彼の世の蓋・3
今の本当?
そんな訳ないだろ、だってそれなら今まで俺たちはなんのために蓋を守ってきたんだ?
だけど、あの総監があんな嘘を吐くとは思えない。
風丸はざわつく本部の廊下を一人進む。
〈ニヌガルは見つかった?〉
「いいえ……どうやら、ヘイズでは通り抜けられない情報の中にいるようです」
〈どこで何をしてるんだ。連絡くらい寄越してくれてもいいのに……〉
【呼水】の構成員たちはみんな、放送を聞いても半信半疑といった表情で命令に従って立ち退く準備を進めている。風丸は彼らの間を縫って走っていく。柳水尾の身体もない今、子供一人を気に留める者はいなかった。
「どうしますか。闇雲に探しても…………」
通り過ぎた枝分かれの廊下の角から、風丸の肩を掴む手があって。
風丸は反射でその手を手前へ引き、投げ技の態勢に入った。
「やっ、痛……っ」
「え」
聞き覚えのある声が悲鳴を上げたので風丸は動きを止める。
〈どうしたの? 今——〉
痛みに顔を歪めた彼女を見上げ、つい掴んだ手の力を少し緩める。
「……女が接触を図ってきました。ミクです」
ラクダからは返事どころか声による反応すら返ってこない。指示が来ないため、片腕を拘束したまま風丸は訊ねた。
「何用でしょうか。ミク」
「不法侵入者が敷地内を歩いていれば声をかけるのも当然でしょう。くっ、離して……」
ラクダからの指示がないので風丸はミクの頼みなど聞く気配もなく、ただじっと彼女を観察する。ミクは掴まれた腕を引き抜こうとしていたがやがて諦め、深く息を吐き出した。
「……見逃してもよかったのですけれど。アナタがいるならラクダさん? もいらっしゃるかと思ったので呼び止めようと……ですが予想が外れました」
「母さまにご用ですか」
「少し……聞きたいことが。一緒ではなかったのですね。捨てられてしまいましたか?」
風丸は首を振る。
「そうですか…………。可哀想に」
「いえ、母には廃棄されておりません。もしいつかそうなっても、私はそれまで母さまと共にいます。ご心配には及びません」
そう、とミクは冷めた声で相槌を打つ。
「だけど一時でも行動を別にするなら、そのまま二度と会えなくなることを覚悟しておいた方が良いですよ。後悔するか、諦めるしかなくなります」
風丸はミクを見つめたまま忠告を聞いている。そしていつもするように、言葉を噛み締めてふっと目を閉じた。彼にはなんと返せばいいのかわからなかった。
「……そう。それでは、もう離してもらってもいいですか」
〈風丸。離してあげて〉
ようやく声が聞こえたので、風丸はそれに従った。
ミクはそのまま立ち去るでもなく、解放された腕をさすりながら周囲を見回している。
「さっきから微かに、別の声が聞こえますね。電話でもしているのですか?」
「…………」
〈いいえ〉
ラクダはそれに答えて言う。
〈ラクダがここにいるんだ、この子の手の中に。運んでもらっている。だから今の話は、まだ諦めなくていいよ〉
ミクは豆鉄砲を食らったような顔で、数秒の間呆けた。
「…………、どうして最初に教えてくれなかったのですか!」
「すみません。母さまからの指示がまだでしたので」
問い詰めると風丸が当然のようにそう答えるので、ミクは額を押さえてか細いうめき声を上げた。そういえばこの子は【カゲロウ】といかいうツィヨウ博士の発明品だったことを思い出す。
〈それで聞きたいことって?〉
「いえ…………そんな姿では流石にないでしょうからいいです。もう行っていいですよ。柳水尾の身体がなければ、はぐれ【カゲロウ】くんにも自由にしてもらっても別に構いませんし」
〈そう。なら風丸、もう行こう〉
「はい」
〈ミク、きみのことを知らなくてごめんね。本当の柳水尾なら君のことがわかるかもしれないけど、きみは早くここから逃げるべきだ〉
風丸はミクに軽く会釈すると、方向を変えて走り出す。ミクは脱力したまま見送りかけて……、唐突に思い至って叫んだ。
「待って!」
前を走る【カゲロウ】の足は止まらない。声が聞こえていないのか、それとも無視をされているのかしら。ミクは固いヒールを引きずって、声が枯れるほど叫んだ。「待ってください、まだ聞きたいことがあるの! 結局、身体はどうしたの!? あの人の……柳水尾の身体は!」
ミクの必死の叫びは聞き届けられ、角を曲がろうとする直前で風丸が気付いて戻ってきてくれる。
「まだ何か」
ミクがこの十数秒で息が切れたのを風丸は見下ろして、次の言葉を待っている。それを見越して、内容を聞いていたのだろうか、ラクダが声を出す。
〈あの身体なら、本人に返したよ。本来なら元々そういう契約だったからね〉
「ほん、にん? だって彼は」
自分の襟ぐりに手をやって、ミクは眉を顰める。
「亡くなっていることに間違いはありませんが、父——ツィヨウの実験の一環で魂が保管されていたのです。今はおそらく、父と共に行動しているかと」
息を整えていた彼女は足の力を失って、倒れるところを咄嗟に風丸が支えた。弾みで眼鏡が落ちる。
「ミク?」
胸を上下させ、ミクは額を押さえる。
「……それ、もう一度会いに行くことってありますか」
〈それは、まだわからな〉
「私も連れて行ってください」
ミクは風丸にしがみついて言った。
もう叶わないと思ったから。どうにでもなってしまえとこの人たちを……師を見捨てたというのに。
〈一般の子を危険に晒すわけにはいかない。きみにはすぐに避難してほしいのだけど……ミク、きみはどうしてそこまで、〉
「私は何もわからないままここまで生きて来たんです。ここにいる理由すら初めから一つもなかった」
せめて組織に迎え入れてくれた総監の役に立てばと働いてはきたがそれだけだった。【呼水】に入ったのだって、純粋な理由だったわけではないのに。
「私は一つでも手に入れたい。何もかもが終わっても、最後に残されていることがあるのなら」
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