飛空上で蜃気楼・3

 ラクダは意識が戻らないまま背負子にもたれかかる【カゲロウ】の体勢を少し整えてから、細い紐を取り出して自分と【カゲロウ】を斜め十字に括った。ラクダが胸の前で縛ると紐はすうっと消えて見えなくなった。

 麻来はラクダの背中に固定された【カゲロウ】の顔をまじまじと見る。先程の処置でラクダがゴーグルもフードも外していたのである。ゴーグルは今はその首に掛けられている。少しクセのあるショートボブの髪は光の届かなさそうな暗い倉庫でも鈍い白色に染まっていて、ほくろもそばかすもない肌は透き通る瀬戸物のよう。それが微動だにしないので、スイッチの切れたアンドロイドみたいだなと麻来は思った。

「とりあえず、【カゲロウ】たちの足や翼になるものは俺たちには使えないから全部乗れなくしてしまおう。建物ごと壊した方が手っ取り早いけどそれは仕方ない。無理だしね。それからこの子だけど、ここを脱出したら置いていくよ。生き延びられるのかは分からないけど、あとは運に委ねよう」

 少し残念に思いつつも麻来は素直に頷いた。

 ラクダはその様子をちょっと観察してから続ける。

「まずは更に地下へ向かうよ。格納庫は真下だ」

 先程の垂直トンネルの床の下に飛行機や箱型船が並んでいたのを思い出して、あそこね、と囁いた。

「とか言って、そんな壊せるようなものも無いし……………あ、」

 喋っている途中で細長いシルエットが脳裏に映って、いつの間にかラクダの手元に置かれていた電気剣を見下ろした。ラクダは頷いた。

「そう。丁度あるよね。借りものだし、気は乗らないけど……」

「背に腹はかえられないでしょ。壊すのもこれがあれば楽そうだしいいじゃない」

 敵のものだとしても、このくらいの威力のものでないと飛行機など簡単には壊れはしないだろう。

 ちょっと勿体ないとも思う反面、麻来は近所の建造物の解体ショーを見に表へ出るような気分でわくわくしていた。

「遊びじゃないんだよ、麻来」

「分かってる。でも解体ショーは一度見てみたかったの」

 そう言いながらラクダの隣では彼女がうずうずと焦れているのが伝わってくる。飛行機を壊すことの何がそんなに彼女を引き立てるのか。ラクダにはてんでわからない。

「解体ショーは大型の魚を捌く時のパフォーマンスだろ」

「そうだったっけ」

「そうだよ。麻来が思い描いてるのは多分高層ビルとかの爆破解体。別にショーとしてやってるわけではないよ」

「えー」

 廊下はコンテナや木箱が散乱していて視界が悪い。角で追手と鉢合わせしそうになり、麻来の口を塞いでしばし物陰に隠れる。

「……ケチなのね。君」

「どうやって導き出されたのかな、その評価は」

 よく分からないが楽しくなってきたのか、 麻来は軽く塞がれた口元でくひひと笑い声をたてる。

「ふざけてないで。もう行くよ」


     


 【カゲロウ】は主の命令に従うものだ。裏を返せば命令された以上のことを実行することは出来ないということでもある。

 麻来がラクダに連れられて家を出る、数刻前のこと。

「父上様。お聞きしたいことが」

 天井の高い格納庫。搭乗橋をぞろぞろと連なって歩くのは大型の籠船に乗り込んでいく二十五機の【カゲロウ】たち。そのうち橋下に現れた一機が声をかけた、一人の男。歳は三十歳前後。かたい帯のある装束の上から白衣を思わせる服をだるそうに着て、油っけのない黒髪をぼさぼさにしている。

 彼は籠船へ順に搭乗していく【カゲロウ】たちを眺めていたが、やがて億劫そうに薄い瞼の境目の奥で暗いブラウンの虹彩をじろりと一機へ向けた。

「まあいいよ、何?」

 【カゲロウ】は痛み入るというように素早く片足を引き、頭を下げて口を開いた。

「ベータ・カムを追うようにとのご命令でしたが、追いついた際はどのようにすればよろしいのでしょうか」

「はあ?」

 男が眉を顰めると、更に目が細く窄められた。

「箱は渡してあるんだからそれに入れて持って来いよ」

「かしこまりました」

 追加の指示をもらって列に戻っていく【カゲロウ】を見送らず、小さなノートに素早く何かを書き留めていく。

「……ったくG246。あの個体は製造して五ヶ月と十日。こいつらにしては長い方なのにいつまで経っても知能と自主演算機能の向上が見られないな。人工知能の方が余程能動的に動いてるぜ」

 すると先程まではただ黙って彼らのやり取りを遠巻きに観察していた女性が、男に向けて呟くほどの小さい声で勝手に応答した。

「…………ですから私に寄越して下さいと申していますのに。彼らが要らないのでしたら私の研究室が有効に研究して差し上げます」

「やかましいよ研究泥棒。半生を捧げた成果を譲ってたまるかよ」

「流石はツィヨウ博士、【呼水】設立以来たっての神童ですね。人型の生命プログラムを造り上げるなど史上初の偉業ですよ。しかしその研究だって貴方を囲って下さっている【呼水】の支援の賜物。恩を感じるのなら、有意義に活用すべきでしょう」

 男は虫を払う仕草をする。

「だからこうして時折出兵させてるんだよ、貴重な作品たちをさ。だいたい俺は、好きに研究が出来ると奴らが言うからここに留まってるだけだぜ。それはこの才能が敵の手に回れば奴らが困るからで、俺を引き留めるのに必死なのはお前たち組織の方なのさ」

「……それにしてもこんな数を向かわせる必要はないのでは? 少女の魂ひとつ破壊するだけでしょう」

「しつっこい女だね、俺はお前の部下じゃない。戦力の配分まで口を出されたくないよ」

 兎に角出ていけ、と半ば追い立てるようにして組織の幹部を下がらせる。と、彼女を相手にしているうちに箱船の搭乗も済んでおり、アナウンスが出航準備が整ったと告げた。

「そうか、いけ」

 垂直に浮上していく飛行船を見上げながら忌々しげにまた目を細めた。

「あーあ。無駄な消費だ」

 必要だから小隊一個分も費やしているんじゃないか。あの男の言うことが真実ならば、この数でもおそらく足りないくらいだろう。

「……まあ、あれがすぐに回収出来なくたって、俺が困ることなんて欠片もないしな」

 むしろ今は二十五機も失うことの方が痛手である。折角沢山作ったのに勿体ない。

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