柳水尾・3

 その彼が今、誰も店番のいない露店の裏で膝を抱えてストローを咥え、何か飲み物を啜っていた。

「ツィヨウ……」

「あー、そんな慌てなくてもいいんだぜ。別に捕まえようってんじゃない。そもそもあんたらとはこの都で落ち合う予定だったろ? 当人が歩けないから、俺は代理で来てやったにすぎない」

 武器を持っていないと手を上げて掌を見せるような仕草で、両手に持ったスピーカーフォンとプラスチックの容器を掲げてみせる。

「ほれ、俺一人で来たくらいだ。攻撃はしてくれるなよ」

「…………」

 ラクダは上でもぞもぞと退き始める二人からなんとか解放され、周囲を見渡す。露店の中だからわかりにくいが、どうやら【カゲロウ】は連れてきてはいないようだ。振る舞いは雑だが、敵意がないのは確からしい。

 風丸が静かなのが少し心配だ。【カゲロウ】だと気付かれないようにしているだけならいいのだけれど。

「……なんのために来た?」

 場所が分かるのは仕方がない。麻来が追跡されているのは分かっていた。だがラクダを捕まえる気がないのなら、どうして今ここに現れるのだろうか。

「やはり身体に遺る記憶というのは不完全なものか。見当もつかない?」

「…………」

「ならヒントをやろう。これに何が入っていると思う?」

 ツィヨウはスピーカーフォンをもう一度掲げてみせる。

「? それは、」

〈…………あんたは契約通りにやってくれたみたいだな、水源の使者〉

 機械越しの声は生声から歪めて聞こえるという。

 しかしラクダがこの声を聞いたのは初めてではない。

 一度目は、水流轟く水の底。

 死者の辿り着く場所。

「おまえは、」

「水尾…………!」

 声に覚えがあったのはラクダだけではない。麻来も彼に気付いて、その名を呼んだ。

〈…………、麻来?〉

 柳水尾は少し驚いた声で彼女の名前を呼び返した。

〈おい、〉

 彼が不平を言う前に、ツィヨウは面倒そうに反論する。

「考えなくても分かるだろう? 彼女のお迎えを依頼したのはお前なんだから」

〈……そっか。そりゃそうだ〉

「会うのに心の準備でも必要か、え? ヤナギにも意外な一面もあるもんだなあ」

〈知ったように言うんじゃないよ……〉

 はあ、と溜め息混じりに会話を切ると、柳水尾は仕切り直して麻来に話しかけた。

〈……久しぶりだな、麻来。寂しかっただろ。ごめんな〉

「…………、み、」

〈だけどもう少し待ってくれ。今はまだやることがある。俺は身体を取り戻し、お前に与えるものの準備をしないといけないんだ〉

 ツィヨウは柳水尾の言葉に合わせるようにして腰を持ち上げると、麻来のすぐ目の前まで歩いてくる。

「…………っ! 近付くな」

 ラクダが間に割って入る。

 だが今、彼の目的は麻来ではなかった。細い目をぎろりとラクダに向けて、突然笑い出して。

「ッハハ、滑稽だなあ」

 ラクダは不快そうに眉を顰めてツィヨウを見る。

「ああ弱いことよ。自我が薄いのは霊力も衰えた証拠だ」

 こんなに敵意を顕にするラクダは、麻来の知る限り初めて見た。そう思っているとラクダがゆっくりと立ち上がり、拳を怒りに震わせながらツィヨウを見下ろす。彼の気が高まっていくのを、全員が皮膚で感じとった。

「……おまえが俺を笑える立場か、【呼水】の研究者? 仮に、わたしの前へおまえの【カゲロウ】たち全てを連れて現れたとて、おまえを押し潰すことは不可能ではないんだぞ」

 ツィヨウは顔には笑いを貼り付けたまま、あーあーどうすんだ、と他人事のように呟いてじりじり間合いを空ける。麻来の前に立ちはだかり、そのまま目の前の男を手にかけそうな熱度で睨みつけるラクダは、しかし不意に視線を落とした。そして地面に座ったままの麻来と風丸の状態を確認する。

〈……実際、今のあんたは滑稽さ。〉その様子を静観していたのか、柳水尾がスピーカーフォンの中から口を開く。

〈お前が麻来の魂を何より優先するのも、その身体に残る俺の思念によるものだ。お前の意思じゃない〉

 ツィヨウはまた、彼のお喋りに呼応するように足を動かした。ラクダの前まで。

「けれどまだ目的は達成されていない。組織を完全に止めなければ……」

「だったらこんな娘一人にかまけている場合じゃないんじゃないのか? 可哀想に。本当に守るべきものが何なのか、そんなところにいるせいでわからなくなってしまうだなんて」

 そして手を差し伸べる。

「なあ、俺が救ってやろうか」

「……俺は。忘れてなど、」

「母さ…………、!」

 立ち上がりかける風丸の肩を掴んだ勢いのままに麻来は、無我夢中でツィヨウに噛み付いた。

「痛———っ!?」

「何するつもり? 離れて、触らないで!」

 ラクダの前に立つ。このよくわかんない男に向かって手を広げ、威嚇する。ツィヨウは袖を捲って白い腕に噛み跡がついていないか確認しながら苦情を言う。

「ってえ、何なんだ、この女……ヤナギ?」

〈麻来に手荒な真似をしたら契約違反〉

「うるせえ束縛野郎〜」

 ツィヨウは舌打ちしながらもう一度行動に移る。

〈麻来、麻来。落ち着くんだ。そいつはそもそもここにいていい存在じゃない。解放して差し上げないといけない〉

「水尾…………っ」

 わからない。何を言ってるの?

 何をされるのかわからないけれど、このままではラクダにはもう会えなくなる。そんな嫌な予感。

 ようやく会いたい人に会えたのに、こんな気持ちで友達を失わなきゃいけないの?

〈契約通り返してもらうぞ。この子も、その器も〉

 ラクダは麻来と風丸を交互に見た。そして溜め息を吐く。

「…………結局、あとはおまえたちに任せなければならないと言うことか。ただ、最後に一つだけ条件をつけよう」

〈…………?〉

 ラクダは風丸を指して言う。

「そこの子には一切手を出さない。いかなる手段でも拘束したり危害を加えたりしないこと。守られなければそれも契約違反とみなす」

〈……だってよ〉

 判断を委ねられたツィヨウは意図に気付いていないのか首を傾げる。

「俺に言われてもね。まあいいんじゃない」

「言ったな。ならいい」

 ラクダは麻来を下がらせて、ツィヨウに手を差し出す。

 ツィヨウはその手にスピーカーフォンを乗せ、何か操作を始める。

「移行完了」

 ツィヨウがそう呟いたと同時に、眠ったように目を閉じたラクダがゆっくりと倒れていった。

「ラクダ……………!」

 その身体を風丸が受け止める。そのはずみに空気の抵抗を受けたフードが肩へ落ちた。

「……あ、そう言うことか」

 風丸の顔が晒され、それを見たツィヨウは合点がいったように呟いた。

「げほっごほ。……お前が、承認、したんだよ」

 身体に戻った柳水尾本人が咳き込みながら身体を起こす。

「わかってるって。大体捨てた物は所有物に含まれないし」

 ツィヨウは手を上げて降参を示す。そして立っているのもやっとな様子の水尾に代わって、麻来の腕を捕まえる。

「や、やだっ」

「マキ」

 抵抗しようとしたところ、風丸が駆け寄ってきて。他の誰にも聞こえないよう耳元に囁いた。

「…………母さまのことはお任せを」

 ラクダに着せられた上着の下からちらりと見えたのはスピーカーフォンだった。「また会いましょう」

「お前ら、麻来に近寄んじゃねえよ……」

「お前が捕まえておけるんだったらお前に任せてんだよ。お前の女だろうが」

「うるせ〜……」

 ツィヨウはこちらを伺いながらこの場を離れようとする風丸を横目に見る。

「…………はあ」その視線だけで動けなくなる風丸を冷たく眺める。「そいつに礼を言いな。もしまだそこに残留してるんならだが。お前はもう自由だよ。……ただし俺の邪魔をしようってんなら全力で排除する。それを持ってどこへでもお行き」

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