彼の世の蓋・2
「麻来いた!」
「うわっ」
ニヌガルの声が聞こえたと思うと、横で走っていたツィヨウが後ろからの奇襲で軽く吹っ飛んだ。
「ニヌガル!」
「おや」
麻来はキックポーズから体勢を直したニヌガルに飛びついた。麻来を抱きしめて頭をなでながら状況を確認するニヌガルは、胡乱な視線を向ける水尾と目が合って片眉を上げる。
「なんだこいつ。ラクダじゃないわね。」
「誰…………」
「ニヌガル、この人が水尾なの」
へえ、と興味が薄そうに相槌を打って水尾をじろじろと眺める。
「…………麻来?」不躾な視線に耐えつつ麻来に助けを求める水尾にも軽く紹介した。
「で、あんたはどうして知らない男どもと一緒にいるの? ラクダと風丸はどうしたの」
黙ってしまった麻来を見て、ニヌガルはぎろりと水尾を睨む。
「あんたら、この子を無理矢理連れてきたんじゃないだろうね」
怒りのオーラに気圧されながら水尾は反論しようと口を開く。
「そん、」
「そんなことより俺に何か言うことはないわけ」
二メートルほど先に、二人の【カゲロウ】に助け起こされながらツィヨウが文句を言う。
「あんたが、ツィヨウってやつだろう。そこの男もそうだけど、どうして麻来と一緒に走っているの? 返答によってはこの娘、私が連れ去ってしまうけど」
挑発的な言葉に水尾は麻来を守るように腕を回す。
「ツィヨウ、さっさと立て! 【カゲロウ】こっちに回せ!」
「うるせえ〜〜」
と、立ち上がったにもかかわらず一向に命令を出す様子がない。
「別に取って食うわけじゃないんだから。事情を説明しろって言ってるだけだよ」
ニヌガルがこの騒ぎに呆れた様子で手を仰ぐように動かすと、結局麻来に目配せして聞き出した。
「それであんたらは脱出しようとしてるってわけね。自分の尻拭いもしないで」
人払いのまじないをかけた狭い物置で、箱の上に胡座をかいたニヌガルが少し愉快そうに言った。
「何が言いたいんだ」
水尾は思ったより冷静に挑発を受け流し、まどろっこしいと先を促した。
「その破片。あんたが蛇みたいに飲み込んで持ってる、破片がね。」ニヌガルは水尾の腹あたりを指差す。「それが元あるところに戻らないと、ここが瞬きのうちに滅びるんだ」
「はあ?」ツィヨウはその話を鼻で笑う。「そんなこと、あるわけがないだろう。あれは『呼び蓋』。異界を呼び出すだけのものだ」
「あんたが知らないのも無理はないけどね、あの『蓋』はすでにアプスと繋がっているんだ」
ニヌガルは指先をくるくる回してから引っ込める。
「あれは組織が思ってるような楽園じゃない。青く透明な水と、純粋な死の空間が無限に広がっているだけ。それはそれは美しいだろうけど、あんなところに手でも突っ込もうものならそのまま引き込まれてしまう。そしてあれとの接続に不具合があれば、いつ、どんなふうに戸が開くかわからない。街ごと飲み込まれる可能性もあるんだよ」
話しているうちに麻来の顔が青くなっていく。今回はある程度理解出来たようだ。しかし他のふたりはこうも安易に反応してはくれないらしい。
「それがどうした?」
一通り聞いたあと、ツィヨウがばっさりとそう言った。
「今すぐに逃げる俺たちにはあまり関係がない。その話で破片を返せとか言うならお断りだぜ。これを使って試したいことがあるんでね」
ツィヨウという男がどのようなものか。
ラクダが【カゲロウ】のことで彼に対して悲憤していた気持ちがわかるね、とニヌガルは思う。一般的な倫理観が鈍っていることはそうかもしれないが、それよりも…………。
「今の話が本当なら尚更、こんなところで油を売ってる暇はない。もう行くぞ、ヤナギ」
「…………ああ」
と、水尾が部屋を出ていこうと掴んだドアノブは、入るときは確かに簡単に開いたはずなのに、どれだけ力を入れても動くことはなかった。
「おい、開かないぞ」
「はあ? バリケードか?」
二人で扉をガチャガチャといじっている間に、ニヌガルは麻来を手招きして抱きしめる。
「この短時間で出来るかよ。おいばあさん、何かしやが…………っ」
水尾が振り返れば、麻来を抱えたニヌガルが奥の窓際に立っていて。その瞬間、ドアノブの周囲から葦が生えてきて、掴んでいた二人の手ごと動かないよう固定されてしまった。
「おい、ぶち破れ。今すぐ」
とツィヨウが苛立ちまぎれにそばにいた【カゲロウ】に命令する。命令を受けた【カゲロウ】が自分の電気剣に手を添えた。
しかし命令が実行されることは叶わなかった。なんの予兆もなく、【カゲロウ】が膝から頽れたのである。
「うっ、…………あ、」
突然倒れたのは一人だけではなく、傍に控えさせていたもう一人も全く同時に矢でも受けたように瞬間、胴震いして全身から力を失った。
「はあ!?」
足元に転がった二機の生体プログラムを呆然と見下ろして、ツィヨウは驚きと怒りで金切り声を上げる。
「あんた、何しやがった?」
水尾が問うても笑いながら首を傾げるばかり。イカれてやがると呟いたツィヨウの舌打ちが響く。
「おい! 聞こえねえのか」
ゴーグルをむしり取って顔色を診れば顔面蒼白、その目は焦点が合っていない。しかし軽く頬を叩くと微かに反応があり、強い眩暈に襲われたかのようだった。おそらくそのうちに気がつくだろう。
「なんだってんだ…………」
戦力を奪われ、麻来が魔女の手に抱え込まれてしまった。水尾は己の頬がひくつくのを感じる。
「協力してくれないならこのむすめ、本当に私がもらってしまうよ。私の『部屋』に押し込んで仕舞えば誰にも手出しできまい」
そう言いながらニヌガルは床から葦を生やし、麻来の周囲を檻のように囲んでいく。
「あげちまえよ」
「裏切んな。てめえの欲しいものもおじゃんだぞ」
さっさとこの場を後にしたいツィヨウがニヌガルに合いの手を打つが如く放棄を促すのをぴしゃりと却下する。
「じゃあどうするんだ。このばあちゃんの言うこと聞くのか? いやだね、これ以上の面倒事は。労働を増やされるこっちの身にもなれ」
「お前に頼んだ仕事の半分は【カゲロウ】の仕事だろうが」
ニヌガルを睨んだままツィヨウと口論する水尾は巻き返しの機会をうかがっているようだったが、ニヌガルが意図的にみじろぎしたのを見て……諦めた。反抗すれば一瞬で連れていかれてしまう。
「…………何をすればいいんだよ」
ツィヨウは文句を言わない代わりに舌打ちをした。ほとんど契約を反故にしたのと同じなのだから当然といえば当然だが、後で飽きるほど嫌味を言われるな、と皮肉めいた笑いが浮かぶ。
「勿論、破片をくれたら他には何も言わないよ。この子も返してあげよう」
「本当だろうな」
「おい、それを返せばお前の本懐も叶わなくなるだろ。お前やアウラの魂の劣化は始まってる。他の方法を探してる時間はない!」
甘言に耳を傾ける水尾の軌道修正するツィヨウにさらにダメ押しする。
「じゃあ私が保管してやろうか。ある程度は進行を抑えることを保証しよう」
「おい、このばあちゃん何者なんだよ?」
「麻来がさっき紹介してくれたろう、私はシャーマンだ。かつて、あんたのその腹に入ってる破片の本体を保有してた民族のね」
ああそうだ、とニヌガルはいいことを思い出したみたいにぽんと手を叩いて、
「そうだツィヨウ、これを機に言っておこうか。シャーマンとしてあんたに伝えるべきことがあったんだ」
「は?」
音もなく、反応する間もなく距離を詰めてきたニヌガルがツィヨウの隙だらけの襟首を掴んで、扉に叩きつける。
「あんたには自分のしたことを見直してもらわなきゃいけない」
強めに背中を打ったせいでツィヨウの顔が一瞬歪み、不本意そうな真顔に切り替わる。
「……俺がしたこと、ね」
「お前にもとうとうツケが回ってきたのか。これは一体どれの件についてなんだろうな」
隙あらばと水尾がつつき回しにかかる。その声が自嘲気味であるのに誰か気付いただろうか、それは分からないが。
「さあ」ツィヨウは興味すら湧かないとでもいうように顔色も変えずにふいと顔を逸らす。「多すぎてどれだか分からん。我ながらこんなんなら、自覚なんてあってもなくても同じさね」
ニヌガルが研究者の胸を軽く叩くと空洞に響く音がして。連動してツィヨウが鬱陶しそうに咳をする。
「私はあんたを許さないよ。自然の循環妨げることは呼吸を奪うのと同じ。許されざる行いだ。大地を穢せば皺寄せは全ての生き物や呼吸するもの、しないもの全てに降りかかる」
獣のうなり声のような地を這う声で、魔女は研究者の喉笛に噛み付かんばかりに罪を問う。
「さあ、あんたはそのうち、あんたが殺した大地の恨みをその身に浴びるだろう。巡り巡ってあんたの元に届くのがいつなのか、知ったことじゃないけど」
ニヌガルはハンと鼻を鳴らし、突き放すようにツィヨウの襟に皺をつけたまま解放した。その襟を伸ばして直し、ようやくふらふらと立ち上がってくる【カゲロウ】たちを眺めながらぼそりと言った。
「恨みなあ…………」
「なんだい、信じてないのか? まあいいけどね。その方が幸せではあるかもしれない……ほら行くよ、時間がないんだから。麻来、おいで」
ニヌガルがひょいと招くような仕草で指先を上向きに振ると、麻来を囲んでいた葦があっさりと崩れ散った。ドアノブをひねればなんの苦労もなく外の廊下とつながって、麻来の手を引いたニヌガルが颯爽と部屋を出て行った。
わけのわからないことになってしまった。
水尾が大きな溜め息と共にふたりについて行く。
「ツィヨウ」
「……はあ……」
どんどん変なのと交渉しやがってと口の中で文句を言いながら、呼ばれたツィヨウも寄りかかっていた壁から背中を離した。ツィヨウが歩き始めると護衛を命じられている二機の【カゲロウ】もおぼつかない足で追従する。
人が騒がしく走り回る本部の内部は半ば混乱状態だった。絨毯の裏側までひっくり返して柳水尾を探していた少し前とは別の理由で。
十、二十分ほど前に、このような放送が流れ、恐ろしい事実が彼らに突きつけられたからであった。
『皆。先程は理由も述べず指示を出してすまない。実は確かな情報が入ってきたのだ。我々が目指すアプスは死をもたらすものであると』
そうして柳水尾を捜索する命令は撤回し、街の民を誘導して出来るだけ遠くへ逃げろ、と彼は言った。前の放送の慌てた様子から一変して、諦めと覚悟を決めたような、強い命令を下した。
執務室前の監視カメラをした際、彼が部屋を出る映像をヘイズだけは見た。その顔を彼女は観測した。
その表情から読み取る彼は決して、この街の滅びを諦めてはいないと。
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