彼の世の蓋・4
「破片は単純に口から飲み込んだんだけど、その後どうやっても留まったままなんだよ。どうやって渡せって?」
げんなりと完全にやる気を無くした様子のツィヨウを尻目に交渉は続く。水尾の質問にニヌガルはふむ、と顎に手をやる。
「流石に私でも人間の身体の中にあるものを取り出すことは不可能だろう。お腹を切り刻むくらいしか」
「やめろ」
使い古した短刀を抜き身で懐から取り出すニヌガルに水尾が慌てて却下する。
「いいじゃないか、死んだ身体なんだから。手っ取り早く開いてもらえばさっさと終わるぜ」
「いやに決まってるだろ…………!」
ツィヨウが適当に賛同するのにも反論して、他にはないのかよとニヌガルに向き直る。
「あとは神に頼るしかないわね。そもそも蓋は普段は実体を持つものじゃないから、取り出すとしたら私のような生きた人間には無理」
「なんだよそりゃ…………」
返せと言っておいて方法がないとは。条件を飲んだことを早くも後悔し始めて頭を抱える。もう全部投げ出して煙草が吸いたい。一度死んでから我慢ができないなんてことは無くなったし、何なら生前は喫煙者であったということさえ今思い出したのだが。
しかしふと思いついてニヌガルに申し出る。
「なあ、じゃあ死んだ人間なら取り出せるってことか?」
「あんたか麻来がやるって? あんたたちは今実体のある器に入っているからこうして動けてるんだって言ったろう。たとえ魂だけになったってただの人間にそんなこと出来るわけないだろうが」
「じゃあどうすりゃいいんだよ!」
気付けば協力的な姿勢になっている自分に嫌気がさして声を荒らげるが、
「水尾、落ち着きなよ」
と、麻来に宥められ、なんとも複雑な気分で口を閉じた。
「まあまあ、言っただろう。神に任せればいいと。奇跡みたいな霞の偶然を待とうってんじゃない。見当はついてるよ。一緒に来てもらうことになるけど」
水尾はもう好きにしろよ、と呻く。ツィヨウにいたっては完全にだんまりである。多少は協力しろよ。
ニヌガルが軽く伸びをする傍らで麻来が大人しく歩いているのを、いささか苦い気持ちで眺める。ここに来る前から知り合っていたらしいし、すっかり魔女に懐いてしまっているようだ。
「ツィヨウ」
「……わかってんよ」
研究者がのろのろと足を進めているのでついて来てるか気になって振り返ると、退屈そうに指の関節を鳴らしていた。まだついてくると言うことは柳に飽きたり見限ったりしているわけではないと言うことだろうか。気まぐれか十年来のよしみか、そんなことを考えるようなやつではないが、ともかく義理は果たしてくれるようだ。
麻来は人質にされているのでニヌガルにひっついて歩いていた。
この身体になってから、ずっと歩いたり走ったりしている気がする。中学生の頃、親指を無くしてから、もう意味が無いと絶望していたこの足で。
不慮な事故が原因だった。誰も予測できなかった。
それから運び込まれた病院で沈みこんでいる時に、柳水尾と出会ったのである。
彼に見放されたら自分は死んでしまうと思った。世を儚んで自殺する。それくらい好きになった。彼に囲われた二年間、なんの心配もすることなく、リハビリもサボった代わりに怪我の事を考えて心が痛むことも徐々になくなっていって。
しかし……もう随分前のことのように思えるが、風丸の襲来で家を出たあのときから足の指が揃っていたことに気が付いて。
それからずっと怖かった外を歩くことが、景色が動くことが、また楽しくなったと思うのだ。
色々と理由をつけて家にこもっていたけれど、わたしはずっと、怖かっただけなのだ。
死んでしまったあとに気付くだなんて、遅すぎるけれど。
そういえば、わたしは幽霊としていつまでこうしていられるんだろう。水尾は、身体を取り戻したからそのまま生きて行けるのだろうか。
水尾は後ろからツィヨウを引き摺ってついて来る。それを見ていると生きていたあの頃とあまり変わらないように見える。……なんだかあの頃より不機嫌な顔を見ることが多いし、あまり話しかけてくれないけれど。
一人で君を待っていた三年間なんかより、今の方が遠くなってしまったような気がする。
「どうかした?」
ニヌガルが覗き込んできていたのに気が付いて、麻来はなんでもないと首を振る。なんだか最近は心が落ち着いている。
きっとその理由については気付いてる。けれど今の麻来には漠然と何かが変わったという感覚だけしかなくて、自分の心を整理するような時間はなかった。
「油を売ってる暇はないよ。さあ、あんたらが壊してからどうせ保管場所も変わってるんだろうから早く探さないとね。何しろ今すぐ溢れ出る可能性だってあるんだから——おっと!」
「だっ、」
ニヌガルが咄嗟に水尾を突き飛ばした。それと同時に銃声が鳴り響き、彼女の伸ばした腕から弾かれたように身体が回りながら吹き飛ばされる。
「に————」麻来の叫びは掠れて、喉を震わせなかった。ニヌガル、と呼んだはずだったのに。
彼女は倒れずに持ち堪え、腕を押さえながらうめいた。
「…………あんたか、シン」
ニヌガルがやっと振り向いた視線の先を見ると、拳銃を構えたままこちらに歩いてくる男がいた。
「誰…………」
「あの胸章、【呼水】の総監だよ」
珍しくツィヨウが答えた。「思慮深い男だと聞いてたんだがね。あれはデマだったかな」
「一度会ったことはあるけど、その時は会話の通じる人だったことは確かだ。……今の彼はどうか知らないが」
麻来を背中に隠しながら、水尾は皮肉めいた笑いを浮かべる。
「ちょうど探しに行こうと思っていたんだ、シン総監。『蓋』のところに案内してもらおうか」
総監は拳銃を構えたまま、話を聞いているのかいないのか、悲しそうに言った。
「……すまない。射撃はあまり得意ではないんだ。君を傷つけるつもりはなかった」
「狙いはこいつってわけか」ツィヨウが水尾に目配せして言う。
「悪いが誰か、彼女の傷を押さえてやってくれないか。布を使って、ぎゅっと縛るんだ」
ニヌガル、と呼びかけても、彼女は総監を睨み据えたまま反応がない。血が出てる。どうにかしないと。
するとツィヨウがそばにきて、舌打ちしながら自分の服の裾を引きちぎり始めた。
「水尾が、」
「うるさい。——銃を奪え。応戦しろ。口は動く程度にな」
指示を出された【カゲロウ】が総監に向かっていくのを見届けずに、立ったままのニヌガルを無理矢理座らせて、ポケットから何やら瓶を取り出す。
「……待ちな。そいつらを使うんじゃない」
「あ?」
【カゲロウ】が身を低くして総監に接近すると、銃をはたき落として組み伏せ、動きを封じた。
「…………っ」
目にも止まらぬ【カゲロウ】の素早さで地面に叩きつけられた総監は痛みに顔を歪ませる。
「……君がツィヨウ博士か……許してくれ」
「はあ? 俺がアンタとなんの関係があるって言うんだ」
総監は押さえ込まれたまま懐に手を伸ばし、何かのスイッチを押した。
その瞬間、【カゲロウ】は衝撃を受けたように固まって、機械が故障したように力を失って頽れた。
「は…………」
「君の発明は素晴らしいものだと聞き及んでいる。同時に気まぐれな君の気性もね。特にこの生体プログラム【カゲロウ】の技術は目を見張るものだ。……危険なほどに。だから、事前に対策装置を作らせていたんだよ」
「…………」
ツィヨウは言葉を失って、立ち上がった総監の足元で二度までも動かなくなった自分の作品を見つめる。
「突然発砲しておいて言えることでもないのだが、話をしよう。君たちは持っているはずだろう。あの破片。返してはくれないか」
「……水尾、」
麻来はニヌガルの腕を縛りつつ、水尾の襲撃に構えた背中を見遣って呼ぶ。
「……おい、ばあさん、あいつには渡さないほうがいいのか?」
「知らないよ……元々今は『蓋』の本体はあいつ率いる【呼水】の手中だ。破片さえ手に入れてしまったら勝手に使いかねない」
ニヌガルは麻来の手当てに遅いと文句を言って自分で手早く手当てをする。自分の皮膚から葦を生やして巻き付かせて。
「勿論、まずは修復をしたい。しかし柳君、逃げ続けてきた君がそれに協力してくれるかわからなかったから手荒な手段をとってしまったが」
拳銃を拾いながら極めて冷静に話し始める。しかし言葉とは矛盾した行動には冷静さのカケラもない。麻来は誰も動かない空気の固まった廊下に叫ぶ。
「…………じゃあ一緒に直しにいけばよかったのよ。わたしたちだってそのためにあんたを探してたのに、どうして何も言わずに撃ってしまったの! ニヌガルが死んだらどうするの!?」
「なりふり構っていられないんだ。もういつこの街が飲み込まれるか分からない。君がそう言ったんだろう、ニヌガル」
ニヌガルはやれやれと首を振る。せっかくわざわざこいつらと交渉に持ち込んでまで平和的に事を収めてやろうと思ったんだけどね、と胸中で嘆息する。こいつを脅したことが裏目に出るとは予想していなかった。
「かといってシン、あんたがこんな強硬手段に出るとは思わなかったけどね。 昔の温厚なあんただったらこんなことしなかったでしょうに。そりゃ弾道も予測できないわよ……へたっぴだし」
「なら君たちは私に手を貸してくれると言うのか。『呼び蓋』を修復し、そののち、引き続き私にそれを預けてくれると? 修復した直後に使用しようとしても止めないでくれるのか」
「まだあんなの使う気なのかよ」
水尾が低い声でこぼすと、総監は疲れたように笑った。
「君や博士だって、あれを利用したくて盗んだのだろう。その点では私と変わらないさ……柳家の嫡男、柳水尾君」
水尾は二の句が継げず、苦々しげに相手を見据える。
総監は、再びニヌガルに向き合って言った。
「とりあえず全ては後回しだ。あれを修復する手立てが君たちにあるのなら、部屋まで案内しよう」
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