ」
扉を開けた瞬間にご無沙汰の憎まれ口を浴びて水尾は軽く脱力した。多少は成長しているかと思ったら相も変わりはなさそうだ。
「なんかお前だけ時の進みが早いんじゃないか? ちょっと老けたな、ツィヨウ」
「不摂生だからだろ」
「自分で言うんか……」
「それで?」
ツィヨウは首を傾げて、冷たい笑みを浮かべる。
「目的は諦めて、女にうつつを抜かしてたんだ?」
妹を探すため、という理由での契約だったのだから、それを二年もほったらかしにしていれば不信感を持たせても仕方ない。というか、戻れば刺されるくらい覚悟して来たのだから最大限に許されている方だろう。ともあれ久々の再会の第一声とも思えない棘だらけの皮肉には何も言い返せなかった。
「頼んだものの開発は進んでるのか?」
「なんだったらまだ始めてすらいないがね」
麻来を家に置いて没国を立つ日に連絡を入れたんだからそりゃまだ着手してないか。水尾は頭を掻きながら大きな荷物を床に落とすと、ツィヨウのパソコンの横に腰掛ける。
「できれば早めに完成させて欲しいんだけどな」
「しかしどういうつもりだよ、生きた状態の魂を入れる器を作れだって? 妹はどうせ死んでるし、死んだんなら魂なんて不確かなもんその辺探したって見つからねえよ。わかるだろ」
いつもの調子だったので軽口かと思って聞き流しそうになった時にふと声が低くなる。
「ならお前はなんでこんなところまで戻ってきたんだ。そのまま全部忘れて、その麻来とかいう女といつまでも幸せに暮らしてしまえばよかったじゃないか。」
ツィヨウは細めた目に嘲笑を浮かべて吐き捨てるように言いながら、水尾の心臓の辺りを人差し指でトンと小突く。
「……かわいそうな柳水尾。今更、止めやしなかったさ」
低い声。憐れむよりも冷たく、苛立ちを吐き出すような、それよりもっと遠くてどうでもいいのかもしれない。七年前からの付き合いでも、ツィヨウのことはいつまで経ってもよくわからない。こんなお節介を言うような奴なんかじゃなかったのに。
妹の生存を諦めたことを怒っているのか、契約を破られたと思って水尾に幻滅したのか。
水尾は身体を少し彼に向けて、温度のない瞳と相対した。
「なあツィヨウ、俺はさ……」
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