柳水尾・2

 首都の入り口は大きな門が建てられており、開いた状態で一行を出迎えた。

「本当に最後まで送って下さってありがとうございます。私の素性は知れているのでしょうから、どこかに置いていかれるものかと思いましたが」

 ミクが一足先に荷台を降りて、丁寧に頭を下げる。顔を上げると、麻来やラクダの複雑そうな顔を順に見て、愉快そうにふふっと笑った。

「とてもいい旅でした。少し酔いましたけれど」

 通りで旅の後半はまったく喋らなくなったなと思った。

「待って、ミク」

 ニヌガルが呼ぶ声に、歩きかけていた足を素直に止めてミクは振り返る。

「師匠? どうされましたか」

「……師匠って呼ぶのやめな、もう破門したんだから」最後になるであろう無意味な訂正をして。「私は組織を潰すつもりで来たよ。…………あんたはどうして【呼水】に入ったの」

 ミクの瞳が微かに揺れる。

「……ああ、それ……随分と前にうっかり忘れていたんですけど」彼女の視線が一瞬、ニヌガルから移動する。そしてにっこり笑った。「思い出してみればどうでもいいことでした。師匠、私ね、組織の計画なんてどうでもいいんです」

「…………」

「師匠についても、組織についても私個人の結末は変わりません。事が終われば解放される。……でしたら楽な方を選びましょう」

 そう言うと、ミクは身を翻して歩き出す。

「ミク、」

「ニヌガル! 伏せろ!」

 彼女が門をくぐった瞬間。要塞に隠れていた窓から一発放たれた弾丸が、ニヌガルの右胸を貫いた。

「……………っ!」

「ニヌガル!?」

 至近距離での銃撃の音のせいで聴覚が一時的に封じられて、麻来は自分が叫んだかどうかも分からなかった。

 あまりに突然すぎた。ニヌガルが撃たれたの? 麻来は周囲を見回してミクを探したけれど、立ち去ってしまったのかもうどこにも見えなかった。

「ニヌガル、に……っ」

 ラクダは気が動転した様子で、ニヌガルを抱き起こす。その頬に、ニヌガルの手が触れる。

「…………落ち着いて……これは、私じゃ、ない」

 武装した兵が荷台を取り囲み、銃を向けられている。彼らに声が聞こえないように、ニヌガルは掠れた声で言う。

「いいかい、あんたらは逃げられる。一旦、街中に身を隠しなさい。私はここに置いていって構わないから」

「そんなことはできない」

 血が荷台に広がっている。この出血量だと、魔女とはいえ命に関わってもおかしくないだろう。風丸が止血しようとする手をそっと押さえて、ニヌガルがまた話し始める。

「私がいいって言ってるんだよ。何もここでお別れなわけじゃない。私にも用事があるから別行動しようと言ってるんだ。……ほら、いつまでも喋ってはいられないよ。二人とも、麻来を連れてここを突破するんだ。できるだろ。私は…………」

 風丸とラクダはニヌガルに耳打ちされて、二人は微かに頷いた。

「はい」

「…………そういうことか」

「これは葦の土台。やがて土塊となり、崩れ去るだろう。今は死んだふりをするけど、後でちゃんと、葦と落ちあうんだよ」

 ニヌガルの魔法で練り上げられた身代わりは力尽きて、ぐったりと事切れた。ラクダはその身体をゆっくり下ろし、立ち上がる。

「麻来。走るよ。背中においで」

 ラクダは事前に背負っていた背負子を素早く後ろ手に組み立てると、風丸に手伝わせて有無をいわせずに麻来を座らせた。

「ちょっと、ニヌガル………!」

「彼女は大丈夫です」

 風丸が囁くように言って、ローブの中の電気剣に手を掛ける。それをラクダが小声で止める。

「風丸、それは今は駄目だ」

 電気剣はいわば【カゲロウ】のトレードマーク的な武器だ。ここでそれを出せば、ローブで隠していた風丸の正体も一目でわかってしまう。この子の存在が製作者に知られるのはできる限り避けたい。

「——では、そこの兵士から拝借します」

「そうしてくれ」

 戦闘許可が下りると、風丸の眼が冷徹に光る。

 次の瞬間、荷台から風丸の姿が消え、近場の一人の衛兵を組み伏せていた。

「な、なんだこの子供……」

 すでに気絶している兵士から剣と銃を抜き取りながら、その素早さに面食らっていた近くの兵士に切り付けた。風丸は血飛沫をくぐり抜け、大きく飛び上がって次の兵士の肩に蹴りを食らわせる。

「風丸! あまり殺すな」

「承知しました。逃げ道の確保を最優先とします」

 風丸はラクダが麻来を背負って走るのを援護しつつ前を走り、横へ飛び、後ろに銃撃を飛ばす。

「すご……」

 電気剣を使わずに、とんでもない速さで兵を薙ぎ払っていく。

 風丸と束の間目を合わせると、ラクダは走る方向をずらして速度を上げた。

「待て、……っうわあ!」

 風丸の投げた催涙煙が周囲一帯の兵士を包む。

 路地に入り込んだ三人は煙幕に紛れて、姿をくらませた。


「入った途端にこうなるとは……」

 流石にもう少し静かに入れると思ったんだけど、とラクダは低い声で呟く。

「ねえ、ニヌガルは!」

「彼女は生きてるよ。撃たれたのはニヌガルが咄嗟に作った身代わりだ」

 もう何が何だか。

 でも先程は動揺していたラクダが今は落ち着いているなら、確かに大丈夫なのだろう。

「…………全く、衰えていないどころか腕を上げているじゃないか」

「こちらです、母さま」

「うん」

 風丸の誘導に沿って細い道を走っていくと、やがて少し広い通りに出る。

 街は想像していたより賑わっており、通りを往来する人や露店の客引きが喧騒を彩る。露店を軽く覗けば、食べ物や装飾品、香辛料など雑多なものが並んでいる。見るとここからさらに西にある大国からの輸入品も数多く、以前ミクが行っていた他国との貿易の真を裏付けていた。

 とにかくこの人混みに一旦紛れて、麻来を下ろした。

「うわ…………」

「麻来、大丈夫?」

 柳水尾の家に閉じこもっていた期間が長かったのなら人混みはあまり良くないかもしれない、そう思って掛けたラクダの声はどうやら届いていないらしい。というよりワクワクしているようにさえ見える。

 寄り道をする余裕がないのが残念な程。

「行こう。柳水尾のところに」

 正面から出くわしそうになる【呼水】の衛兵から身を隠しつつ、通りを縦に突っ切る。

 そろそろ混雑から抜けようかという時、露店の方から伸びてきた手に引っ張られ、バランスを崩して中へ倒れ込んだ。

「! うわ」

 ずっとラクダにしがみついていた麻来やそれを支えようとした風丸も共倒れになり、最初に転んだラクダの上に二人が折り重なって転がる形になった。

「う…………」

「痛……っ、退いて風丸」

 一番上の風丸が麻来の身体を避けて地面に手をつき、起き上がろうとみじろぎする。

「すみませ、」同時に至近距離から視線を感じて顔を上げる。「…………あ」

 足元の猫でも見下ろすように、しゃがんでこちらを眺めている男。古い装束着の上に羽織った白衣に、手入れが行き届いていない黒髪。細められた目の奥の暗い色の虹彩。

 何故かスピーカーフォンのようなものを手に持っている。

 見間違えようもない。そいつは風丸の呼ぶ『父親』であり、麻来を付け狙った、組織の武器開発者。ツィヨウその人であった。

「なあにしてんだい、きみら」

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