飛空上で蜃気楼・4

 足元を振動させる程の幾度かの爆音。【カゲロウ】たちは目標の居場所に見当をつけて一斉にその場所へと向かう。すなわち、地下の格納庫へ。

 駆け付けたうちの一機が、小さな声で言う。

「何故、戻って来たのですか、彼らは……」

 逃げたはずの彼らが危険を冒して【カゲロウ】たちの目を掻い潜り元の場所に戻ってくるとは。何を狙っているのか分からず、ともあれ籠船の破壊を報告するがアシスタントからの応答は特にない。格納庫には既にふたりの影はなく、モーターやプロペラが破壊された飛行機の残骸だけが残されていた。

「馬鹿馬鹿馬鹿ぁーーーっ!」

 甲高い罵声が頭上の離陸トンネルに響いて、【カゲロウ】たちは一斉にぽっかり空いた上階の搭乗デッキを見上げる。

「あれです。近くのエレベーター、階段等を使用して回り込んでください」

 ターゲットの姿をいち早く見つけた【カゲロウ】が遥か上を指差した。「了解」「承知しました」その指先の示す方に目標を確認した者から散らばって、各々上階の梯子へ向かう。

 麻来はというと、梯子を登るラクダの背中にしがみついて半べそをかいていた。

「ああ、気付かれてしまった。頼むから落ちないでくれよ。逃げるのに集中しなきゃいけなくなった」

「ふざけんなっ、どうしてこんな場所から脱出しなきゃいけないの!?」

 結局飛行機を破壊するのに道具を使ったのは最後のいくつかの機体だけで、他はラクダの手や足で歪ませて動力を不能にしただけだった。電気剣も使わず、【カゲロウ】の懐から火薬を拝借して上階の搭乗デッキから落とすことで爆発させた。音を出すことで外に待機する追手の気を引くことが出来ればと思っていたのだが。

「高いところが怖いなら初めからそう言ってくれたら良かったんだよ。人の話を聞いていないからこういうことになるんだ」

 この場所に待機する【カゲロウ】がいなかったことを見るに、彼らはラクダがここから脱出することを予想していなかったのだろう。あるいは、自分たちの船に設置されたアシスタントの報告に頼っていたのだ。しかし船にあった人工知能はただの拡声器であって、周囲の状況を拾う機能が備わっていなかった。口があるだけで、目や耳は取り付けられていなかったのである。【カゲロウ】を生み出したあの男が作った船ならば、余計な荷物は不要だと判断したのだろう。

 兎に角彼らが考えていない出口からこっそりと逃げ出そうとしたのに、今や注目の的となっている。受けた指示によっては【カゲロウ】はラクダの命など考慮しない。壁に張り付いた梯子ごと撃ち落とされる可能性だってある。

「急ぐよ。怖いかもしれないけど我慢して」

 一応断りをいれてからまた梯子を駆けるようにするすると登っていく。

「麻来?」

「……落ちたら許さないから!」

 妙な間が空いたと思ったら、歯を食いしばっているようだった。抵抗も無駄だと悟ったのか、覚悟を決めてくれたのか。

 ラクダはふたりを背負ったまま、下の様子を確認する暇も惜しんで大急ぎでカンカンと梯子を登り続けた。あの地下からここまで届くような投擲武器などは準備がなかったようで、運良く攻撃されることはなかった。

 しかし上への道は当然この梯子だけではない。壁の内側に通る階段もエレベーターもあるから、ラクダが天辺に手をかけた頃にはすでに先回りされていた。

「うわっいる!」

「ちょっと黙って」

 塔の上は下から眺めて想像するよりずっと広い。同じ円筒の中にふたつの穴があり、離陸と着陸のトンネルが並んでいる。今登ってきたトンネルは離陸時のもので、歩いてすぐの所に着陸用のポートがトンネルの蓋になっている。

 そのふたつのポートの間に、確認できる範囲で待ち構えているのは十人。皆二、三メートルは離れているが既に隙のない包囲網が作られていて、こちらを見下ろしている。残りの約十人はどこに待機しているのだろうか。

 攻撃までの間が長いと思えば、ラクダがこの屋上に完全に登りきるまで待っていたようだ。他より一歩分近くに立ったひとりが話しかけくる。

「最終確認をします。お付き合い下さい」

 問いかけてはきているが、会話をする気があるようにはとても見えない。こちらに用意された返答は二択。【カゲロウ】を相手に誤魔化しは効かない。ここを突破するには彼らを倒していかなければならない。

「…………なにかな」

「この飛空城は崩れます。建物には事前に爆弾を設置しておきました。今より、三十秒後」

「三十秒!?」

 麻来とラクダは同時に叫んだ。逃げるどころか応戦する時間もないじゃないか。

「お答えを。我らが父を裏切った、ミスター・ヤナギ。生きて我々に下るか、ここで死ぬか」

「あんたら、水尾のこと、知って………!」

 余計なことは言わせないと麻来の口を塞ぎ、ラクダは片眉を軽く上げる。事実と彼らの認識には齟齬がある。あの男……主人から柳水尾は死んだと聞かされていないのだろうか。と、そんなことを考える猶予もない。

「……十五秒」

「っわ、分かった!」

 追い詰められた麻来はラクダの手からあわてて逃れ、言った。

「麻っ………」

 勝手なことをと思ったが、建物の崩壊を止めるより優先されることはない。

 麻来の反射的な承諾に、【カゲロウ】は後ろに立つきょうだいたちを制するように手を上げた。カウントは止まったのだろうか。

「分かった、ということは、我々の指示に従うという意味でしょうか」

「そうだ」

 ラクダは手の平を上へ向けて、投降する意を示した。それを見て【カゲロウ】たちは構えた電気剣を下ろして一歩一歩近寄ってくる。

 麻来の手がラクダの裾を掴んだ。すぐ後ろにある奈落の底を気にしているようだ。ラクダの方はあまり大袈裟な動きをすると即座に取り押さえられそうで、彼女を引き寄せることも出来ない。

 しかし、麻来に声をかけようとした、その一瞬の事だった。

 津波のような轟音が塔の元から這い上がってきて、瞬く間に足元にヒビが走った。

「————っ!」

 その場に立っていた全員の足が支えをなくして空を蹴る。ラクダと麻来は【カゲロウ】諸共垂直に落下し始めた。

「うああ——————っ!?」

 風を切る高所で、麻来の叫び声だけが空へ消えていった。


 落ちる。

 怖い。

「まさか先遣隊の半数を犠牲にするなんて……っ」

 ラクダが何か叫んでいるけれど、何を言っているのかも分からない。ただ彼の裾に縋って、意識の戻らない【カゲロウ】を背負ったまま一緒に落ちていく。

 内臓がないせいか胃が浮き上がるような浮遊感はない。しかし身体が空気を裂いて落下していく感覚だけは鋭く襲いかかり、麻来の長い髪を激しく靡かせた。

「麻来。麻来! 気をしっかり……」

 しっかりも何も、幽霊の身では気絶もままならないらしい。生身なら垂直落下の恐怖と風圧に耐えきれず嘔吐していたし、気を失っていたと思われる。

 そんなことはどうでも良くて、ただただ「落ちる」という恐怖が頭を埋めつくしていた。

「なんでもいいからなんとかしてよおお!」

「落ち着いて……あ、」

 麻来を見下ろしていたラクダの眼が意表を突かれたように見開かれた。

 それと同時に手首や足首を掴まれた感覚。いくつかの手に掴まれて、下へ引き寄せられる。見ると、先を落ちていた【カゲロウ】たちが麻来を掴まえていた。

「ひっ」

「しまっ………」

 強い力で引っ張られる。それに耐えきれずラクダの手を離してしまった。

 麻来、と、彼の呼ぶ声が、伸ばされた手が一瞬で遠ざかっていく。四肢を掴む手が次第に増えて、抵抗するより先に首筋を弱い電流が流れたのを感じた。

「麻来!」

 先程まで気を失うことさえかなわなかったというのに、その瞬間、いとも容易く視界が真っ暗になる。

 何も聞こえなくなる直前、水尾がわたしを呼ぶ声が聞こえた。

 ああ、違う。

 彼はここにはいない。

 あの人は死んだんだったな。

 自嘲の笑みを浮かべた麻来は、そのまま沈黙した。

「麻…………っ」

 何をされたのかラクダには見えなかった。しかし目を閉じて人形のように【カゲロウ】たちに囲まれていく彼女は、完全に停止させられた様子だった。

 ラクダは身体の上下を反転させて、頭から真っ逆さまに落下速度を上げた。今すぐ。今すぐ返してもらわなければ。彼らは麻来に何をするか分からない。

 けれど間に割り込んできた一人が電気剣を突き込んで、麻来の奪還を図る邪魔者を排除しようと仕掛けてきた。

 身体を捻って、真っ直ぐ突っ込んできた剣先を避ける。電気剣でなくても攻撃が当たればこの高所から吹き飛ばされてしまうだろう。そうすれば麻来を取り返すのはほぼ完全に不可能になる。

 【カゲロウ】の肘あたりに掌底を叩き込んで電気剣を落とさせる。が、【カゲロウ】はバランスを崩すことなくその場を回転し、回し蹴りを当ててきた。

 真下からの蹴りにガードの体勢をとったラクダはそのまま空へ数メートル飛ばされて、【カゲロウ】は反動で一気に下へ落ちていき、見えなくなった。

 打ち上げられた身体にちらりと影が映ったのに気付いて顔を上げるとさらに頭上に二人、エペを振り抜いているところだった。

「くそっ、――――うぐっ!?」

 思わず悪態を吐いて身体を回転させようとするがそれは叶わず、突然背中が蹴られたような衝撃を受けて、身体はそのまま落ちていく。一瞬の遅れの後に空を振り返ると、子供が二人の【カゲロウ】に向かって跳躍する姿が目に映った。それはエペを握って、ラクダの背後を狙って同時に切りかかってくる【カゲロウ】たちを迎撃し、打ち落とした。

 そして衝撃を利用して矢のようにラクダの方へ戻ってくる。

 攻撃に備えたラクダはしかし、その軌道が自分からわずかに逸れていることに気付いて、そして目を見張った。取り囲む集団と同じ緑がかった土埃色の戦闘用の外套に、首にかけられた防護ゴーグル、雨のようにグレーに光る髪。その姿は【カゲロウ】そのものだった。彼は両手をぴったりと身体につけて爆弾のような姿勢で、顔を進行方向へ向けてラクダのすぐ脇を急速に落下していく。

 ラクダは彼が裂いた風を受けて見送るしかなかった。何が起こっているのか。この場にいた彼らの誰一人として顔を晒してなどいないし、何より仲間を妨害するなんて主の命に絶対服従の【カゲロウ】にはあり得ないことだ。

 彼は麻来を囲む数人の【カゲロウ】たちの中に突っ込み、電気剣を使ったのか、一瞬で仲間を四方へ吹き飛ばす。同時に仲間を踏み台にして跳び上がり、再びラクダのもとへ真っ直ぐ戻ってくる。

 その腕には麻来を抱えて。

 彼は陽光を反射したまるい瞳でラクダを捕捉したまま、正面に突進してきた。

 ラクダは相変わらず落ちながら手を広げて待ち構えて、彼ごと麻来を抱き止めた。

 【カゲロウ】は再び落ち始めるのを待たずに、彼はラクダの肩をしっかり掴むと、何か呟いた。

「……ブースト」

「えっ、わあっ!?」

 瞬間、バイクのエンジンをかけたような音が聞こえて。【カゲロウ】はラクダを掴んだまま放物線を描いて飛んでいった。

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